春花摘 | 福寿草・5

 

 

「・・・月の」
「は、はい」
典医寺から駆け戻ったテマンと兵舎の私室に向かい合い、何方からともなく眸を逸らす。
それはそうだ、男二人が顔を突き合わせて話す事ではない。

テマンもトギに伝えられた話だからと、痞えながらそれだけ告げる。
こいつもいきなりトギに伝えられて、どれ程慌てた事か。

逸らした眸の先の窓の外、遠くに春の花が揺れている。
黄は連翹や菜の花。白は雪柳に辛夷。新緑が萌えるのは暫し先。
今は霞空の下、花の色が勝っている。
「・・・そうか」
「と、トギがそう。でもう医仙は大護軍にはい言えないから、って。
本当は大護軍にも、黙ってろって、でも医仙の体のことだし」
「楽になると言ったんだな」
「え」

俺の問いにテマンが目を丸くする。
この話は適当に切り上げたいとは思う。それでもテマンの言う通り、あの方の体の事だ。
トギから直に話を聞いたこいつにしか訊けん。

「じき楽にと」
「は、はははい」
言葉少なく問うた俺に、出任せでは無いと言いたげにテマンは幾度も首を縦に振る。
「判った」
「はい」
「鍛錬だ。四半刻後に、兵を全員鍛錬場で待たせろ」
「はい!」

テマンは声と共に一目散に部屋を飛び出して行く。
あの方の弟分とて、気まずいものは気まずいだろう。
俺もそうだ。こんな話を弟から聞かされれば、顔から火が出る程に。

言えば良い。体調が悪い、苛りがする、月の・・・物が近いからと。
医官であれば、まして天界の医官であれば温めるなり冷やすなり俺を殴って欝憤を晴らすなり、何かしらを御存知ではないのか。

四半刻。行って戻れば刻は残らない。それでもこの足は勝手に扉を駆け出た。

「チュンソク!」
階を飛ばし駆け下りる俺の大声に、慌てたチュンソクが階下の私室から飛び出してくる。
「は!」
「すぐ戻る」
「は?」
「間に合わねば先に鍛錬を始めろ」
「は、はい!」

春の陽の下を全速で駆ける。
兵舎の庭ですれ違う奴らが、その勢いに慌てて左右へと避け道を開ける。

 

*****

 

「イムジャ!」

典医寺の私室の扉を蹴破るように開くと、中は蛻の殻だ。
窓から降り注ぐ陽射しが部屋を照らし、明るい縞模様を床に刻む。
それでも其処にあの方の笑顔が無いだけで、まるで打ち捨てられた廃屋のように寒々しい。

そのまま踵を返して部屋を飛び出し診察部屋へと駆け込む。
「侍医!」

勢いに驚いたように、顔見知りの医官が慌てて頭を下げた。
「大護軍様」
「侍医は、王様の往診か」
「いえ、仁徳殿へ」

医官の声に、康安殿へ向かいそうになった足が止まる。
「仁徳殿」
「はい、此度は半月に一度の御医の診察の日ですので」
「・・・何だそれは」
「いつもは我々医官が診ておりますが、腕の動きの戻りや体調を御医が伺って診察すると」
「あの方は坤成殿か」
「いえ、ウンス様も、今日は御医と共にお出掛けになられました」
「仁徳殿にか」

血相の変わっただろう俺に驚いたように、医官が口籠る。
「は、はい。御医もお一人で良いとお止めになったのですが、ウンス様がどうしてもご自身でも診察されたいと・・・」

侍医を一人で向かわせるのが心苦しかったのだろう。
あの方らしいと、言えない事も無い。
言えなくはないが、何故それなら先に俺に報せん。
俺が苦しい事はどうでも良いという事か。構わないのか。
あの鼠の他に、正体すら判らない、シンドンという男になるかもしれない遍照までが揃った仁徳殿に。

話した医官に頷くと、そのまま診察部屋を飛び出した。
今こそ雲が欲しい。風が欲しい。
この足でなく空を地を一駆けで仁徳殿へと辿り着ける速さが欲しい。

 

*****

 

「て、大護軍!!」
「退け!」
「はい!」

仁徳殿の外構えの門へ駆け寄る俺に、衛兵が慌てて守りの為に交叉した鉄杖を下す。
その鉄杖のすぐ脇をすり抜け、庭へと駆け込みながら
「開けろ!」

殿の入口の鋼扉を守る兵へ叫ぶと、兵は急いで懐から鍵を取り出す。
それが錠へと挿し込んで解かれ、扉が重い音で軋みながら開くと同時に中へと駆け込む。

「・・・チェ・ヨン殿。どうされました、そんなに急いで」
扉内の薄暗い廊下で遍照が頭を下げる。
「医官らは」
「中で徳興君媽媽のご拝察中ですが」

媽媽でも拝察でも無い。極刑に課せられる罪人の診療中だ。
苛りとしながら息を整え、短い廊下の先の鋼格子を透かし見る。
格子扉の脇に立つ兵の様子に異常はない。
ただ格子内、隅の方に目隠しの衝立が立てられ、中の様子が廊下から伺えなくなっている。

「誰が許した!!」

廊下で吠える俺に、遍照は疎か背後の鋼扉を守る兵も、目前の格子扉を守る兵もが飛び上がる。
「大護軍!」
「チェ・ヨン殿」

薄昏く短い廊下を踏み抜きそうに進む烈しい足音に、獄内の衝立の奥から慌てたあの方の顔が覗く。
「ヨンア?!」

その瞳に笑み返すのは、今は後回しだ。
「誰が衝立を許した!」
格子扉の鎖を閉ざす錠を震える手で開けながら、兵が額に脂汗を浮かべ、俺へ向かって頭を下げる。
「運んだのは自分です」
「お前の判断か」
「い、いえ、指図は」
「拙僧です、チェ・ヨン殿」

ゆるりと腰を折りつつ、背後の遍照が言った。
「貴い徳興君媽媽の御体を、兵の前に晒すのは如何かと思いまして」
「中にいるのは謀反の罪人だ」
「罪は消えずとも、それでも王族であられます」
「遍照!!」

その鼻先へ詰め寄り僧衣の胸倉を掴み上げようと手を伸ばした刹那、獄中から穏やかな声が掛かる。
「・・・大丈夫です、チェ・ヨン殿」

衝立の影から聞こえた声に振り返り、格子越しの顔を確かめる。
其処に立つキム侍医は苦く笑みつつ、懐から出した手拭いでその手を拭う。
「診察は終わりました。丁度お暇するところです」

侍医の声に力を失くした指先は、目前の遍照の僧衣の胸元を掠めて落ちた。

 

 

 

 

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2 件のコメント

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    ヨンもいろいろ 大変だわ
    どこに 気を回せばいいのやら
    敵か味方か もう ぐしゃぐしゃ
    そんな中に ウンスが居るのも
    気に入らないでしょうね~
    これで 怒ると また ウンスさん
    イライラしちゃうでしょ
    ほんとの ケンカにならないように
    祈ります~ (。>0<。)

  • SECRET: 0
    PASS:
    ウンスさん‥
    ヨンの心を思いやらないウンスに
    此度は私も腹がたって仕方ないです!
    少しばかり自分勝手です(-.-)
    でも、ヨンは許してしまうんですよね~
    そんなヨンにも、ちょっとイラっとしてしまう私です(^^;
    私も気鬱かなぁ?(苦笑)

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