1日があっという間に過ぎていく。
365日の1日は同じ24時間の筈が、12月は体感的にずっと短い。
日暮れの時刻が早く、夜が長いからだろうか。
町を行き交う通行人が急ぎ足のせいだろうか。
それでも雪を避けて足早に歩く町は、1日のうちで一番明るい時間帯。
腕に巻く時計も、手袋をつけたまま手を突っ込んでいるポケットの内側で指先に触れるスマホ画面も、同じ時間が表示されている。
11:00 a.m
一番温かい筈の時間帯、遠慮なく吹きつける雪を避けて被っていたジャケットのフードを深く下ろし直す。
通りの急ぎ足の通行人を避けながら、待ち合わせ場所へと急ぐ。
今日の俺は立ち止まる暇はない。
この北風の中で止まったりしたら、あっという間に凍りそうだ。
待ち合わせのカフェのドアの表で、ジャケットの肩にうっすら載った雪を叩き落とす。
ドアマットの上で靴の溝に入り込んで凍りかけたシャーベット状の雪を踏んで落とす。
そこまでしてからガラスの扉を押して、ウィンドウチャイムの音の中、店内へと入る。
無言で見渡す店内の入り口近く。テーブルに向かい合う2人連れ。
ガードの定石通り、対象者はドアに背を向けて座っている。
そして1つだけの出入口の方へ顔を向けて座っている先輩が、椅子から腰を上げた。
ここだと合図に上がる手に黙礼を返し、ひとまずドリンクを買いにカウンターへ直行する。
前に列を作っていた数人が捌けたところで続いてオーダーする。
「ラテ。ショット追加、ノンファットミルク、エクストラホットでお願いします」
「熱いもの、冷たいもの、どちらに?」
カウンターの若い女性店員に真顔で聞かれて怒る気にもなれず、俺は低い声で返した。
「・・・出来るだけ熱め、で」
俺は韓国語で話したつもりだったんだが。
仕方ない。この時期は学生のアルバイト店員が増える。どの店も目の回るような忙しさだろう。
仕方ない。まともなコーヒーが飲みたければ、チェーン店のカフェに来るべきではない。
冷えた体を温める熱いラテは諦めるべきだろうと既に思いながら、ドリンクの完成を待つ。
そして出来上がったラテを受け取り、先輩たちの席へ戻る。
「何かあったか?」
ドリンクカウンターを目で示しながら先輩が確かめる。
曖昧に首を振りながら一口啜ったラテは、予想に反して舌を焼く程熱かった。
但し肝心のエクストラショットにするのは忘れたらしい。
俺の韓国語の問題か、それともバイト店員の業務課題か。
妙にぼやけた味のラテを手に、目の前のガード対象者を確認する。
既に始まっている。いや、店に入って来た時から。守るのか断るのか、いずれにしても迷う暇もない。
俺が断れば先輩はプランBへの変更を強いられる事になる。結論を出すなら一刻も早いに越した事はない。
デフォルトは「断る」にチェックが入っているから、その観察眼は嫌でも厳しいものになる。
さっきのバイト店員みたいな言語バリアがあるようでは、ガードも儘ならない可能性がある。
年末年始。先輩に言われた通り世論は騒がしく、次期大統領選はいつ公示されても不思議はない。
守るにしても断るにしても、目前の女性の一言が国をこの先を左右する事も考えられる。
その意味でも現状で俺がガードに付く事を、国情院が反対すべき大きな理由も見当たらない。
うまく行けばその証言ひとつで、弾劾決議の判決もひっくり返る。
元大統領、そして次期大統領の諸刃の剣になり兼ねない目撃者。
国情院が野放しにしておきたい訳がない。
賓客としてもてなすか、目の上の瘤として闇に葬るかは別として。
女性は真っ正面から視線を受けて、物怖じせずに少し微笑んだ。
年齢は20代後半。青瓦台が契約社員として契約できる最若年層。
総務秘書官室と言えば大統領と直接顔を合わせる事も多い部署。
その職務上か、それとももともとの性格なのか、身なりや化粧は派手ではない。
上質の服を身に着けた、薄化粧の端正な顔立ち。
まずは外観をインプットする。
人波に紛れ離れてガードするにも尾行するにも、服装や化粧が変わって見失わないように。
推定165cm。体形はごく標準。現在は整形美人ではなさそうだ。
鼻。これは手術でいくらでも変わる。口元も同様に。
どちらも何かを注入すれば、その形状や印象はがらりと変わる。だからそうした箇所には注目しない。
目の形が独特だ。
アジア系に多い切れ長一重のフーデットアイでなく、かといって欧米系の彫りの深い二重でもない三日月型の目。
虹彩の色は淡い茶。絶対に変わらないその色を憶える。
目の形は整形手術で変えられても、虹彩の色まで変えるのはタトゥしかない。
もしカラーコンタクトを着用していれば、眼球の動きで判る。
乾燥したコンタクトが眼球の動きでずれ、虹彩縁に不自然な線が出来る。そんなコンタクトを着用している様子もない。
ひたすら目を覗き込む俺を不思議そうに見つめ返し、女性が口を開いた。
「あの・・・私の顔に、何かついていますか?」
その声に首を振って、俺の隣の先輩が頭を下げた。
「いや、こいつの人間観察は職業病です。気にしないで下さい」
「ああ、良かった」
女性はほっとしたように先輩に頷くと
「雪のせいでメイクが崩れたのかと思いました。パンダになってるとか」
「いえ、大丈夫ですよ」
この二人は随分打ち解けてるようだ。
普段なら女性男性に限らず、柔和な顔をしてガードが堅い先輩も、今はかなり砕けた口調で話している。
それとも女性に警戒心を抱かせない為の、グッドコップの演出か?
何とも言えずその和やかなやり取りを見る俺の視線に、先輩が視線で聞き返す。
どうだ?
見て5分で返事も出来ない。小さく首を振ると何も知らない筈の女性が、明るい声で続けた。
「あ、初めまして。クォン・ユジと言います。お話は刑事さんから伺っています。
すごく優秀な後輩がいるんだって、嬉しそうで」
「・・・キム・テウです」
「はい、テウさん」
真直ぐ呼ばれて、ちょっと驚く。
普通なら刑事さん、いや俺は刑事ではないが・・・先輩経由ならそう呼ぶのが自然なんじゃないだろうか。
保護が必要だと先輩から散々吹き込まれてきたせいか、あっけらかんとした声に拍子抜けする。
そして熱いラテの湯気の向うのクォン・ユジと名乗った女性を、俺は改めて見つめた。

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