比翼連理 | 56

 

 

「では」
手に入れた白絹を抱え、市の往来でヨンはウンスを振り返る。
「仕立て屋を探しましょう」
「ヨンア」
ウンスがそんなヨンの腕を引き、珍しく往来の隅へ連れていく。
「どうしました」

往来の人の波の行き来にぶつからぬよう身を躱しつつ、ヨンは引かれるままウンスについて行く。
「今日はもういいわ。疲れたでしょ?もう休もう」
「いえ。これで仕立て屋を見つけて頼めば、明日には開京に戻れます」
「だって顔色良くないし。夏バテかもよ?ちょっと休もう」
「イムジャ」

ヨンは引かれる足を止め、ウンスに向けて静かに告げる。
「出来る限り、急いで戻りたいのです。一旦は開京に。留守も続いております。
王様へのご報告もある。媽媽のご体調も、迂達赤も典医寺も気に掛かる」
「・・・それだけ?」
「はい」
「ほんとに、早く帰りたいのはそれだけ?」
「はい」
「他の理由で、早く帰りたいんじゃないの?」
「他の、とは」
「早く帰りたいんじゃなくて、ここを早く出たいんじゃないの?」
「イムジャ」

ウンスの言葉の裏に、ムソンとの昨日の偶然の出会いを思い出す。
それ故か。
ヨンは膝を打ちたい思いで、今朝からのウンスの様子を思い返す。
朝早くから起きて、上機嫌な顔を見せたのも。
絹を選ぶ店回りの折に、胸に感じた違和感も。
ただ己を案じ口に出さずに気を回していたか。
明らかに態度の変わった己に、ウンスが無言でどれ程気を配っていたかにようやく気付いたヨンは、黙ってウンスを見詰め続ける。

この方はいつでもそうだ。
騒がしく天衣無縫で、周囲の事など気にも留めずに彼方此方へと好き勝手に動くと思えば。
気付くとそこで足を止め、振り返って笑っているのだ。
早く来てとその瞳で呼んでいるのだ。此処にいると。何処にも行かぬと。

あの頃とは違う。ただ目が離せず、守れぬと焦り、その姿を追いかけていただけの頃とは。
今はこの眸の先に必ずいる。勝手に走りだしても其処で一度は止まる。

止まって笑い、此方を振り返る。

三歩離れては守れぬと覚えてくれればなお良いが。
仕方がない、五歩程度ならば走って守ってやれる。
雷功を放てばもう少し。

結局は困った方なのだ。己をいつでも走らせる。
走るしかなかろう。この心が勝手に追いかけるのだから。
その途の先にこの方が立っていると知っているのだから。

ここを離れたいか。
思い出すからか。己の傷を、溢れる恨と憎悪の膿を幾度も見るからか。
馬で駆け抜ける背に向けられる目が、声が、振られる手が鬱陶しいか。
何の為、誰の為に戦場へ出るか。
ただこの方の為に生きる事を、目に見えぬ大きな力で阻まれるように錯覚するからか。

「そうではないのです」

ヨンはウンスに首を振る。
その鳶色の瞳を覗き込む。
細い指を、出来る限り心をこめて握る。
これだけで、伝われば良いものを。
声にせず心が分かれば良いものを。
それでも話すと誓った。
出来る限り、たとえ不得手でもと。ヨンは太く息を吐く。
「静かな処にて」

言い残して歩き出したヨンに、ウンスは黙って従った。

 

*****

 

礼成江の畔。河の流れを目の前にヨンは足を止めた。
黙して横を歩いたウンスはヨンを見上げ首を傾げる。
「どうしたの?」
無理強いするでもなくそう言って、ただ待っている。
己の声を、心の声を。
ヨンは川音に消えぬよう、ウンスへ向かって告げる。

「あの男は、チェ・ムソンと言います」
「うん」
突然の声にウンスはただゆっくり頷いた。

「俺が赤月隊だった頃、守れなかった村の生き残りです」
「そうだったの」
「死んだ者の敵を取るため、火薬を研究しているそうです」
「そう・・・」
「イムジャが異国風に見えたとか。火薬の作り方を聞きたかったと」

ヨンの声に、初めてウンスの顔に苦笑が浮かんだ。
「異国風、ねえ」
「大食国の民の横で、足を止めていたのを目にしたと」
「チェ・ムソン・・・」
「ええ。何か知っているのですか」
「ううん。判んない。判んないけど・・・」
ウンスは歯切れ悪く言って、首を捻る。

確かに高麗時代に火薬はあったはず。
徳興君だってこの人を、火薬で吹き飛ばそうとしたものね。
チェ・ムソン。聞いたことがあるような、ないような。
国史を勉強してなかった自分が悪い。確証もない。
肝心なとこでなんとなく、脳細胞に引っかかってる名前のような気がするだけ。

火薬。この時代なら黒色火薬よね。硝酸カリウム、炭素、硫黄の配合物。
基本的に爆発させるのに必要なのは信管。
プラスティックなんてないんだから、陶器にでも入れてるのかな?
それとも薄い銅とか鉄の器?衝撃で破裂しやすくて、殺傷能力の高い物。
こんな科学的な事なら、知ってるのになぁ。

でもこの人が倭寇を撃退した時には、船に火砲を積んでたはずよね。
それで覚えてるんだもの。高麗時代に大砲や火砲があったんだって。
引っ掛かる。引っ掛かるけど思い出せない。

ウンスがしきりに頭を振る。
いつもの癖で掻き毟ろうと髪に指が掛かるのをヨンの大きな掌が、その寸前で慌てて抑える。

 

 

 

 

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1 個のコメント

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    さらんさん、ランチタイムに拝読させて頂きました。
    ありがとうございますm(__)m。
    ウンスにとって誰よりも大事なヨンですから、その一挙手一投足には常に気を配っているのですね。
    だから、ほんの少しの変化にも気付くのでしょう(#^.^#)。
    もちろん、ヨンにとってのウンスも同様ですね❤︎
    しかも、自由奔放できゃんきゃんしている時と、きりり&ピシッと治療を施している時と、静かに見守ってる時とのギャップが、ヨンにはたまらないのかもd(^_^o)
    さらんさんのお話のヨンとウンスは、どちらも男前で、すごく魅力的なんでよ~~❤︎

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