2016 再開祭 | 木香薔薇・廿柒

 

 

「・・・確かに。しかし今回は捻挫があります。気と血が滞るのは、致し方ないでしょう」

最後の足掻きなのか、侍医はこの方を諭そうとするかのように反論を試みる。
それともそれが医官同士の会話なのか。
思い込みで治療に当たらぬよう、あらゆる方面から患者を診ているのだろうか。

「だから湿布薬を置いて来た。ミント・・・ハッカが入ってるから。
本当は半分だけ置いて残りは持って帰ってこようと思ってたけど、応急処置よ。
塗るにしたって、あの香りの強さならイヤでも嗅げるでしょ。ハッカは気鬱に効くから」
「おっしゃる通りです。では、右腹の痛みというのは」
「ああ、あれ?あれはヤマを掛けたの。もし痛くないならそう言うはずだわ。でもテギョンさんは言わなかった。
つまり自覚症状が出るくらい、肝が痛んでるって事よね。きっと腹部を触診すれば張りがあると思う。
捻挫だから、昨日はそこまで診てないけど」

医官同士、顔を突き合わせて治療の話をするのは構わん。
この方の役目でもある。そして俺の前で伝えるのなら、後ろめたい気持ちがある訳がない。
静聴しろと言われるなら幾らでも聞く。
この方がこれ以上、分別もなく俺の妻に懸想した男に関わらぬというのなら。

しかし先刻の声だけは判らない。
医の道も知らず、何を加勢出来る訳でもない俺への願い。

ヨンアにお願いがあるの。

「それからもう1つ。右腹って言ったのはね、シーツは一面乱れてたけど、特に右側の乱れが激しかったの。
肝臓は体の右肋骨直下にあるわ。痛ければその辺り。庇うためにたいがいその右脇腹を下にして、横臥姿勢で背中を丸める。
あの寝台の右側は壁よ。そっちが乱れるって事は、起きて寝台から下りようと動いたせいじゃない。
それなら寝台に乗り下りする左側が乱れるはず」

もういい加減諦めた方が良い。
侍医がどれ程否定しようと、素人が聞いてもこの方の言い分に理があるのは判る。
酷い汗、握った拳、敷布の乱れ。
侍医もそれを認めたのか、この方の声に諦めたように頷いた。
「でね、ヨンア」

次にようやく俺へ矛先が向く。向いたのはその矛先だけではない。
この方は椅子の上で体ごと廻り、この膝とその小さな膝が突き合うまで近く向き合った。

聞かせてもらう。その頼みとやらを。
そして侍医が何にしくじったのかを。
「はい」
頷くと、この方はいきなり思いもかけぬ問いを投げた。

「ヨンアは、どうして武道を始めたの?お父様も御一家も、代々文官の名門貴族だったのに」
「・・・叔母上に手解きを」
「ああ、そうかぁ。反対はされなかった?」
「したい事をせよと」
「やっぱり素晴らしいお義父様なのね」

この手で御両親から引き離してしまったこの方に頷く訳に行かず、明るい声と晴れやかな表情を注視する。
此度は俺と父上の繋がりか。
では願いとは一体何なのだ。

「でも、普通は文官貴族は、なかなか武術を習えないの?」
「・・・家訓に由るでしょう」

武術という泥と汗に汚れる修練自体を、学問を修めるより卑しいと思う文官貴族も、少なからず居る。
そして高位の貴族ならば、武に関わる事で謀反の疑いありと嫌疑の掛かるのを厭う場合もある。

しかし厭うのは王族に連なるような、真に高貴の方々に限られる。
それこそチュンソクのお相手、敬姫様や儀賓大監のような。
大抵の腐れ貴族の子弟はこう言うだろう。

そんな暇があれば勉学の合間は、親の金子で女と遊んだ方が良い。

しかし其処には考えも及ばぬのか、この方は慎重な様子で問いを重ねる。
「習う人もいる?」
「文武両道は古より貴きものと」
「21世紀と同じね。じゃあ、習っても別に問題はない?」
「ええ。しかし大方の文官貴族の子弟は、それに割く刻がない」
「そうかー。科挙の受験勉強とか、そういうことで忙しいのね?」
「はい」

だいぶこの世の則を判って下さっているのが嬉しくて、俺はつい甘い顔を見せた。
そして甘い顔の隙を突き、懐にもぐり込むのが恐ろしく上手いのがこの方なのだ。

「じゃあヨンア、テギョンさんを鍛錬してあげてくれない?」

己の耳が信じられずに眸を瞠り、目前のこの方を凝視する。
侍医はこの方の一言に酷く気まずい咳払いをし、卓向かいの此方から視線を逸らした。

「・・・今、何と」

ヨンアにお願いがあるの。

まさかこれがその頼みか。

「テギョンさんをうちに呼んで、鍛錬してあげて欲しいの。足首を柔らかくしたいし、再発防止にもなるし、回復も完治も早めるわ。
何より、彼はすごくスト・・・気鬱が溜まってる。
詳しい理由はこれから聞くにしても、カウン、えーと、話して発散するだけじゃなく、体も動かすに越したことはないから。お願い」
「正気ですか」

考える前に口が滑る。
正気か。
あなたに懸想する男を宅に呼び入れ、あなたが俺の為に丹精したあの庭で、自ら鍛錬をつけるなど。

いや、死んでも良いと言うのなら構わない。
死ぬ程という生温いものでなく、死ぬまで鍛錬して良いのなら。
誰より命を大切にするこの方にはたとえ堪忍袋の緒が切れようと、口が裂けようと、決して言えはせぬものの。
最後に残った僅かな冷静さで黙った俺を良い事に、得意げな声は朗々と続く。

「あなたの事はちゃんと話した。私の大切な旦那様だって。ね?キム先生、私ちゃんと自分の口から言ったわよね?聞いたでしょ」
「はい」
「ほらねー?先生が証人よ。隠すつもりなんて、最初っから全然なかったもの!」

この方の自信満々得意げな声に、侍医は深く頷いた。
この方を褒める訳ではなく、俺の激昂を収めんが為に。
「では何故我が家に」
「チェ・ヨン殿、それは」
「私が提案したの、うちに来てって。私はこれからも出来る限りテギョンさんのとこに通うからって」
「・・・は?」

約束が違う。承認欲求とやらは如何なったのだ。
それを抱えているかどうかを確かめに行ったのではないのか。
心の病を抱えておらぬのなら、後の事は侍医に任せるのでは。

昨夜交わした縁側での会話。この方は言った。
初見の他人の妻に恋するなら、普通ではない。
確かめて来る、侍医と共に。

・・・言っただろうか。その紅い唇で誓ったか。
問題がなければ後は侍医に任せると言ったか。

何を話した。あの若造がこの方に懸想した話。
顔を挿げ替える話。死ぬ前に生まれ変わる話。
この方の世でも医官に心を寄せる事はあると。

しかし約束したろうか。誓って頂いたろうか。
行って確かめ、何事もなくば残りの治療は侍医に預けると。

裏で男だけが話を進めた。守はトクマン。そして治療は侍医。
まして若造が、あなたに懸想していると注進を受けてからは。

肝心のあなただけが荒れる波紋の中心に立ち、まるで凪の海にでもいるように、何も知らず治療に専念していた。
波紋を大きくしているのが御自身だなどとは夢にも思わずに、御自身の全てを傾けて。そしてその帰結がこれだ。

懸想した男を引き入れて、選りによって俺に鍛錬を付けさせる。
そしてご自身はこれからも機会があれば奴に会う。
何処をどう捻れば、そんな恍けた答を引き摺り出そうと思える。

「侍医」
「・・・・・・はい、チェ・ヨン殿」
知っているのは男達だけだ。この煮え立つ肚裡が判るのも。
そもそも相手の懸想にすら気付かぬこの方に判る筈がない。
「やってくれたな」

返す言葉もなかろう。侍医は無言で肩を落とし、深く頭を垂れた。

 

 

 

 

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7 件のコメント

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    今回はウンスの
    自分本意な行動に
    だんだん腹が立ってきました!
    ヨンを本当に大事な旦那様と
    思ってるんなら、ヨンの気持ちを
    もっと分かって欲しいです(-""-;)

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    一人暴走するウンスに、まんまと振り回される男たち…( ´艸`)
    善意の暴走?だから始末に悪いですね~
    でも、坊ちゃんの心の病を治す為だもの、
    ヨンも何とか悋気を抑えて、協力してあげて下さいね。
    坊ちゃん&お付きに少しぐらい意趣返ししてもいいから…
    ウンスもいつまでも無事では済まないかも…
    最後はヨンの甘いお仕置きが待っていたりして…

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    凄い飛んだ話だね(((((((・・;)ウンスだけが話したね…他の立会人達の話聞かなくて大丈夫?ウンスだけがやりたい放題で周りを振り回している感じだが!Σ( ̄□ ̄;)

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    今回は、チェ・ヨンの立場で
    読ませて頂いています。
    心理学も習った、凄く聡明なウンスの筈・・・。
    誰よりも愛している旦那様の心理が
    把握出来ないとは・・・。
    この状態が、反対の立場だったら
    どうする?って、少し立ち止まって
    考えて欲しいなぁ~。
    ウンスは、医師としての考えで
    行動しているのでしょうが・・・。
    ヨン、さぁ~どうしましょうか?

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    うーん…
    難しい話だなぁ
    早く大人になる時代、その時代の当たり前が
    現代の大人
    (ウンス…大人の人間であり女性、そして医者)
    から見れば
    このままじゃマズイよね?この子
    間違いなく潰れると感ずれば
    何かしらの手を相手のプライド(男の子)を考えて
    手をだす
    自信がないなら自信を
    自分の中の渦の様に滞る激流を…流せる強さのきっかけを
    枷を外せる強さを
    自分自身を許せる強さを
    自分の心を開き頼れる事を知る事を
    親が駄目なら
    友達が…仲間が
    その子を知ってしまった大人が手を貸してもいい
    いい大人が!というが
    どれだけの人間がそんなに強いのか?
    経験値の少ない者に助けは…必要だよねぇ(・・;)
    恋愛感情は別物だけれど
    いい男達に手ほどきを受けた後の彼は、そんな事もわからない原石だとは思えない様に思う
    生きてきた時代の人との関わりかたが違うから
    感に触るんだろうと……?
    人と人が関わる時間が解決してくれる
    みんーんな…優しいから(#^.^#)

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