あの方の部屋の扉外、黙ったままで魘される声を聞く。
あの時も、そして今も。聞くたび心が痛む辛そうな声を。
あの時果たせなかった己の誓いの結果がこれだ。
目を離し火女らに攫われたあの方の傷がこれだ。
部屋内から聞こえる小さな呻き声は、全て己の責だ。
月も無い夜の中で墨を流したような空を見上げる。
もしかしたらあの方の夢はこの空よりも昏いだろうか。
そうだとすればその昏さも、己がこの手で招いたものだ。
何もしてやることは出来ん。 俺の顔を見れば思い出すだろう。
思い出せば尚更に辛いだろう。
そう思えば、ただ黙って眠るあの方の部屋を護る事しか出来ん。
俺が護る。此処にいる。
あの時叶えられなかった誓いの分まで、そしてあの宿を発つ前に痛む腹を押さえて交わした約束の分まで。
必ず返すと約束した。誓いは守る。だからそれまで俺の傍にいろ。
俺は確かにそう言った。だから傍にいる。
三歩離れれば護れない。だからいつでも三歩の距離に。
その時、部屋内の呻き声が突然止まる。
そして同時に部屋内で布の擦れる音がする。
・・・起きたのか。
それでも万一まだ眠っていれば、僅かな眠りを妨げる事になる。
扉外に佇んだまま眸は典医寺の庭の奥の闇を見つめ、部屋内の息遣いを探る。
寝息も呻き声も、何も聞こえては来ない。
やはり起きたという事か。
暫く待っても聞こえて来ない息を確かめ、部屋の扉を指先で一度だけ小さく叩く。
俺が此処にいる。もう遅いとしても誓いは守る。
必ず帰す。 それまで護るから、俺の傍にいろ。
少なくとも今夜奇轍たちがあなたを襲う事だけは絶対に無い。
そんな事になってみろ。殺してやる。
あなたを攫いこれ程苦しめる、それだけでも立派な大義となる。
深夜の典医寺であなたの寝所を襲えば、それが剣を抜く名分だ。
その全てがこの一度の小さな音で伝わる訳は無い。
それでも一度だけ。少なくとも俺が此処にいると。
扉を叩いた瞬間に、部屋内の空気が張り詰める。
続く小さな足音。恐らく寝台を降りたのだろう。
そして脇の扉ではなく、あの方の寝室の窓から感じる視線。
まだ闇に目が慣れぬのか。
しばらく其処から此方を伺うあの方の視線を感じながら、眸は向けずにおく。
部屋外に立っているのが俺と判れば、また辛いかもしれん。俺など外にいて欲しくはないかもしれん。
あの時あの方の耳から流れる血を拭ったこの指を払われた様に、此処に立つ俺が目障りで、鬱陶しいかもしれん。
それなら罵声を浴びせて良い。来るなと怒鳴られても構わない。
ただ今からでも誓いを守りたいだけなのだ。
必ず帰すと誓った。それまで護るから、俺の傍にいろ。
覚悟した、その窓からの罵声は聞こえて来ない。
ただじっと見ている。
視線の先を振り向く度胸すらない俺を、窓内からの視線が確かめるように辿って行く。
眸を逸らしたままの横顔を、着けた鎧を、そして扉に伸ばした腕を。
伝えたい。深夜の扉脇で何をしているのか。
厭なら怒鳴って追い払っても構わない。
「眠って下さい」
その声にあの方の返答は戻らない。追い払う罵声も届かない。
闇を見ていたこの眸を窓内へと投げる。
もしも俺だと思わなかったとすれば、後で厭な思いをさせたくない。
顔を見せて、確りと伝えておかねばならんだろう。
「此処におります」
視線の先、あの方は俺を追い払いはしなかった。
ただこの眸を受け、窓内で一度だけ小さく頷いた。
そのまま気配が窓を離れる。
そしてじきに部屋内から、久々に静かな寝息が聞こえて来る。
佇んだまま眺め続ける墨夜の空が、やがて紫に霞み始める。
白み始めた東空から最初の朝陽が射すまで、部屋内の小さな寝息は一度も乱れる事は無かった。

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ヨンも ウンスに負い目を感じて
近付きたくとも 近付けない…
背中に視線を感じて 罵られたほうが
楽に感じちゃう
でもさ、 やっとかけたことばに
ウンスは 頷いてくれたのね
朝まで 眠れたかな?
絶対 うれしかったよね。 少しは
役に立てたかな…って (*μ_μ)
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ヨンの頑なで自分に言い聞かせるような心情が響きました。
無言で居られるのも辛いよね
罵倒されても怒鳴られても思っている事を言ってくれた方がヨンにとっては楽だったのかな
そしてウンスの声を聞きたかったかも
ウンスとの約束さえ果たされれればその後自分はどうなってもいいなんて。
でもね、のちのち貴方はウンスが居ないと生きていけないと思うのですよ❤️( ´艸`)