2016 再開祭 | 桃李成蹊・26

 

 

「活き活きしてるね、今までで一番」

ベッドルームで一緒にパソコンの画面を覗く社長が黙って頷く。
チーフマネから毎日送られてくる現場のビデオ動画。
こっちと向こうは時差があるから、リアルタイムでウェブカムのチャットは出来ない。

最近は朝起きると、まずはその動画チェックが癖になってる。
社長もオフィスに行かない限り、必ず俺と一緒に確認する。

朝のベッドルーム、カウチの上で互いにマグに注いだコーヒーを飲みながらモニターを覗き込む。
今日は見せ場の石段での格闘アクション。

想像はしてた。
あの人は手を抜く事もないし、絶対上手く遣り遂げる事。
モニターを覗き込んで、何度も再生して。
同じ顔とはいえ他人のアクションをこんなに熱心に観る事なんて、かなり久し振りな気がする。

だけどその画像は予想以上で、俺は苦笑いするしかない。
俺があれ程トレーニングを重ねて、実際画面に映る何倍ものシーンを念入りに打ち合わせて。
リハをやって、切り張りして撮影してるそのアクションシーンを、目の前でさらっとこなされて。
あんまり高い壁ばっかり残されて、超えるのも大変そうだ。

そしてそれより驚いたのはアクション監督とヨンさんの小競り合い。
あの寡黙なヨンさんが現場で意見を言うなんて思ってもみなかった。

切れもいいし、表情も視線もいい。緩急もいいし、気負いもない。知れば知るほど、見れば見るほど思う。
あの人本当にシロウトじゃないんじゃないか。何か本格的に武術をやってたとしか思えない。

あの時も言ってた。剣、弓、槍、手縛。何も無ければ拳も振るう。
あれは口から出任せのハッタリじゃないって、こうして現場で証明された。

だいたい俺につけたトレーニングだって、トレーナー直伝とはいえ見せる為に鍛える肉体作りや、画面で映える技とは根本的に違う。
インナーマッスル、バランス、最小限の動きで最大限の効果を引き出す筋トレ、明らかに敵を想定した動き。
その集大成が、この動画の向こうで楽しそうにアクションシーンをこなすヨンさんってわけだ。

動画の最後に添えられたチーフマネからの短いメッセージ。
カメラの向こうで笑いながら
「1回もNGなしだ。もちろん打ち合わせもリハも念入りにやったけど。リハの途中からスピードが上がって、本番まで一発OKだよ。
アクション監督も最後はもう笑っちゃってたよ。
最初会った時から不思議な人だと思ったけど、これだけ一緒にいてもまだ不思議な事ばっかりでさ。あ、長くなるから切るけど。
また明日送るから。体気を付けろよ?社長によろしくな」

そう言って手を振って、動画ファイルが終わる。

「・・・確かにね」
社長はそう言ってモニターから俺へ視線を移す。
「不思議なのよ。全く読めない」

マグからコーヒーを一口飲んで大きな息を吐くと
「キョジュンさんに会ったわ。偶然だって言ってたけど、どうだか」
「・・・キョジュンさん?」
「そう。モデルをやってたヨンさんをスカウトした、最初の騒ぎの時のスカウトマン。憶えてない?」
「・・・ああ・・・」

俺だと思ったチーフたちがヨンさんを誘拐したきっかけを思い出す。
頷く俺に社長はコーヒーを飲みながら、困ったみたいにぼやく。

「ヨンさんと連絡取れませんかって聞かれたわ。アンナちゃん経由でウンスさんに連絡してもオフィステルはもぬけの殻だし。
スマホは解約されてるし、連絡取りようがないって。アンナちゃんも田舎に帰るって聞いただけで場所も知らないし困ってる。
でも、どうしても諦められないって。もしもうちがヨンさんの活動を許すんならもう一度社長に掛け合うから、どうしても来て欲しいって」
「すごいね。あの大手事務所にそこまで買われてるなんて」
「そりゃそうでしょ。あのルックスにこのアクションなら、余計に欲しくなると思うわ。これから向こうは俳優育成にも力入れていくみたいだし」
「ふうん。俺のライバルか」
「まあ、そうなればね」

ならない気がする。何故って言われても困るけど。
俺が邪魔するとかうちが妨害するとかじゃなく、あの人はここに未練なんか、ひとかけらもない気がする。

言われた事全てを信じるなら、俺の頭かあの人がおかしい事になる。
だけど疑う気になれない。あの人の声を聞けばそんな気になれない。

─── 俺達を行かせてくれ。

これからも芸能活動をするつもりだったら、そんな事を言うのか?

─── 弥勒菩薩の見える場所に隠してくれ。

それなのに奉恩寺を検索するまでそれがどこかすら知らなかった?

─── 長居する気は無い。この十月に賭ける。

もうすぐ目の前だ。敢えてそんな近い月を何で指定したんだろう?

そして御両親の事。愛した女性の事、父親代わりの師範や仲間の事。
俺が聞いてすらいないのに、何故突然堰を切ったみたいに話したんだ?

脅しもしない。何一つ要求もない。そして気になる。気になって仕方ない。
見金如石のお父さんの遺言。高麗。チェ・ヨン。
たとえ薄暗いリビングの中でも、窓際で見たあの腹の大きな傷は絶対忘れられない。
そしてウンスさんの言葉。あの人もシロウトだとは思えない。たとえ医者だと嘘をついたって、医師免許を調べればすぐ判る。
「姉・・・社長」

俺の声に何も知らない社長が首を傾げる。
「調べて欲しい事があるんだ」
「何よ、もうトラブルはごめんよ?」
「そんなんじゃない。江南の整形外科医、元は心臓外科医だったって言ってた」
「・・・え?」
「ユ・ウンスさんの事を、調べてくれないかな?」

突然の頼みに、社長は手にしたマグを静かにテーブルに戻した。

 

「ミンホ」
頼んでから3日。
社長は帰って来るなり仕事着のスーツのまま、俺のベッドルームにノックもせずに入って来た。
「あ、お帰り」
「お帰りじゃないわ」

ベッドサイドまでつかつか近寄って、肩から掛けた大きなバッグから封筒を出すと、社長はそれをベッドの上の俺に差し出した。
「ウンスさん、4年前に行方不明になってた時期がある」
「・・・・・・は?」
「COEXでドクターの誘拐事件があった。当時一瞬騒がれたわ。
何しろガラスが全部割られるし、パトカーひっくり返されるしの事件だった。でもご家族が捜索願を取り下げたの。帰ってきましたって。
ひとつ不思議なのは捜索願を取り下げたけど、その手続きは御両親がやってるの。ウンスさん本人じゃなく。
医師免許も本物よ。協会に名前も残ってる。だけど今はどの病院にも勤務記録はないみたい。少なくとも市内には。ねえ、ミンホ」
「・・・何?」

心臓がドクン、音を立てて大きく打つ。

「あんた、あの2人の何を知ってるの?」
「何も」
「裏から必死で手をまわして、当時のセキュリティカメラの映像を探したけどダメ。
被害者は帰って来て捜索願は取り下げられてるし、被疑者不詳で不起訴。ただ当時館内にいた、医療関係者って人に会ったわ。
医療メーカーに勤めてて、被疑者に切り付けられたの」
「切り付けられた?」
「その人が言うには」

自分の聞いた言葉が今でも信じられないって顔で社長は低く言った。
「切り付けた男は、鎧を着てたって。それで、刀で切られたって」
「鎧に刀?」
「そう。おまけに当時の爆発現場には時限装置どころか、火薬反応も出なかったって。COEXは事件後、どう処理したと思う?」
「じらすなよ!」
「落雷」
「・・・はあ?」
「警察の鑑識も保険会社も同じ見解だったって、保険が下りたの。
ガラスが全部割れてパトカーが吹き飛ばされたその現場で、落雷の証拠があったんだって。雷の放電の磁力線の化学反応が」

鎧。刀。刀傷・・・落雷。

確かに医者だったウンスさん。誘拐事件。鎧を着てた容疑者?
チェ・ヨンさん。崔 瑩将軍。高麗時代の清廉で剛直な勇猛武将。

─── ぱすぽーとは不要だ。この国でも無い。高麗。

嘘だろ?

「ねえ、ミンホ。あなた何を知ってるの?」
繰り返す社長の声に首を振る。何も知らない。あの2人の事を。
神様の救いの手みたいに俺の目の前に現れてくれた事以外の事は。今は、まだ何も。

 

 

 

 

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