春花摘 | 山桜・11(終)

 

 

「うまくいくのかなあ」

櫻木の下のあなたが、小さな声で言った。
幹に登ったままで振り返れば、少し離れた別の櫻木の元に佇むチュンソクと敬姫様、そしてハナ殿の姿が見える。

「奴の事ですから」
木の上からそう声を掛けると
「そうね、きっとそうよね」
「ええ」

そう頷くとこの方は気を取り直すように、摘んだ櫻花を収めた籠を胸前で抱え直し、その瞳が俺を見上げる。
「たくさん摘めた。もう十分よ、お手伝いありがとう」
「いえ」
「これから洗って水を切って塩を振って重石して。一晩たったら取り出して梅酢に漬けて3日かな。でその後2、3日陰干し。
その後塩漬けにするから、2週間すれば桜茶が飲めるわよ?」
「櫻茶」

そうだ、宴席でないから忘れていた。
「トクマニ」

木の下で放心したよう、春風に吹かれチュンソク達を眺める背の高い影に声を掛ける。
奴は呼ばれて弾かれるように此方を振り向くと、其処から急いで駆けて来た。
「はい、大護軍」

その声を聞きながら、最後に腕を伸ばし枝先の日向に開いた櫻花を花軸ごと摘み取る。
それを指先に幹から飛び降り、木の許に立って俺を見上げていた奴へと渡す。

勢いで受け取ったトクマンは不思議そうに眼を瞠り、この顔と渡された櫻花とを幾度も見比べる。
「喰え」
「は?」
「悪酔いせんそうだ」
「大護軍、しかしこれは生花で」
「生でも良いかもしれん」
「かもってことは、良くないかも、ですよね」
「ヨンア!」

櫻木の幹を半周し、この方が腕の中の籠を揺らしてやって来る。
「何してるのー!」
そして誤魔化すような笑みを浮かべ、トクマンの指先に摘ままれた櫻の花軸を取り上げる。
「医仙?」
「ああ、いいのいいの、忘れてねトクマン君」

奪い取った櫻花をそのまま両腕に抱えた籠へと放り込み、この方は困ったように首を振り、そして俺を睨みつけた。
僅かに肩を竦めて素知らぬ顔をすると、その両眉が上がる。
「桜の塩漬けが出来たら、みんなに配りに行くわね。だから、生で食べる事なんてないから、ね、トクマン君」
「・・・判りました」
「それよりどうしたの、そんなぼうっとした顔して。体調悪い?」
「ああ、いえ。そうではなく」

トクマンはこの方の問いに慌てた様子で首を振る。
それでも確かに、いつものこいつとは違う。
「・・・どうした」
「はあ」

相槌なのか、嘆息か。
暖かな春の日には余りに相応しくないトクマンの重い息。
春霞の空すら曇らせるような気配に、この方が俺を見る。
その紅い唇が、小さく

食 べ さ せ た ?

そう動くのを見て、首を振る。

「ハナ殿は、またキョンヒ様と一緒に居られますね」
此方の無言の遣り取りを知らぬトクマンは、憂鬱そうに言った。
「そうね。あのお二人は、ほんとに実の姉妹よりずっと仲がいいし。チュンソク隊長もハナさんがいてくれれば安心なんじゃないかな」

この方の太鼓判に俺が小さく頷くと、トクマンは困った様子で頭を振る。
「それじゃ、ハナ殿の倖せは」
「え?」
「キョンヒ様は確かにハナ殿がいらっしゃれば嬉しいでしょう。隊長も留守の折、ハナ殿がいらっしゃれば安心だと思う。
でも それで、ハナ殿の倖せは」
「キョンヒ様と一緒にいる、って事は?」
「一生ですか」
「うーん、そうは言わないけど、でも少なくとも」
「誰かに何かをする事が、当然だと思ってるみたいです」
「え?」

突然のトクマンの声に、この方が不思議そうな声を上げる。
「キョンヒ様がいらっしゃらなければ探して当然。皆で出掛ければ昼餉を準備して来て当然。何か頼まれれば聞いて、受けて当然。
あの方の頭の中には、断るって言葉がない気がして。ご自身の事など、何一つ話さない。口を開けばキョンヒ様の事ばかりなんですよね」
「それは、生まれた時からずっと一緒だったからじゃない?可愛くて仕方ないとか」

この方の言葉に得心いかぬ様子で、トクマンは首を傾げた。
「普通の兄姉が、それ程妹弟に献身しますか。二親とも亡くして育つようならまだしも、キョンヒ様には立派なご家族がおいでだし隊長もいるんです。
ハナ殿も話してはくれませんが、お母様がご健在のようだし。どうも納得いかなくて」
「・・・確かにね」

己の横のこの方は改めて、草原に佇むチュンソク達へ瞳を向けた。
こうして見る限り会合はうまく行っているように見える。
チュンソクは安堵したように笑み、敬姫様は目許を拭い、そして肝心のハナ殿が、誰より倖せそうにその二人を見つめている。
その顔が、笑みが、偽りとは到底思えん。

「考え過ぎだろ」
「そう、ですかね」
俺の低い呟きに、トクマンは承服しがたいとばかりに唸った。
「トクマン君の心配はわかった。私もちょっと、気をつけて見とく。ねえ、そろそろ戻らなきゃいけないんじゃない?」

この方が雰囲気を変えるように、櫻花の上の青い空を仰いだ。
「はい」
頷く俺を見て、この方は草原の中チュンソク達へと数歩寄る。

「チュンソク隊長、キョンヒ様、ハナさん、そろそろ帰ろう」
その声に気付いたチュンソク達が、ゆっくりと櫻木の下から、此方へ向けて歩いてくる。
「キム先生、トギ、テマナ、もう帰ろう」
その声に別の木下で籠を花でいっぱいに満たしたトギが頷き、相当高い処まで登っていたテマンが器用に幹を滑り下りて来る。

その二人の半歩先、悠々と草原を横切って来るキム侍医の衣が春風を孕み、裳裾を靡かせる。
どの顔も櫻を、春を愉しんだ明るい気配の中、トクマンだけが不安げに近寄るハナ殿へ駆け寄った。

「持ちます」
「いえ、トクマン様。軽いのですから」
「先日もそうおっしゃったでしょう」
「本当に。先日もお伝えしました。荷物持ちは結構です」
「名分じゃない、持ちたいんです」

突然始まった小競り合いに、その場の全員の視線が当たる。
そうした事に敏いのか、ハナ殿は気付いたように周囲へ首を巡らせると、あっさりと空の器の入った包みから指を解く。

「では、御言葉に甘えて」
「そうですよ、いつでも甘えて下さい」

トクマンが頷いて、ハナ殿へ笑う。それをご覧になった敬姫様がチュンソクへ笑まれる。
佇む侍医が口端を、小さく笑みの形に上げる。
トギとテマンは目と目を交わし、トギの指が動く。指を読んだテマンは一人大きく頷き、トギへ笑いかける。

そして春風の向こう、あなたの亜麻色の髪が揺れる。
その瞳が真直ぐ俺へと振り返り、三日月に緩む。

「今日の参加者の皆には、出来上がったら桜漬けを届けるわね」

明るい声が春の柔らかな陽射しの中に響く。
花籠を高く掲げたままの、そのあなたに微笑む。

今年の春は底無しに呑んでも良さそうだ。
あなたが拵えて下さるあの花籠の中の、櫻茶がある。

風に籠の中の櫻花をふたつみつ飛ばされながら、此方へ笑いかける鳶色の瞳に見入る。

柔らかな春風も、それが揺らす新芽の緑も、春霞の空の青も。
その蒼を背景に今から咲こうと待ち望む春の花々をも従えて。

俺のこの方はこの世の何より美しい。本当に天とは大したものだ。

得意げに抱えた籠からこれ以上櫻花が散らぬよう、そしてあなたが籠を抱えて小さな足元をふらつかせぬよう。

それを受け取ろうと春の野を、あなたに向けて歩み寄る。

 

 

【 春花摘 | 山桜 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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