2016再開祭 | 加密列・伍

 

 

一体どういう事だ。
天の医官を見つけ出し、あともう少しでその行く手を阻める距離まで近づいた時、急に目前で走り出された。
しかし王命でお預かりした天の医官に、乱暴な真似は出来ない。
まして新王からの王命だけではない。
王妃媽媽の命の恩人でもあり、他ならぬ迂達赤隊長の賓客としてお預かりしている天人でもある。

丁重に。礼を尽くして。驚かせる事のないように。
ゆったりと見えるような歩幅を装い、内心の焦りを隠してその背まで近寄ろうとしたのに。
いきなり一人の雑司に駆け寄り、二言三言の声を交わしたと思ったら、急に雑司が天の医官の手を握り歩き出す。

私に気付いたのなら、敢えて逃げるだろうか。逃げれば面倒な揉め事に関わり合いになると判る筈だ。
現に私は周囲の目を気にしつつ、こうして出来る限りの速さで二人の後を追い掛けているのだから。

雑司は石畳の径を逸れると皇庭の隅の目立たぬ道を選んで分け入り、奥へ奥へと進んで行く。

天の医官を掴まえるのが遅れれば遅れる程、隊長の診察が遅くなる。
王妃媽媽の御首の傷も、手術を施した医官に診て頂かねばならない。
何より隊長の命でお預かりしている以上、誰とも判らぬ雑司に攫われ見失うような事が起きてはならない。

新王の周辺は、恐らく天の医官を今後利用しようとしている筈だ。
その計に乗るも拒むも、天の医官をお連れした隊長のお考え一つ。
私の判断ではない。
そして隊長の気持ちが定まるまでは、医官をお預かりした私が典医寺でお守りしなければならない。

その女人らの背を、いつでも手の届く場所から見ながら追って行く。
周囲に見張りの兵が多過ぎる。
ここで天の医官を無理に奪還すれば、雑司が疑いの目を向けられる事は間違いない。

第一あの方が天人だと、周囲には伝わっているのか。
公にして守るのか、それとも秘したままで返すのか。
少なくとも隊長の口から、どうするお積りなのか聞かされていない。
もしも隠しておきたいなら、ここで騒ぎを起こすのは好ましくない。

そして天の医官。
典医寺を抜け出したと知った時には、一目散に天門へ逃げるとばかり思っていた。
それは困ると迷わずに後を追ったが、その気はないのか。
あるとするなら、何故誰かに道を尋ねたりするような事をするのか。
そのまま隠れて皇宮から脱けるならいざ知らず。
何故敢えて雑司に声を掛け、次は何処まで行く気でいらっしゃるのか。
そしてもしも皇宮を出る道を尋ねたなら、何故二人で手に手を取って大門とは逆方の皇庭を奥へと進んで行くのか。

そもそもあの二人が知り合いなのか。
そんな筈はない、天の医官は皇宮に到着したばかりだ。何処に連れ出した事もない。
もう何が何やらさっぱり判らない。
初対面の折から、あの方は私の理解の範疇を超えている。

患者を前に御託を並べるだけで、診るとも治療するともされない事。
腕がないなら理解しよう、患者を危険に晒さぬ為と善意に捉えよう。
しかし御託の挙句手術に入れば、凄まじい程の天の技を持っている。
あれ程の手腕をお持ちなら、私なら話す前にまず治療をするものを。

逃げるお積りか、それとも留まるお積りなのか。一先ず今の時点で私が確かめる事はそれだけだ。
だからこそ人目を引きたくない一心で、無言で二人の後を追う。
せめて兵の目には前を行く女人らの保護者に見えるように祈りつつ。

 

*****

 

「どうぞ、ここです」
「・・・えーっと、ここは」
「洗濯場です」

ニコッと笑って、彼女は石を敷き詰めた一角を指差した。
確かに国史の教科書で見たような、歴史の遺物って感じの四角い枠がいくつか並んでいる。
その枠の中にはタライが収まってるし、それぞれの枠の横には大きなカメが備えてある。
「洗濯場」
「はい。ここなら水が使い放題ですよ」
「・・・う、ん、そうよね。ありがとう。でもさすがにここで裸には」
「そのままで浴びましょう、沐浴ですから」
「はい?!」

彼女は何でもないように言うと、私の赤い上着を指差した。
「それは今のうちに洗います。その間にあなたは水浴びを」
「服のまま?」
「そうですよ、沐浴ですもの」

何でもないように言われちゃうと、私の方が変なのかって気分になってくるから不思議よね。
素直に上着を脱いで、彼女に渡す。
彼女はそれを受け取ると、私の立ってた隣の枠の中のタライに、水ガメの水を注ぎ始めた。
「御国では、こんな風に沐浴はしないのですか」
「え?」

どうやら外国人だと思われたのかしら。彼女はタライに水を満たすと上着を入れて踏み始めた。
「私も最初は驚きました。高麗は沐浴や入浴が盛んで、それも男女一緒です。
小川でも干潟でも、水のある場所には人が集まって、男女の別なく半裸で。もう慣れましたけど」
「外国の人なの?」
「私は元の者です。亦憐真班様の雑司として、幼い頃に皇庭に」
「いりんちんばる?」

呼び捨てにすると彼女は慌てた顔で、唇の前に人差し指を立てた。
「しーっ」
「あ、つい」
「何と言えば判りやすいでしょう・・・徳寧公主様なら判りますか」
「うーん、それも・・・」

まずは、服を着て水を浴びるのはOKなわけね?
確かにここならいくらでも遠慮なく浴びられるし。
いいわ、浴びてやる。ついでに服も着たままで洗濯よ。
夏だし、風も涼しいし、このスーツの合成繊維ならすぐ乾くでしょ。

私は横に据えられたカメの中から、舟形の柄杓で水を汲み出した。
それを目をつむって、肩から一気に掛ける。
冷たい水が服に染み込む何とも言えない感触を感じながら、彼女に向かって聞いてみる。

「ねえ、洗濯石鹸、貸してもらってもいい?」
「もちろんどうぞ」

彼女が差し出した小さな桶に入った、石鹸らしきものを手に取る。
白いスーツに飛んだ血痕になすり付けると、指先でもみ洗いする。
彼女はタライの中身を踏みながら私の表情を確かめると、面白そうにまた笑った。

 

 

 

 

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1 個のコメント

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    郷に入らずんば郷に従え…
    お湯がいいなぁ
    背に腹はかえらない
    水でもいいから さっぱりしたい!
    具合悪しの ヨンには(悪くなくても…?)
    理解できないだろうなー
    洗濯始めたし ふふふ

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