信じられない。ううん、でもこれが現実よね。
見なきゃ、知らなきゃ、覚えておかなきゃ。
録音機材も録画機材も何にもないこの世界だからこそ、死ぬまで絶対に忘れないように、全部この脳内に記憶しなきゃ。
珍しく息を切らせて走って来たあの人が、式の日取りが5日後だ、そう困ったみたいに教えてくれたこと。
折って数えた私の小指を握ってくれたこと。
余りに突然のその日取りに2人で典医寺に駆け込んだこと。
あの人が珍しく、キム先生の前で穏やかな顔をしてたこと。
キョンヒ様に教わった仕立て屋さんの女性の店主さんが、私達の未来のエギの産着を縫ってくれるって言ったこと。
マンボ姐さんと師叔さんに怒られながら、それでもあの人が嬉しそうに私の隣で笑ってくれたこと。
ダイエットなんてやめろって、そう怒ったみたいに止めたこと。
まるで季節外れの台風みたいに過ぎてく毎日の中。
それでも夜になって庭が月灯りだけに満たされる時間になると、あの人が必ず労わるみたいに腕枕をしてくれたこと。
疲れただろうって無言で問いかけるみたいに、何度も何度もあの大好きな大きな手で、この髪をなでてくれたこと。
それなのに私は何にもお返しできずにいた。
媽媽と王様のウエディングへの参加を黙ってる事を心で謝りながら、広い胸に顔を埋めて、のん気にぐうぐう眠ってた。
ねえヨンア。
こうして結婚式を挙げること。
今回は忙しすぎるけど、 でもきっといつか違う時代で次に巡り逢えたら、その時は絶対隠し事なんてしないから。
全部話して晴れ晴れとした気持ちで当日を迎えられるような、そんな式を挙げられる時代だって、きっとあるはずだから。
だから、ねえヨンア。
その時は怒らないでね。高麗の時は秘密にしてたくせに、なんて意地悪な事、絶対言わないでね。
もしもあなたが覚えていても。そしてもしも私も覚えてても。
今のうちにその分までごめんねって、心の中で謝っておく。
怒らないでね。それが理由で、嫌いになんてならないでね。
だって、ねえヨンア。
私はこんなにあなたの事を愛してるんだもの。
離れたら今はもう息の仕方も思い出せないくらい、あなたが大切。
だからこれからずっと一緒にいる。その誓いの日を迎えるんだもの。
*****
「医仙」
いよいよウエディングまであと2日。
もう泣いても笑っても、逃げも隠れも出来ないわ。ううん、別に逃げも隠れもするつもりはないけど。
典医寺の部屋から窓の外を眺めながら思ってたまさにその時。
薬園の端を滑る影、あっという間に扉からりんと響いた声に私は顔をあげた。
「お呼びですか」
典医寺の私の部屋では、めったにお目に掛かれないお客様。
緊張していた私は扉からの声に、弾かれたみたいに立ち上がり慌てて大きく頭を下げる。
「本当に突然ごめんなさい、叔母様」
私の様子を見ながら叔母様は呆れたみたいに目をくるっと廻して、その手を座りなさいというように、ひらひら動かして見せた。
「まだ、ばれてないですよね?」
部屋の中。チェ尚宮の叔母様とテーブルに差し向かいに座り、両手を膝の上で強く握る。
大きく息を吸って吐いて、もう一度吸ってから私は一気に確認した。
これなのよ、最後に確かめたかったことは。だけど媽媽の坤成殿では、なかなか聞き出しにくかった。
どんな風に話しても、媽媽を責めてるように聞こえちゃいそうで。
そんなつもりは全然ないんだもの。私の方が出席して下さいって、頭を下げてお願いしたいくらい。
だけど媽媽にはそう聞こえちゃうかもしれない。
そう考え始めたら、媽媽に余計なストレスを与えちゃいそうで。
主治医としては絶対に出来ない、そんな事。
でも日は迫って来る。待ってなんてくれない。
どんどん近くなる程焦りは募るし、だけどお話しできないし、最終手段として叔母様だけ来て下さるようにこっそりお願いして。
話の早い方で、本当に助かった。坤成殿での往診の後、お部屋を出る時
「この後典医寺に来て頂けませんか」
お見送りして下さる叔母様の横を通る瞬間に唇の先で呟いただけで、叔母様は私を見る事も無いまま
「はい」
それだけ言って、そして私が媽媽のお部屋からここに戻ってすぐにこうして来て下さった。
正に勇気と決断力の方だわ。憧れるけど、でもそんな叔母様ですら分からない事があるらしい。
私の質問に、こんなに悩むのを初めて見たもの。
「・・・医仙にあ奴より咎めだてがなくば、恐らくは」
「咎めだて、ですか」
「はい」
「何を隠してる、って聞かれたことはあったけれど、具体的には」
私の声に叔母様は微妙に首を捻りながら頷く。
「王様の件ゆえ、露呈しておればそれでは済まぬでしょう。今の処は恐らくまだ・・・」
珍しいって思った。いつもならこんな風に曖昧な話し方はされない。
白なら白、黒なら黒、って気持ちいいくらいにハッキリおっしゃる。
そんな叔母様がここまであやふやになる、断言が出来ないのって初めての気がする。
それだけ微妙なラインにいるってこと?
「あの、叔母様」
「はい」
「ばれたり、しないですよね?私が怒られるのはいいです。
ごめんねって謝ればきっと分かってくれるって信じてます。
でも例えばまさか王様とケンカに、とか、媽媽に怒る、とか・・・」
そんなの絶対にいやよ。勘弁してほしい。
だって歴史上、恭愍王と魯国大長公主と崔 瑩将軍って、ここにあの 李 成桂をプラスしたら・・・あと足りないのは辛旽ね。
もう高麗末期から李氏朝鮮への過渡期の、最大有名人物図鑑じゃない。
どうしよう。考えないようにしてたけど。
最大有名人物ってところで、動悸がおかしくなって来た。そうよ。考えないようにしてるけど。
その内の最低3人、もしかしたら李 成桂も含めて4人ともが。
ウエディングに参列して下さるかもしれない、ってことよね?
第一新郎本人が、そのうちの1人なんだもの。
そして式には、私達を知ってれば誰が来てもいいって伝えたし。
辛旽には、まだ会ってない。少なくとも気付かなかった。
自慢じゃないけどこの時代のお坊さんに知りあいはいないもの。
あの頃教科書越しに退屈な国史の授業を受けてる時、高麗時代は その中のページの数10枚に過ぎなかった。
だから知らなかった。この時代、他のほとんどの人の名前はその教科書のどこにも載ってなかったはず。
ううん、もし載ってたとしても、今の私みたいに忘れるくらい。
だけどこうしてみんなが生きてて、私のあの人を支えてくれて。
そしてその1人1人に人生があって、運命みたいに糸が絡んで、大きな1枚のタペストリーを織りあげる。
たとえ歴史に残らなくたって、ここでこうして触れ合ってる全員が生きてて、呼吸をして、目の前で笑ってくれる。
そのバイタルサインが、私の守りたいものの全て。
信じる心以外何も持ってない、この手で掴みたいものの全て。
私はここで生きて行く。そしてきっといつか死んで、 全てのバイタルサインが途絶えれば、次の世界へ流れて行く。
そして何度でも何度でも、その先でもう一度逢う約束のために、あの人に誓う。その日がもうそこまで来てる。
歴史に名前が残ろうが残るまいが関係ない。
有利な人生の為の受験戦争で忘れられる教科書に載ろうが、それとも載るまいが、そんなの知った事じゃないわ。
あんな薄っぺらい紙切れ数10枚で、今ここに生きてる人たちの一体何が書けるっていうの。
一緒に笑うこと。泣くこと。ご飯を食べておいしいねって思うこと。
雨が降って花が咲いて、風が吹いて変わる季節を一緒に過ごすこと。
それ以外に、それ以上に大切なものなんて何もない。教科書に書いて思い出せるのなんてせいぜいが数行でしょ。
強国に隷従してきた自分の国が独立を目指して戦った、そして李 成桂が威化島回軍で軍事クーデターを起こして・・・
そこまで思い出して、心拍数の上がった左胸をなだめる。
ダメ。今だけは考えないで、ウンス。今はその時じゃない、まだまだ先に時間はたくさんあるはず。
痛くなる胸を押さえて、大きく息をして。
額に浮かぶ冷や汗を膝の上で握ってた手でさり気なく拭いて、私は叔母様にもう一度向き合う。
「明日は・・・」
震える声をどうにかコントロールしながら、私は努めて明るく言う。
「典医寺に泊まろうと思います、叔母様」

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ウンスは ほんと 自分のことより
ヨンのことばかり あの人が… あの人が…
ヨンのしあわせは 自分の幸せだからね
かわいいね~ 呆れちゃうほど。
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さらんさん♥
ウンスの心の声で、改めて気づきました。
スマホもカメラもビデオも…、文明の利器と呼ぶものが
何一つ無い時代では、自分の記憶に刻むことでしか
思い出は残せないのですよね…。
でも、大事な場面ほど、機械ではなく、しっかりと
脳にも心にも残るものだろうし、そうあるべきだとも
思いました。
ああ…、さらんさん♥
こうして、さらんさんは今日も大事な大事なことを
伝えてくださいましたね。ありがとうございます♥
友人の電話番号も、仕事のスケジュールも、備忘的な
ことは全て、スマホやガラケーのアラームやメモに
頼りきっている私。
明日の予定すら碌に覚えちゃいません(;^_^A
でも、さらんさんとこのヨンが、この手を握って
愛の言葉を告げてくれたら、一言一句忘れはしません。
………一言一句…。
何一つ告げてくれませんね。当然です。いいんです。
さ、チュホン(MY PCです)、一緒に蕃爽麗茶でも
飲むとするかね…。
さらんさん♥
夜になり、寒さが増してきましたので、どうか
暖かくしていてくださいね。