2016再開祭 | 胸の蝶・廿伍

 

 

「私がチェ・ヨン殿を裏切らぬのは、ヒド殿の大切な方だと知っているからかもしれない。
私自身はまだそれ程深く、チェ・ヨン殿を知りません。けれどヒド殿の事は裏切りません」

銀杏の樹上の黒い空を見上げ時間を稼いで気を持たせ、出した答がそれか。
余りにも下らな過ぎて、まともに取り合う気にもなれぬ。

但し一度でも弟の名が出た以上俺にとって最早無関係ではない。
殺す。あ奴に何か仕掛けて来れば他の誰が手を汚す必要もない。
俺が引き入れた以上、俺が最後まで背負う。

「知る必要もない」
「はい」
「お前が知るべきは唯一つ」

目前の者が誰であろうと、どれ程の腕を持とうと、この決心も声も絶対に翻らぬ。
負けて永遠に黙るまで。それまでは誰が相手でも同じ事を告げる。

「奴の道を邪魔するなら死ね。この場で俺が引導を渡してやる」

己が誰より知っている、
そしてこの僧も判っておろうから、口にするのにこれ程容易い言葉もない。
しかし遍照はびくともせずに、ただ頷いて微笑んだだけだった。

「だから私は小細工を弄してまで此処に来たのですよ、ヒド殿」

先刻言ったろう。禅問答は性に合わんと。
この男から返る言葉は全てが意表を突いていて、聞いても苛立ちが募るだけだ。
呆れて息を吐いた俺に再び笑い掛けると、澄んだ目で遍照は平然と言い放った。

「この方が」
背後の女人に、溶ける程優し気な笑みを浮かべる。
「御一人で此処に帰って来たなら斬り殺そうと思って。僧衣で刀を下げて宮を出る訳にも行きません。
帯刀には鎧姿です。目立たず手取り早いでしょう。
山門を入られてしまえば手出し出来ぬので、此方で首を長くして待っていました」
「・・・何故」
「何故?」

この男は、一体何を考えているのか。
何故綺麗な笑みを浮かべ、突拍子もない事を言い出すのか。
邪魔だから、面倒だから。俺も確かに考えた。
踏み止まったのはヨンの諫めの御蔭だった。

しかしこの男は女を斬り殺す為に刀が必要で、その帯刀の為に宮の兵を襲って鎧を手に入れた。
そう言っているのか。
斬り殺そうとした相手を目前にして平然と、悪びれる様子もなく。

「聞かないで下さい、ヒド殿。一旦皇宮に入った以上は、誰であろうと自由にしてはいけない。
全てに片が付くまで。私はその為なら何でもします。知った以上は出てはいけない。
この方が、ヒド殿やチェ・ヨン殿の目の届かぬ処へ逃げるなど以ての外でしょう。違いますか」

澄んだ目はまるで無辜の赤子だ。
この男は本気でそう考えている。そして出るなら口を封じると。
口を封じる為ならば、平気で兵を襲って鎧を奪う。
己が法度を犯した意識など、全く無いに違いない。
「遍照」
「はい、ヒド殿」
「如何して宮に帰る気だ。兵を襲ったのだろう」
「顔を見られるような下手はしておりません。どの刻のどの場所が最も守りが手薄か、誰にも見られず戻れるか。
全ては計算の内です。チェ・ヨン殿に迷惑が掛かっては元も子もないではないですか。
その為に昼から仮病の振りをして、布団の中に着物で拵えた人形まで入れて来たのですよ」

不満げに口を尖らせて言うと、遍照は最後に頷いた。
「けれどヒド殿が来て下さったので安堵致しました。これで無益な殺生をせずに済みます。ありがとうございます」

鎧姿の合掌など噴飯物だ。しかし男は至極真面目な顔で、俺に向け丁寧に手を合わせ頭を下げると、
「それでは私は一足先に戻ります。目立たぬよう、馬は奥に繋いだので。
ヒド殿もこれからお戻りになるなら、村で馬を借りた方が良いですね。
今宵はまた雨になりそうです。どうかお気を付けて」

黒い空を見上げ心配げに呟いた声に、少なくとも嘘の匂いはない。
臙脂の鎧が松明の焔の輪の中から暗がりの中へ消える刹那
「ああ、明日は宮にいらっしゃらなくても斬りに行ったりしません。
そしてこれからもヒド殿と共に居られる限り、私は絶対に手は出しません。お約束します」 

笑みを含んだ最後の声が、闇の中から耳に木霊した。
俺と共に居る限り。
それはつまり俺から離れれば幾度でも鎧を奪い刀を下げて、この寺まで押し掛けるという意味だ。
遍照の気配が完全に闇に呑まれ、静かな山間へと蹄の音が消えるまで、一歩も動けず立ち竦む。

道化た口調、気軽な物腰、優しい笑みであの男は俺に示した。
俺が此処に居らねば、女が一人で戻って来たならば、奴はその場で迷いなく剣を抜いただろう。
昼から病を装い、衛兵を襲って鎧と刀を奪う程に本気だった。

あの男、まともではない。そして何があろうと、女は二度と寺には戻れぬ。
俺の招いた事が発端で居場所を失った。
伝えねばならぬ。一刻も早くヨンに。
あの男を信じてはならん。まして女人と顔を合わせるなど絶対に。

雨の匂いの混じり始めた風に吹かれ、墨染衣の裾が大きく靡く。
ヨン以外を信じてはならん。信じられるのは己の勘のみ。
俺は何れ必ず、自らの手であの男を斬る事になる。
黄金色の枯葉の雨を降らせるこんな風などとは比べ物にならぬ風で、あの男の朱殷の飛沫を降らせる事になる。

その時あの不気味な男は、一体何を武器に対峙するのだろう。
兵から再び奪った刀か、それとも俺の心を揺さぶる別の得物か。
目を閉じて深く息を整え、最後に全て吐き出し再び開ける。
それもまた縁なら仕方あるまい。
今の俺に出来るのは、心を揺さぶられるような弱みを持たぬ事。

雨の気配の中硬くなった背を案じるように、背後から衣を握る手に一層の力が籠った。
まずは此処から片づけねばならぬと、俺は肩後ろを振り返る。

 

 

 

 

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