比翼連理 | 5

 

 

「チェ尚宮殿」
迂達赤隊長チュンソクの声を先頭に其処に控える面々が、チェ・ヨンの 私室を出て来たチェ尚宮に向け次々に頭を下げる。
「お主ら、鍛錬はどうした」
頭を下げるチュンソクに向け、チェ尚宮が問いただす。
「は」
チュンソクはその頭を下げたまま言った。

「夏の間は、陽の高い刻には無理をするなと大護軍が。その代わり日の出の刻と、陽が落ちてよりしごかれております」
「そうか。それならば体を休めよ。こんなところで並んでおるな」
「いや、しかし」
珍しくチュンソクがそう言って、歩き出したチェ尚宮の背に付き添う。

「何だ」
チェ尚宮は足を止めずに吹抜への階段を降りる。
その背に付いたチュンソクは、辛抱たまらぬとばかり口火を切った。
「大護軍の婚儀は」
「・・・委細は知らぬ」
チェ尚宮が首を振ると、チュンソクは深く嘆息を漏らした。

「大護軍に伺うわけにもいかず、しかし隊員らも落ち着かず」
「あ奴は何も言わぬのか」
「おっしゃいません」
「そうか」
「もう、チェ尚宮殿にお頼みするしか」
チェ尚宮は呆れたように息をついた。
「何か決まれば言おう。言わぬなら何も決まっておらぬ」
「しかし、チェ尚宮殿」

チュンソクは早足で階の数段を駆け降り、チェ尚宮の前に回り、礼節を重んじる男が事もあろうにその進路を塞ごうとする。
「大護軍の事です。面倒だからと、婚儀すら挙げぬのではと」
「・・・・・・」
進路を塞がれた怒りすら忘れ、チェ尚宮は目前のチュンソクのその目をじっと見返した。

*****

 

困るのだ、これでは困る。
チュンソクは肚裡で何度もそう繰り返す。
チェ・ヨンが念願の徳興君を捕縛し、大義の許に片腕を落したとの報せを獄の守りのトクマンより受けた時。
チュンソクは迂達赤兵舎に甲乙丙丁四組頭を集め、ひそめた声でその面々に釘を刺さねばならなかった。

「喜んだ素振りは、決して見せるな」
その声に其々が頷く事を確認し
「各々、組の隊員に必ず伝えろ。相手は腐っても王族だ」
「て、隊長」
その場に居合わせる乙組頭が、僅かに焦ったように口を挟み入れる。
「腐っても、はさすがに」
「・・・すまん」
舞い上がっておるのは己とて同じだと、チュンソクは息を吐く。

あの折。毒の回った医仙の命を救うため毒を飲ませるとの大護軍の苦渋の決断を聞いた折。
典医寺から毒を運ぶトギの様子を、大護軍の私室前の廊下で見た折。

その場に居合わせた己を始め、全ての隊員が祈った。
神仏に縋るしか、ないかもしれぬ。
それでも全員が頭を垂れ、手を合わせて祈った。
どうか連れてお行きになるな、何とぞ医仙を救って下されと。医仙をこれほど想う俺達の大護軍の為にと。
そして先に逝った全ての奴らに祈った。頼むから俺達の大護軍を守ってくれ、医仙を守ってくれと。

そして命を繋いだはずの医仙が、皇宮より御姿を消しての四年以上。
俺たちは祈ったのだ。神仏に、仲間に、何か大きなものに。
どうか還してくれと。医仙を無事に、俺達の大護軍に還してくれと。

あの丘にただ茫洋と佇む、近寄る事も出来ず離れて眺める大護軍の凭れるその木に、枝を揺らす風に。
その向こうに広がる空に、山並に、そんな何か大きなものに、ひたすらに祈ったのだ。
どうか俺たちの大護軍の祈りを聞き入れてくれと。
そしてその祈りを、どうか叶えて差し上げてくれと。

医仙が戻れば戻られたで、次は心底悔やまれた。
征東行省で徳興君を逃したことが、返す返すも悔やまれた。
あの場で捕縛し王様の前に引き立て、大逆罪でその場で膾に刻めればと。
医仙が戻ってからの日々、徳興君の捕縛を成すまで、肝を冷やしつついつ来るか、いつ来るかと悔やまれた。

己ですらこれ程に悔やめば。
チュンソクはチェ・ヨンの肚裡を慮った。

顔には出さずとも、どれ程怒り悔やんでおるか。それは容易に読める。
医仙が迂達赤軍医として共に来て下さると聞いた時には、ようやく少しお守り出来ると全員が胸を撫で下ろした。
だからこそ双城総管府で徳興君を捕縛した折、顔に出さぬよう苦労しつつ、迂達赤は歓喜に沸いた。
許されるなら祝杯を挙げ、鐘太鼓を打ち鳴らしたいほどに。

そして王様と共に徳興君を尋問に獄を訪うた大護軍が、その場で 徳興君の左腕を落としたと聞いた時。
その歓喜は、頂点に達したようだった。だからこそ己は、隊員を引き締めねばならなかった。

その経緯を超えようやく王様に婚儀の許しを得たと聞いた時、頂点に達したはずの迂達赤の喜びは堰を切って溢れた。

チュンソクは、この数日の出来事を反芻しながら息を吐く。

もう無理だ、己の制止もここまでだ。
どのように風紀を引き締めようと、皆浮かれ舞い上がっている。
それほどに、己の事のように嬉しいのだ。
まるで長兄が嫁を娶るかのように。
新しい家族が増えるのが、己を始め全員嬉しくてたまらない。

テマンは唇を震わせて、泣き笑いで言った。
「大護軍と医仙は、これから誰より幸せになるんです」
チンドンは顔をくしゃくしゃにして、無言で腕貫で何度も目を拭った。
チョモはその横、拭う事さえ忘れた頬で、チンドンの肩に手を置いた。
トクマンは真っ赤な顔をして、己をじっと見て言った。
「なるべく早くって、いつでしょうかね。次の出陣に間に合えば良いのですが」

その言葉にチュンソクは頷いた。
なるべく早く式次第を確認し、何か出来る事を探さねばならん。
あの面倒臭がりの大護軍が、そうしたことに手を尽すとは思えん。

己はあの大護軍の肚を読み、そして穴を埋めるために動く。
それこそ己の役回りなのだと、諦めたような笑みを浮かべ。

ところが待てど暮らせど、チェ・ヨンからの次の言葉がかかることが無い。
己の婚儀でもないものを、隊員たちに動揺が広がっていく。
テマンは最近、兵舎内の彼方此方で隊員に掴まっては
「いつなんだ、何か知らんのか」
そんな風に声を掛けられ、首を振るばかりだ。
トクマンに至っては今日の昼、痺れを切らしたか
「俺、聞いてきましょうか、一発二発蹴られても」
そう言ってチェ・ヨンの部屋へと駆け上がろうと勢い込み、慌てたチュンソクがその腕を掴んで制止を掛けるほどだった。

「馬鹿な事をするな」
そう制止したチュンソクを困ったように見遣り、
「でも、まさか、このままってことはないでしょう。ようやく 医仙を娶るのに、婚儀も挙げず・・・」
チュンソクとトクマンの目が、がっちりと組みあう。
互いに首を振り向け、そこからチェ・ヨンの私室の扉を見詰め、其々戻した目がまた出会う。

「・・・まさかな」
チュンソクは首を振る。
「ええ。まさかですよ」
トクマンは自らを納得させるよう呟く。
「大護軍がどれ程、面倒臭がりでも」
「そうですよ、文官名家の崔家の跡取りです。誰より王様の信頼厚い、高麗軍近衛筆頭、迂達赤大護軍ですよ」
「そうだよな」
「そうですとも」
「・・・そうだな」
「・・・多分」

その時兵舎の吹抜けに久方ぶりのチェ尚宮の姿を見つけ、チュンソクと トクマンは慌てて深く頭を下げた。
「あ奴は」
「二階にいらっしゃいます」
チェ尚宮の問いにチュンソクが答える。
チェ尚宮は僅かに頷くと、先刻走ろうとしたトクマンを制するためにがっちりと腕を回したままの姿勢のチュンソクを眺め
「で、お主らは何故抱き合っておる」

気味悪げにそれだけ吐き捨てるとチェ・ヨンの部屋に向かうため、吹抜けの階段を滑るように上がって行った。
その声にチュンソクは慌ててトクマンの腕を解き、息をついて言った。
「・・・チェ尚宮殿を、待とう」

「大護軍の事です。面倒だからと、婚儀すら挙げぬのではと」
チェ・ヨンの私室を出た己の前を塞いだ、迂達赤隊長チュンソクのその言葉。
あり得ぬ杞憂だと強く言えぬのが、チェ尚宮にももどかしい。

ヨンア、まさかお前、そこまでは。

チュンソクに途を塞がれたその階途中、チェ尚宮は今し方出て来たばかりのチェ・ヨンの部屋の扉を振り返る。
後ろに並ぶ迂達赤が、悩まし気な面持ちでそれぞれ深く頷いた。

まさかそこまでは面倒臭がりではなかろう。
たとえ己が望まずとしても、天下の勇名武名を縦恣する高麗大護軍が。
選りによって天人である医仙を娶り、式すら挙げずにそのままなどと。
それでは内情はともかく外聞としては、拐しと変わらぬではないか。

忘れてはおるまいな。
お前は高麗の十指に数えられる文官名家、崔家の跡取りぞ。
拐し紛いなどそんな事になれば、お前の父上がどれ程嘆くか。
覚えておろうな。
お前は幻の赤月隊伝説の隊長、ムン・チフ殿の最後の弟子ぞ。
筋を曲げれば、あの誇り高いムン・チフ殿がどれ程お怒りか。

戻して眇めたチェ尚宮の目に、チュンソクの途方に暮れた目が当たる。
「・・・承知した。調べておこう」
チェ尚宮の声に、必死の形相で汗を浮かべたチュンソクは
「宜しくお願い致します!」
そう叫び、深々と頭を下げた。そして続く迂達赤の面々が。
「よろしくお願いいたします!」

まさかな、ヨンア。

チェ尚宮は段を下りると、小走りに迂達赤兵舎の吹抜を抜けた。

 

 

 

 

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5 件のコメント

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    チュンソクさんはじめ、ウダルチの皆の気持ち、わかっているつもりでしたが自分の考えよりももっと深いものでした。
    チュンソクさん、皆に喜ばないように釘を刺すなんてすごい!ヨンの事を考えて考えてベストな選択をしているんですね。
    仲間でなく、家族と著すことに納得しました。
    毎日読めることが、本当に嬉しいです。

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    さらんさん、今宵も素敵なお話をありがとうございます。
    さすがの面倒くさがり屋のヨンでも、大切なウンスとの事はきちんと考えているでしょうね^^;
    でも、ウンスの思いを一番に…と、あれこれ悩んでいたりして…?
    あ、それに、まだ指輪が調達できていないのでしたね!
    いずれにせよ、周りのヤキモキが微笑ましいです❤︎
    さらんさん、無事に出勤されましたか?
    (o^^o)

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    あのチュンソクはじめ、迂達赤達がウンスの毒を飲む治療を心配して見守っていたシーンを思い出しました。
    2人が離れてから4年もの月日、その間のヨンを間近で見ていたのも迂達赤達ですよね。
    ウンスが帰って来るのをどんなに待ち望んでいたかも知っている。
    2人の婚儀を待ち望んでいる気持ち、身内の様に喜ばしく思っているんですよね。
    でも普段、面倒くさがりのヨンだから、ヤキモキしながら(笑)
    チェ尚宮様は叔母として、この後どんな行動を取るのか楽しみです♪

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