比翼連理 | 4

 

 

早朝の皇宮の回廊。まだ気温の上がらない空気はさらりと肌を撫でて行く。
その中を歩くチェ・ヨンの前からチェ尚宮の先頭に据え、武閣氏の隊列が此方へ進んでくる。
すれ違いざま真直ぐ顎を上げたチェ尚宮が、ヨンへと向かい小さく声を掛ける。
「手が空き次第、坤成殿へ来い」
「承知」

頷いたヨンをちらと見遣り、チェ尚宮は武閣氏を従え、振り返らずにそのまま回廊を進む。
夏の透明な朝陽に、すれ違った武閣氏の隊服の刺繍が鮮やかに光る。

 

「待ち草臥れた。何をしておるのだ」
「手が空き次第と言ったろ」
その昼。
迂達赤兵舎へ乗り込んできたチェ尚宮は口を結び腕を組み、強い日差しが窓から射す私室の扉前、入口の階からヨンを睥睨する。
「あれから今まで、手が空かなかったという事か」
「ああ」
ヨンは頷いて握っている筆を玩びつつ、卓に放り出していた書面の山を顎で示した。
「面倒な書面書きが多いんだ」

その愚痴にチェ尚宮は目を眇めると段を下り、ヨンの座る卓横でつまらなそうに指先で書面を摘み上げる。
「お主が頭まで使うようになるとはな。鬼剣を振り回すだけでは大護軍は務まらぬという事か」
「さあな」
硯に持っていた筆を投げ入れると腰を上げて腕を伸ばし、ヨンは大きく欠伸をした。

「事後処理が多い。こちらに引き入れた奴らも元を糺せば敵国の兵。
李家に預ければ裏で何を企まれるか知れん。身の振り方を考えねば」
「李 子春はそれほど油断ならぬか」
「五分と言ったところだ。何しろ徳興君を匿っていた」
「ふん」
鋭く息を吐き、チェ尚宮は指先の書類を卓へ戻した。
「ならば奴が開京に戻る以上、宅の守りは確実な方が良い」
ヨンはその声に頷いた。

「ああ」
「武閣氏で私の下に居た者だ。剣の腕は保障する」
「それ程の遣い手ならば何故辞した」
「以前のお主と似たような理由だ。皇宮の勢力争いに嫌気が差した。女人にしては珍しいほど一本気な者だ」
「そうか」
「私より十ほども下でな。今は嫁して、長く夫君と共に暮らしておる。子には恵まれなんだが」
「来てくれそうか」
「私の誘いを断る女ではない。言ったろう、一本気な者だと」
「早々に会いたい」
「承知した。繋いでおこう」

チェ尚宮は頷いて椅子を引き、ヨンの卓向かいに腰掛けた。
「徳興君の一件、聞いた」
「ああ」
「右腕も動かなくなったとな」

その声にヨンは頷いた。
己の俺の落した左腕。そしてキム侍医が持ち去った右腕。
左腕の事は伝えてあるが、右腕の詳細は知らぬはずだ。

誰にも伝えるつもりはない。たとえあの方であっても。
万一露見すれば己が全ての責を負う。それで良いとヨンは既に肚を決めていた。
知っていれば罪に問われ兼ねぬ。知らねば口を割ることはできぬ。
謀反人であろうと王族である徳興君だ。この後、元がどう動くのかは計り知れぬ。

チェ尚宮はそんな胸裡を見透かすように薄く笑った。
「王様は媽媽におっしゃっていた。天罰か、いや天恵かとな」
「ああ」
「ヨンア」
その声にヨンは黙ってチェ尚宮に目を当てる。
「言うたろう。両腕を喪う事も、何れあるかもしれんと」
「・・・・・・ああ」

確かに言っていた。己が奴の左手を落としたと伝えた折に。
そしてまさしくそうなった。奴は両腕を喪った。
一生その身に相応しく物陰で生きろ。役目を終えるその日まで。
足が残っている。逃げようとすれば腱を断つ。逃がすなど絶対にせぬ。
それでもこれから奴が毒が遣えぬというだけで、己の心が以前と比べ物にならぬ程穏やかであるのは確かだ。
あの方をこの先護るうえで、王様と王妃媽媽をこの先守るうえで。

「まあ良い。お主が吐くわけがない。問い詰めるだけ時間の無駄だ」
「・・・吐く事など」
チェ尚宮は首を振り、卓前で立ち上がった。
「お主も暫くは己の心配だけをせよ」
「心配」
鸚鵡返しにヨンが問うと、チェ尚宮の無言の速手が頭に飛んだ。
「典医寺の医官らの目前で医仙を抱擁したと言うではないか。どれほど噂になっているか知らぬのか」
「あ」

あれは違うのだ、と言いかけて思い出す。
笑いながら告げたキム侍医の、心より愉し気な一言を。

─── チェ・ヨン殿、人の口に戸は立てられません。
これからどれほど噂が広まるか。愉快愉快。

キム侍医。まさか噂の根源は、お前ではないだろうな。
戸が立たぬのが当のお前の口であったなら容赦はせぬ。
血相を変えたヨンを横目で見たチェ尚宮は首を振り、黙ったままで私室の扉へと向かう。
そして最後に扉へ上がる段の下で、呆れたように此方を眺める。

「明日の昼、お主の宅に奴らを呼ぶ。会ってみよ」
「有難い」
「私も立ち会う」
「ああ、頼む」
頷いたチェ尚宮は段を上がりかけ、ふとその歩を止め振り向いた。
「・・・ヨンア」
「何だ」
「倖せか」

無言のヨンの顔を見つめ、チェ尚宮が胸で問う。
徳興君の始末も。双城総管府の陥落も。そして何より医仙を得て。
全て成し得て、今お前は幸せか。

そうであると願う。もう二度と離れぬと誓う女人を側に置いて。
より遠くまで見渡すが良い。より深くまで慮るが良い。
お主ならば出来る。もう私の手を超えたお主ならば。
初めてこの手に感じた幼いお主の雷功を、懐かしく思い出す。
今の私にお主が撃てば、手の痺れだけで済むとは思えぬ。

お主の父君も、お主の師父も、きっと祈っておられる。
大護軍の婚儀だ、みな祝いはしても文句など言わぬ。
陰でお前を慕っていた女子たちだけは、涙に暮れるだろうがな。

含みを持たせたチェ尚宮の視線に困惑したように、ヨンが深く眉根を寄せる。
「叔母上」
「何だ」
「何だは此方だ、何が言いたい」
「判らねば良い」

返答にヨンはさすがに苛りとしたか、眉根の皺が深くなる。その様子を意にも介さずチェ尚宮は低く笑った。
「お主には分かりようもない」
「叔母上」
「女心と言う奴だ」

チェ尚宮の言葉に、ヨンがぽかりと口を開く。
その面に笑いながらチェ尚宮は段を上がり、部屋の扉を押し開ける。

その倖せはお主だけではない、周囲の者の心をもこれ程に温かくする。
そして思わせるのだ。この二人を守ってやらねばならぬ。
他の者の事しか考えぬ愚か者二人、互いの事しか念頭にない馬鹿者二人。
自分の事など考えぬこの二人だから誓わせるのだ、己の力の全てでと。

見るが良い。誰よりそう思っている奴らが扉の外、こうして雁首揃えて並んでおるわ。
迂達赤隊長、背の高い槍遣い、おまけに小猿。それに加えて、見知らぬ面々までが。

ヨンの私室の扉を開けたその外に並ぶ顔を端から眺め、呆れたチェ尚宮が首を振る。

 

 

 

 

皆さまのぽちっとが励みです。
お楽しみ頂けたときは、押して頂けたら嬉しいです。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村
今日もクリックありがとうございます。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です