2016 再開祭 | 天界顛末記・丗捌

 

 

この部屋はもっと大きかった筈だ。
丈高い隊長と御医と川の字に布団を敷き、失礼のない距離を取って並んで横になれる程。
こんなに息苦しい程狭い筈がない。

無暗やたらに意味のない咳払いを繰り返す。
ソナ殿もお気持ちは同じなのか、手持無沙汰に厨を振り返ると
「お茶。お茶淹れますね。おいしい伝統菓子があるんです!持って来ますから、少しだけ、ちょっとだけ待っててくれますか?」

言いながら落ち着かん様子で腰を上げる。
その声に首を振って
「いえ、自分も出掛けようかと」

言った拍子に余りに落胆したソナ殿の顔が見えてしまう。
「・・・思っていましたが、やめます。では、お願いできますか」

話の接穂すら滑稽な程に滅茶苦茶だ。それでもソナ殿の顔は明るく晴れる。
それさえ見られれば満足で安心する俺は、やはり何処かがおかしい。

 

薬菓や茶食、油蜜菓。
祭祀で見慣れた菓子が美しく盛られた皿と茶の載った盆を挟み、差し向かいに座る部屋。
優しく立ち上る湯気の向こう。
あっという間に暗さを増して行く空を背に、ソナ殿は端座して茶碗を口に運ぶ。

判らない。これ程傍に居て、息遣いすら届く距離で眺め続けても。
ただ呼んでいる。
そして天界で見る最後の夕焼の名残、逆光の中でその顔がぼやける。

そこにあるのは堪らなく懐かしく、ただ心が痛む笑顔。
逢った事もない、見知らぬ笑顔なのに。
黒い髪、丸い瞳、桃色の頬、言う事を聞いて下さらん意外と頑固な処。
俺から離れるのを嫌がり、忙しい俺を慮り、我儘でそして真直ぐな。
ご自分の何もかも犠牲にするのを厭わない、恐ろしい程無鉄砲な方。

それでも何にも代え難い、全てを捨てても護りたい、大切な方。

きっと抱き締めれば泣いてしまう。それだけが判っている。そんな事がある訳が無いのに。

ソナ殿に逢って以来だ。今まで一度も感じた事はない。
もしも御医のおっしゃる通り、この面影がこれから出逢う誰かなら。
ならば目の前のソナ殿は誰なのだ。何故この方を見てまだ見ぬ誰かを思い出すのだ。

「あなたは」

この声に逆光の中、静かに背を伸ばした小さな姿。

「誰ですか」

逆光のまま、掌に受けた茶碗を静かに卓へ戻す影。

「お兄さん」

その声は確かに、この天界で幾度も聞いて来た声。
最初から助けて下さった。まるで突然目前に落ちて来た天恵のように。
この方がいらっしゃらなければ何も出来なかった。
奇轍を探す手掛かりもなく、夜をやり過ごす屋根さえなく、大雪の中凍えていても不思議では無かった。

「私ですよ?」

そうだ。ただ真直ぐに。
何処が良いのか判らないのに俺だけを見て、呼べばそうして何度でも笑ってくれる。
俺を頼り、背中に隠れ、それでも背から顔だけ出して隊長に向けて対峙してみせる。

「次に逢えたら」

気付けばこの口から飛び出した声に誰より己自身が驚く。
それでも今言っておかねば、次にいつ伝えられるか判らない。

「お兄さんではなく、名を呼んで下さい。すぐに判るように」
「お兄さんの名前・・・」
「そうです。チュンソク、と。大きな声で」
「・・・チュンソク」
「はい」
「チュンソク・・・」
「はい。聞こえれば、必ず駆け付けます」
「でもお兄さんなのに?さん付けじゃないんですか?」
「構いません」

天界と下界と。
俺とは世界の違う方だから、どのように呼ばれても構わない。
ただ間違わぬように。次に出逢えたその時すぐに判るように。

「・・・チュンソク・・・」

幾度も口の中でこの名を転がして、ソナ殿ははにかむように笑う。
誰もそのようには呼ばん。だからこそいつかその呼び方を聞けばすぐ判るだろう。
やはりこれは先を読む夢、正夢だったのだと。
天界でこうして偶さか出逢えた事に、必ず意味があったのだと。

「俺も呼びます」
「はい」
「気付いて下さい」
「はい」
「・・・少々刻は掛かるかもしれませんが」
「ずっと待ちます。待ってるから、必ず呼んで」
「はい」
「うーんと大きな声で。どんなに遠くても聞こえるようにですよ?」
「はい」

呼ぶだろう、必ず大声で。心から。その大切な名を。
あなたが誰なのか判ったその時、全ての想いを籠めて呼ぶだろう。

そしてあなたは何処に居ても振り向いて、俺へと真直ぐ駆けて来る。
まるで夢のようだ。その時こそ全て判ってあなたを受け止められる。
だから今は離れる。
あなたがどなたなのか、何故これ程に恋しいのか、判った時にもう一度堂々と御目にかかる為に。

「ソナ殿」
「はい」
「本当に、ありがとうございました。何もかも全て」

だから今は離れる。
いつの間にか暗く沈んだ冬の窓、寒さの忍び寄る窓際のあなたが泣いているのが判っていても。

胸を張り、その涙を拭く権利のある男として御目に掛かる為に。
「必ず、名を呼んで下さい。忘れないで下さい」
「・・・はい・・・」

今は拭けない。零れる涙を。握れない。頬を拭う柔らかな手を。
だからいつか、その資格が出来る時まで離れる。

「駆け付けます」
「・・・約束してくれますか?」
「はい」
「離れない?」
「たとえ離れても、再び」
「何度でも?」
「はい」

離れる事は別れだろうか。何度でも逢えるならそれは別れだろうか。
次に逢うまでの、ほんの少しだけ長い休暇なのではないか。
きっと暗い部屋の中、窓からの雪灯りに照らされたこの方も同じ事を考えておられる。
泣いているのにその震える声は、何処か温かく嬉しそうだから。

 

 

 

 

2 件のコメント

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    チュンソク… ソナが だれなのか?
    よくわかんないけど きっと何処かで会っている。
    (会っているでしょ ( ´艸`) )
    天界では兄弟としてだったのね~
    チュンソクって 呼ぶ声
    いっぱい聞けるよ
    チュンソクって 呼べば
    飛んでくるよ~
    約束しちゃったね♥

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    寂しいのに、少しだけほんわかするのは私かキョンヒさまを知っているから。チュンソクはまだ知らず、目の前のソナさんを思って…
    胸の中をきゅーっと締め付けられます。やっと言葉にできたね、チュンソク。頑張ったね。

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