2016 再開祭 | 桃李成蹊・7

 

 

「うーん」

月を見上げたままそぞろ歩く俺の脇、幸せそうな思案声。

「ユスク・・・焼肉?ワインバー・・・夏だしモヒートもいいな。それともケジャン、テジキムチ?
まだ暑いから冷麺も。ああ、いっそムカムカするし、ポジャンマチャで騒ごうか。
マッコリにスンデ、タットンチプにプデチゲ」

指を折って月ではなく俺を見上げ、その瞳がにこりと笑んだ。
「おいしいもの食べよう。で、下らないことは忘れよう。私たちが巻き込まれる必要も、いやな気分になる必要もないわ。ね?」
「はい」
「たくさん飲もう、って言いたいけど、体形管理はプロの基本だし」

見上げる瞳に悪戯そうな光が走る。
「代わりに私が心ゆくまで飲んであげる。行こう!」

並んで月の下、知らぬ町を歩くだけで嬉しい。
繋ぐ事は無くとも横に小さな手が揺れる、手を伸ばせば触れられる、そう思うだけで温かい。
終わらぬ声に耳を傾け、浮かぶ笑顔に頷き、ただ黙って見つめ、こうして共に居たいと思う。

「何なのよね?みんなして。あなたはあなたで、そこらのアイドルやモデルや芸能人なんかとじゃ比べ物にならない英雄よ?
国を助けるヒーローで、おまけにこんなにかっこいいのに」
そうして拗ねて膨れれば、髪を撫で落ち着かせてやりたいと思う。

「誰もあなたを知らなくても。英雄じゃなくても、ヒーローじゃなくても、私はあなたを愛してる。
何より大切なのに、みんなあなたを傷つける。好き勝手なことばっかり言う」
そうして涙ぐみ俯けば、その頬に手を当てて拭ってやりたくなる。

俺なら大丈夫だ。あなたが大丈夫ならそれで良い。
何処に居ようと、本物だろうと贋物だろうと、周囲が何を思おうと。
だがこの方が割り切るのは、容易でないのだろう。

「ここはイヤ。高麗に帰りたい」
「・・・はい」
「でもその前に、ごはん・・・」

せめて二人になれる場所へ。これ以上折れそうな踵の沓で歩かせたくない。
馬なし馬車を停めようと腕を上げかけた俺の脇、突然押し殺した声がする。
「・・・何してるんだよ!」

周囲を見廻した後、耳許に口を近づけ発した嗄れ声。
そのまま上げた俺の腕を掴みに来る腕を捻って振り解けば、男は大袈裟に顔を顰める。
「いた、痛いって!アクションはいいから!お前ギプスは?勝手に外したのか?!
勘弁してくれよ、折ったばっかりで」
「何の事だ」
「ああ、もういい!すぐそこに車停めてあるから早く!お前そんな服持ってたか?いつもと全然違うから見つけるのに時間が」

男は此方には一向に答えず、勝手な言葉を吐き散らす。
同時に周囲から他の二人の男が駆け寄った途端、三人で周囲の目から隠すように壁を作り 足早に歩き始める。
「ヨンア?!」
小さな叫びと共にあの方が慌てて伸ばす指先が、上衣の裾を掠めて逸れる。
「待て!」

左右の脇を固めた二人の男が人目につかぬよう衣の影で抑えた腕。
その固め方は武術の素人ではない。まさか天界で。
「いいから!詳しくは車の中で聞く。とにかくこっから移動しよう。こう人目が多くちゃ話も出来ない」
「ヨンア!」
此度人が集まるのは俺の所為ではない。これ程大仰に騒ぎ立てるこの男達の所為だ。

殴り倒してあの方の許へ戻ろうと、固められた腕を解き振り上げた途端。
俺達を隔てる人だかりの向こうから、はっきりとあの方の声がする。
「ダメ、ヨンア!暴力はダメ!!」
「イムジャ」

あの声で止められれば為す術もない。
三人の男に引き立てられながら振り向けば、周囲を無遠慮に取り囲む人波に押しやられる影。
そして新たに走り寄る者らに次々ぶつかられながら、小さくなるあの方が首を伸ばして叫ぶ。
「ガマンして!!すぐ迎えに行く」
「イムジャ!」
「ミノオッパ!!」
「ミノ、いいから早く」
「通して!」
「ミノー!」
「こっち向いて!」
「危ないです、どいて下さい!」
「ミンホ愛してるーー!!」

男達の怒号、人の騒めき、訳の分からぬ悲鳴のような金切声。
それでもあの方の声だけが人に隔てられた耳にはっきり届く。

「必ず行くから、信じて待ってて!」

 

*****

 

「どうやって抜け出たんだよ・・・」

真黒い馬車の後部座席に押し込められ、後から男が乗り込むと俺を潰すほど近くにじり寄る。
他の男二人は前の扉から次々に乗り込み、この答を待つ前に勢い良く夜の町へと走り出す。
まるで尻に一鞭入れた若駒並みの力強さで。

「社長は?家にもスタッフ置いといたんだぞ。下にもガードマンがいたろ?」
脇の扉を開けようと取手に指を掛けて引いても、分厚そうな扉は全く動く気配がない。
「・・・何やってんだ?心配しなくても、いつも通りロックしてるよ。記者に開けられたら困るって」
「降ろせ」
「無理言うなよ、社長にばれたらまた雷が落ちるぞ。今日だってペンカフェにお前の動画がアップされてて、慌てて探し回ったんだから。
何であんな目立つカフェでキョジュンさんと会ってたんだよ。電話鳴りっぱなしだよ、新しいプロジェクトか、それともトラブルかって。
火のないとこにも煙を立てるのがディスパッチの一枚だぞ。見ようによってどうとでも取れる。ましてあの女性に上着まで掛けて」

よく話す男だ。
あの方の一言さえなくば、この場で殴って黙らせ逃げ出すものを。
「そうだよ。あの女性、誰なんだよ?」
「妻だ」

真剣に答えれば男は口を開け、前の男ら二人と顔を見合わせる。
三人して間抜け面を晒した次に、奴らは一斉に噴き出した。
「ミノーぉ、いくら冗談好きでもそれは」

窓まで真黒く塗り潰した馬車内、男は横の俺を見て首を振る。
「・・・お前、本当にどうしたんだよ?疲れてるのか?腕を折った時、頭も打ったとか・・・病院行こうか。
MRIでもCTでも。ああ、だけど俺の一存じゃ」
「打っておらん」
「第一お前、その話し方が変だろ?史劇じゃあるまいし」

光の溢れる道。道を蹴り見知らぬ何処かへ俺を運ぶ鉄の馬車。
あの方は来る。信じて待てと言われれば、そうするしかない。

真黒い窓を肘で叩き割り夜の道へ飛び出したとしても、右も左も判らない。
あの方をこれ以上心配させるくらいなら、此処で待つのも策のうち。

待っていろ。あの方が再び戻った暁にはお前ら一人一人に礼は返す。
俺のあの方の心を痛ませた礼、悲痛な叫び声を上げさせた礼。
あの人波の中に唯一人、あの方を取り残させた礼をたっぷりと。

「とにかく帰ろう。社長に報告してマスコミ対策を考える。いいか、余計な事は話すなよ?
コメントはこっちで書くから、何か聞かれたらそれだけ言っておけば」

その声に鼻で哂い肩を捻って、初めて正面から脇の男の顔を眺める。
俺の視線に鼻白み、男が驚いたように目を瞠る。
「・・・何だよ、いつもそうしてるだろ?」

誰かは知らぬが俺と瓜二つというその男を、心から気の毒に思う。
筋書通りの言葉を繰り返し、そして共に居る筈のこいつらはこれ程近くで俺を見ながら未だに人違いと気付かない。

どれ程似ておろうと俺の周りで、俺とそ奴を間違える奴は居らん。
それだけでもその男は充分哀れだ。見知らぬ俺が同情を寄せる程。

 

 

 

 

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