春花摘 | 福寿草・12

 

 

「姫様」
必死に小さな声で人波に呼びかける女人に、目立たないように背後からそっと近づき声を掛ける。
「お静かに、お願いします」

女人は声に肩を震わせると、ぎょっとした顔で振り向いた。
その顔が余りに怯えすぎていて、途端に罪悪感で胸が痛む。
いや、痛む必要なんてないよな。
寧ろ周囲に聞こえたらこの女人もそして隊長も、きっと面倒に巻き込まれるに違いないんだから。

「騒々しくして申し訳ありません」
「ああ、いえ、違うんです。あなたを責めてるんじゃなく」
「でも、姫」
「それなんです」
「はい?」
「キョンヒ様、をお探しですよね」
「・・・ああ・・・!」

女人はようやく俺が何を言いたいか判ったように、その手で強く自分の額を押さえた。
「おっしゃる通りです、動転してついうっかり」
「判ります。一緒にお探しします」
「お忙しい御手を煩わせる訳には」
「いえ、キョンヒ様でしたら隊長の許嫁でもありますから」
「隊長」
「はい」

目の前の女人は俺の鎧姿を見て、合点がいったように頷いた。
「では、迂達赤の方でいらっしゃるのですね」
「はい、トクマンといいます」
「そうでしたか、それなら尚更お願いできません。大護軍様の御婚儀の警護をしていらっしゃるのでしょう」
「ええ。ですからお客様をお守りするのが、今日の役目です」
「でも・・・」
「まずは目立たないように、隊長へ報告してきます。その後一緒にキョンヒ様をお探しします」
「宜しいのですか」
「勿論です。御婚儀でキョンヒ様にもしも何かあれば、大護軍にも隊長にも顔向けできません」

大護軍にはどやされるだろうし、隊長にはそれでは済まないだろう。
何よりも大切な大護軍の御婚儀に土をつけるなんて、縁起でもない。
俺が言うと、その女人は大きく首を振る。
「あなた様がではなく、私こそチュンソク様に顔向けができません。私が付いていながらこんな失態を」
「でしたら、まずは急ぎましょう、ええと・・・」

そこまで言って、まだこの女人の名すら知らない事に気付く。
侍女殿で良いのか。呼びにくいよな。他人行儀だし、第一キョンヒ様の名を伏せても、人波でそんな風に呼ぶのも。
「あの、お名前は」
「失礼致しました」

慌てて深く頭を下げて、目の前の女人はようやく名乗ってくれた。
「私はひ・・・キョンヒ様の乳姉妹で、ハナと申します」
「ハナ殿」
頭に刻むように呼びかけて、俺は頷いた。
「ではハナ殿、隊長の処へご案内します」

 

******

 

「あれ、ハナ」
大護軍の広い庭の中、人波を縫いようやく辿り着いた隊長の持場。
足早に近寄った視線の先、隊長の横に立つ小柄な女人が背伸びをしながら呼んで、美しい唐絹の袖を大きく振った。
「どうしたのだ、こんな処まで」
「ひ・・・キョンヒ様!!」
隊長が、そして俺が何かを言う前に、ハナ殿の大きな声がする。
「何故ここにいらっしゃるのですか!!」

今まで不安げに、雑踏に呼び掛けていたのと同じ方とは思えない。
ハナ殿は目の前を行き交う雑踏をものともせずその間をくぐり、あっという間に隊長とキョンヒ様の元まで寄る。

「チュンソクに会いに来たのだ。探して回ってやっと見つけた」
鷹揚におっしゃるキョンヒ様の横、隊長が俺に問う。
「トクマニ、チンドンに会ったのか。早かったな」
「・・・はい?」

予想もしなかった隊長の言葉に首を傾げる。
「持ち場を離れる訳には行かんから、お前を探してキョンヒ様をお迎えに来るよう託けた。だから来たんじゃないのか」
「すれ違いです。俺はハナ殿と行き合って、キョンヒ様を探しに」
「御覧下さい、ひ・・・お嬢様」

厳しくなったハナ殿の声に、さすがにキョンヒ様のお顔が曇る。
「黙ってあちこちへ動かれると、こうしてチュンソク様がお困りになるのです。たくさんの方々に無駄足を踏ませてしまいます。
お嬢様は、チュンソク様や皆様を困らせたいのですか」
「そんな事ない!だけど」
「だけど、何ですか」

ハナ殿は言いながら、キョンヒ様の前で膝を折った。
キョンヒ様は地に膝を付けたハナ殿に、幼い子のように言い募る。
「どうしてもチュンソクに会いたかったのだ。折角のウンスと大護軍の御婚儀だし、私も綺麗にしてもらったって見て欲しかったし」
「後で見て頂けます。お忙しい時にお願いする事ではないのですよ」
「だって」
「お嬢様は、チュンソク様の奥方様になられるのでしょう」
「うん」
「ウンス様をご覧下さい。ああして大護軍様の横で静かにお控えです。大護軍様を困らせたり、皆様に無駄足を踏ませたりされないでしょう」

いえ、散々困らせていらっしゃいますけれど。
俺は思わず胸の中で呟いた。
ふと見れば隊長も何とも複雑な顔で、ハナ殿から微かに目を逸らしている。
けれどそんな俺達には目もくれず、ハナ殿はキョンヒ様だけを見て言い募る。

「お嬢様もウンス様をお手本に、チュンソク様をお支えするような立派な内方様におなり下さい。いつまでも我儘ばかりではいけません」

お手本にされるのが医仙ではちょっと。思わず口を突きそうな声を噛み殺す。
そんな事は何も御存知ないハナ殿に厳しく諭されて、キョンヒ様の瞳が潤む。
「どうして、そんなに厳しいのだ。近頃のハナは」
「ひ・・・お嬢様」
「今まで、そんな怖い事言わなかったのに。どうしてこの頃いっつも、そんなに厳しいのだ」
その声を聞きながら、ハナ殿の目の縁が赤くなるのを俺は見た。
ハナ殿は小さく息を吸うと、その目を誤魔化すように首を振る。

「婚儀の衣装を見に行った時は嬉しいって言ってくれたのに、でもこの頃のハナはすぐ怒る。
すぐにチュンソクを困らせるな、とか、こうしたら駄目だ、とか。私は、そんなに駄目ばかりなのか」
「そうではないのです。頑張っておられるのは誰より存じております」
「だったら何故怒ってばっかり」
「ひ・・・お嬢様」

ハナ殿はしゃがみ込んだまま、キョンヒ様に優しく声を掛ける。
「チュンソク様に嫁がれたら、ハナは一緒にいられません」
「・・・・・・え?」
「お嬢様はチュンソク様の奥方様になられるのです。これよりは他の者を率いて、チュンソク様の御内一切を取り仕切られるのです。
ですから、どうか憶えて下さい。ハナがご一緒できる今のうちに」
「え?」

キョンヒ様が予想もしなかったというお顔で、慌てて横の隊長を振り返る。
隊長もそれ以上に驚いた顔で、ハナ殿を止めるよう
「ハナ殿。そのお話はまた折を見て、ゆっくりと」
そう言ってハナ殿へと半歩踏み出したところで、気付いて隊長を見たハナ殿の目が頷いた。

「はい、チュンソク様。お役目中に申し訳ございませんでした。お嬢様、ハナと共においで下さいますか」
キョンヒ様は隊長を見上げ、隊長はキョンヒ様に優しい顔で頷いた。
それを見てキョンヒ様はしゃがんだままのハナ殿へと目を戻すとご自身の手を伸ばし、ハナ殿を立ちあがらせた。
「分かった、ハナ。行こう」
そこまでおっしゃると初めて気付いたように、そこに無言で立ち尽くす邪魔者の俺にも頷かれる。
「騒がせて、申し訳なかった」
「い、いえ」

首を振る俺と配置を守る隊長をそこへ残し、キョンヒ様は人波の中、幾度も隊長を振り返りながらハナ殿とその向こうへと消えて行った。

 

 

 

 

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