比翼連理 | 7

 

 

「天下の大護軍が、うちのお得意様だぞ!」

夏の白昼の師叔の薬房の前、大きな声にチェ・ヨンは耳を疑う。
その声、確かに嘘ではない。クッパを喰いに訪れてはいる。
手裏房へのつなぎをつけるために訪れてはいるが。

「旦那に飲ませれば大護軍ほどに精が付く!」
何をふざけたことを言っておる。俺の何を知ってそんな戯言をほざいておる。
ヨンの憤怒を知らぬ師叔の大声に呼応するように、マンボが言葉を続ける。
「惚れた女に人前で抱き竦めても、断られない薬だよ! さあ買った買った!」
「あの噂は、じゃあ本当かい」
店先からそう、冷やかしの声が飛ぶ。

「大護軍様が大勢の前で、女人を抱き締めたってのは」
「勿論さ!あの堅物も男ってわけだね」
マンボがそう太鼓判を押して、呵呵大笑の声を上げる。
「こっちにくれ!」
「こっちにも!」
周囲の客から二人に負けぬ程、大きな声が掛かる。
「大護軍みてえにきれいな嫁さんが手に入るぞ!」
師叔は通り中に聞こえる声を張り上げ、怪しげな薬包を振り回している。
間違いない。噂の出処は此処だ。こいつらだ。
そう確信したヨンは、人垣を分けて進みだす。

「さあ、たったの三文だ、買ってきな!」
「こっちにもおくれ」
「こっちのが先だよ!」
民たちが店頭に列をなし、銭を握る手を我先にと師叔たちへ伸ばす。
ヨンは人垣の先、その店先へと辿り着き、大声で叫ぶ。

「おい!!」

開京での進軍の折、隊列の先頭を切る馬上のチェ・ヨンの顔は民たちも見知っている。
師叔たちの煽り文句の上、現れた大護軍本人のその姿を間近に拝み、店頭に並ぶ客たちは喜びの声を上げた。
「おお、ヨンア!おめえのお蔭で、大繁盛だ!!」
師叔は悪びれもせず、何食わぬ顔で大声でヨンを呼んだ。
「師、叔」
「何だ、おっかねえ顔しやがって」

ヨンは師叔達の謳い文句に、その場で頭を抱えたい気分だった。
あの時典医寺に誰がいた。痛む頭で考える。
あの方と薬員、医官とキム侍医。トギ、そして、テマン。
その中で少なからず、手裏房に関わりがあるのは誰だ。
答えは判っている。
テマンがあの光景に喜びの余り、ヒドの許に走り報告したとすれば。
そして耳聡い師叔かマンボが、陰でそれを聞いていたとすれば。

ヨンはその場で踵を返し、皇宮への途を全力で駈け出した。

 

*****

 

「テマナ!!」
「はい、大護軍!!」

ヨンが迂達赤の外門を超えながら叫ぶと夏草の庭、兵舎の方からテマンが全力で駆けてくる。
「テマナ、思い出せ」
走り寄ったヨンの目の前で止まりその顔にぴたりと目を当てて、テマンが深く頷いた。

「あの時、徳興君の手が動かなくなったあの時」
「はい」
「俺が王様の拝謁から戻り、あの方を・・・腕に」
そこまで言うとテマンはまざまざと思い出したか、遮るもののない強い陽の下で嬉し気に顔を綻ばせ
「はい!」
そう言って頷いた。その心から誇らしげな笑顔。
確かめるまでもないとヨンは肩を落とす。
「誰かに言ったか」
「ヒドヒョンに!」
「何処で」
「え」
「ヒドに、何処で言った」
「す、手裏房の部屋で」

そこでテマンは口を閉ざした。
そして恐る恐る、肩を落としたヨンの眸をじっと見た。
「大護軍と医仙はこれから誰より幸せになるから、ヒドヒョンには安心して、喜んでもらいたくて・・・でも誓って、他の奴には!」
「判ってる」
「シウルにもチホにも」
「判ってる」
「まずかったですか」
「いや、良い」
「でも大護軍」
「良いんだ」

力の抜けたヨンの声に、テマンが顔を歪ませる。
「お、俺ほんとにうれしくて」
「判ってる」
ヨンが頷くとテマンは唇を噛んで、その頭を深く下げた。
「もう言いません!」

遅い、テマン。
そう思いつつ、ヨンは頷いた。

 

テマンは目の前のヨンをじっと見詰めて考える。俺が、何かやらかしたんだろうか。
何か大護軍にとって、取り返しのつかない事を。どうしたらいい。どうすればいいんだ。

大護軍が力ない顔でどうにか笑って、ごまかそうとしてる。
そんな顔、させたかったわけじゃないんだ。
あの時みたいに、医仙を力一杯抱き締めた時みたいなあんな顔に、なってほしかっただけなんだ。

あの顔を見て、俺は思った。
医仙が帰って来てからの大護軍の顔は、いつだって待ってる時のあの頃の顔とは全然違うけど。
でもあの時の顔は格別に嬉しそうで、だからそれを護りたくて。
ヒドヒョンに、一番に教えたいって思ったんだ。
そしたらヒドヒョンも、喜ぶかなって思ったんだ。
ヒドヒョンが大護軍の事を、どれだけ大切か分かるから。
そうでなきゃこの俺に、息の仕方を教えるはずがないから。

みんなが待ってた。みんなが祈ってた。自分の事みたいに二人の倖せを。
これからだって、それは死ぬまで変わらない。
だけど、俺が気付かずに何かやらかしたなら。どうしよう、どうしたらいいんだろう。

 

おろおろと惑うテマンの目をヨンは見遣る。
その目が、大きな悔いを無言で伝えている。
判っている。こいつに限って悪意など絶対にない。そしてヒド以外に言っている事もない。

ヒドも己も何も言わずとも、こいつは独特のその嗅覚で嗅ぎつける。
ヒドにとり、己にとり、互いがどれほど大切か。
ならば噂の出処はやはり師叔の薬房だと腑に落ちる。
立ち聞きをした師叔とマンボに、一杯喰わされたのだろう。

だがな、とヨンの黒い目許がわずかに緩む。
お前の事も今同じように大切だと、こいつは知っているだろうか。

もう良い、構わん。この名で売れるなら薬でもクッパでも売れば良い。
師叔にもマンボにも世話になって来た。これからも手を煩わせる。
小遣い稼ぎくらい、この名でできるなら幾らでもすれば良い。

そう肚を括り、ヨンはテマンに呼び掛けた。
「テマナ」
「・・・はい」
萎れたその返答の声にヨンは小さく噴き出した。
「お前、いつか嫁を娶る時は」
「え」
「誰も居らぬ処でだけ、抱き締めてやれ」

その声にテマンが耳まで赤くなる。
「お、俺はそんな、そんなことは」
「そうか」
お前の年の頃、俺は一つの思慕を終えていた。
今も胸を軋ませるあの頃にヨンは思いを馳せる。
最悪の形で、終えていた。

お前の年の頃、俺はお前に出逢った。あの山中でお前を拾ってきた。
せめてこの世に俺を必要とする者が欲しかった。
今にして思えば、そういう事だったのだろう。
お前がこの世に俺を繋ぐ最後の細い糸だったのかもしれぬ。
何処かで分かっていたから、俺はあれ程お前を追い駆けたのかもしれぬ。

お前が居らねば、とうにどこかの戦場で、俺は死んでいただろう。
数えていた。一日一日を。武人として死んでいこうと。
あの頃あの方が大きく印をつけていた、あの暦の如く。
最期の日まで一日一日、静かに確かに死んでいこうと。

「テマナ」
「・・・はい」
俺は生き延びた。そしてあの方を迎えに行った。あの方を連れ此処へ戻った。

お前に怒鳴られた、あの雪の中の北方の湖の畔。
お前が居らねば待つ日々はより長く孤独で、より苦しかったろう。
その日々の果てに今日がある。

そう思えば怒る気にはなれん。此度だけは見逃してやる。
倖せだから、此度だけは。しかし。

「次からは何を見ても黙っていろ」

チェ・ヨンの笑みにテマンは首を傾げ、それでも必死に頷いた。

 

 

 

 

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