比翼連理 | 8

 

 

「医仙」

坤成殿の中。
脈診を終え、袖を整え直しながら、王妃は改めてウンスに呼び掛けた。
「おめでとうございます」
そう言いながらカチェを乗せた小さな頭を優雅に下げる。
そこに飾った金細工の美しい笄が、涼し気な音を立てた。
「は、い?」
突然の祝福に、ウンスが首を傾げた。
「大護軍がようやく王様に、医仙との婚儀をお申し入れになったとか」
「・・・ああ、ありがとうございます」
ようやく合点のいったウンスが頷いた。

そしてくれぐれも声に出さないよう、小さく胸で呟いた。
そうだった。ついいろいろありすぎて。大切な事なのに。
特に高麗時代なんて、多分冠婚葬祭は、人生の節目よね。
こないだあの花の指輪をもらったせいか、なんだかもう半分くらい終わった気がするけど。
だいぶ長い間一緒に住んでるし、今さら結婚なんて言わなくても事実婚みたいなものよね。
「婚儀はどのように執り行うご予定ですか」

ウンスの胸の声など聞こえない王妃は、先を促した。
「まだ全然考えていなくて」
長い髪をかき上げて小さく言うウンスの声に、王妃が驚いたよう柳眉を上げる。
「間に合うのですか」
「間に合う、ですか?あの媽媽・・・何に?」
「せっかくの婚儀に水を差したくはありませんが。大護軍も次にまたいつ戦へお出になるか・・・」
「ああ、そうですよね。でも、大丈夫でしょう。それほど大袈裟には」

計画を立てるどころではない。
これが噂に聞くマリッジ・ブルーかと、ウンスは溜め息をついた。

突然涙が出てくる。何かしようにも力が出ない。
あの人の性格から考えて、盛大な式はやりたがらないだろうし、一番見て欲しかったアッパもオンマも出席することはないし。
実感が湧かない。わくわくもドキドキより不安感だらけ。
軍人の、妻でしょ?ましてただの軍人じゃない。私に務まるのかしら。あのチェ・ヨン将軍の妻なんて。
あの人が歴史上何したか思い出そうとしても満足に思い出すことも出来ないのに、どうやってこの先あの人をフォローしてくのかしら。

取りあえず知ってるのは、あの人が紅巾族を制圧する事。
紅巾族に奪われた開京を、取り返す事。倭寇を撃退する事。

そして最後にイ・ソンゲに。

ううん。それはいいの。ずっと先、まだまだずっと先。
1388年までまだ30年以上あるはずよ。
それまでに何かが変わるかもしれない。変えてみせる。

変えなきゃいけない。

そこまで考え、痛む胸を宥めて、ウンスは息を詰める。そして慌てて思い出し、深く深呼吸を繰り返す。

いつもこうだと、頭を抱えたくなる。 ここまで考えて袋小路に迷い込む。
先に進めず立ち止まる。そして悲しくて、胸が詰まって。

そんなウンスの様子を目の前の王妃が不思議そうに見ている。
三日月の形に目を細めて笑い返しながら、ウンスは決意する。
胸の中独りきりで、もう何百回目かの決意を。

そう、この王妃媽媽と王様の運命も、できるなら。
たとえ歴史を歪めても、先の世界が変わっても、今生きている人が大切。
目の前で生きてる大切な人のパルスが、私にとってまず守るもの。

もしも歴史を変えても、許してね。アッパ、オンマ、大切な友達、同僚、あの世界のみんな、許してね。
そしてできれば、誇ってね。
あなたの娘が、あなたの友達が、あなたの同僚が選んだ道は間違いじゃないって思ってくれたら嬉しい。
結婚を祝ってもらうより、もしかしたらそっちの方が嬉しいかも。
私の力は、この知識は、全てあの人を助けるためのものだから。
それだけが、私のしたい事だから。

「・・・医仙、どうされました」
王妃がわずかに怪訝そうな顔で、ウンスに問いかける。
曖昧に笑って、ごまかすようにウンスは返す。
「いえ、いろいろ。この歳になると、けっこ・・・婚儀に関して夢とか希望とかより、現実を見るようになっちゃって」
苦し紛れのウンスの言い訳に、王妃は僅かに細い首を傾げた。

「こうしたい、というご希望はないのですか」
「そりゃあ、あります。豪華な式場とか、ウエディングドレスとか、素敵な指輪とか、招待客とか、ハネムーンとか」

そんな言葉を口にしながら心の中の違和感が膨れ上がっていくのを、ウンスは自分でもどうすることも出来ない。
言えば言うほど嘘っぽい。私、本当にそれが欲しいのかな。雑誌やネットにインプットされた情報を繰り返してるだけみたい。
こういう結婚式が正しい。そう決められた定番を忠実に実践するロボットみたいな気持ちになって来る。

こういう式なら、満足できる。
こういう式なら、恥ずかしくない。
こういう式なら、虚栄心が満たされる。

でも結婚って、これから愛する人とずっと一緒にいますよって宣言だけじゃなく、それを法に沿って遵守していく契約よね。
だから不倫が罪になったり、離婚の時に金銭の授受が発生するわけで。

私、あの人と契約したいのかな?
そんな風に守るべき法律は、この時代にもあるのかしら。
私は愛する人と一緒にいたいだけで、それ以上の事も、それ以外の事も、欲しいわけじゃないのに。

王妃の部屋の中、夏の風が大きく開けた窓から流れていく。
風に吹かれて、ウンスは王妃と向かい合いながら、肩を落としてぽつんと聞いた。
「媽媽は、王様とのご結婚の時、どうでしたか?」

ウンスの力ない声に王妃は眸を瞠って
「どう、とは」
静かな声でそれだけ問い返した。
「こうしたい、とか、夢がありましたか?夢は、叶いましたか?」
「医仙」
王妃は小さく首を振って、目の前のウンスを見た。

「妾の婚儀は、妾の自由になる事ではございませんでした。国同士の約儀です。それが定めで、そういうものと思っておりました」
そして王妃の赤い花のような唇が、少しだけ微笑んだ。
「ひとつだけ。妾は、あの方でなければ婚儀はあげぬと我儘を通しました。あの方でなければ嫌だと、入水しかけました」

苦笑いの告白に、ウンスは息を呑んだ。
知らなかった。魯国大長公主と恭愍王の大恋愛は史実でも有名だけど。
「そうだったんですか?」
王妃はその頃を思い出したか、遠くを見るような瞳で頷いた。
「幼い頃より、ずっとあの方を想っておりました。その方と一緒になるために、妾は戦いました。しきたりとも、父王とも」
「そう、だったんですか・・・・・・」
「妾は倖せです。王様とお逢いできた事も、王様と夫婦になれた事も。けれどそう言えるようになるまで、長い時がかかりました」
「はい・・・」

確かにそうだったとウンスは思い出す。無理矢理ここに連れてこられて、王妃の首の手術をして。
その後の二人が魯国大長公主と恭愍王だと分かっても、歴史の姿と違う冷たい夫婦の様子に、俄かには信じがたかった。

「婚儀の初夜に、王様に言われました。たとえ国同士がどのような契約を結ぼうと、自分の心はやらぬと。敵国の女に心を開く事もないと」
「媽媽」
王妃は頬に濃い睫毛の影を落として目を伏せた。
卓の上にあった小さく柔らかそうな白い手は、いつの間にか王妃の金銀の刺繍を施した翡翠色の韓服の膝の上で、硬く握られていた。

「憎いと思ったことがあります。妾の立場も、あの方の物言いも。
民であれば好きおうて夫婦になり、気持ちが離れれば別れるのに、互いにこんな思いまでしても一緒に居らねばならぬと。
敵国の王女故、あの方に気持ちもお伝えできず、属国の王故に、あの方は好かぬ妾と共に居るのだと」

そして王妃は顔を上げて、ウンスを見てようやく微笑んだ。
「それでも伝わりました。時間かかりましたが。医仙には無為に過ごして頂きたくないのです。
御二人はもう十分、離れていらしたでしょう。これよりは大護軍と、その一生を共にして頂きたいのです。
教えて頂いた天の言葉を、ずっとお伝えしてほしい。
そして大護軍がその声を、ずっと忘れずにいらっしゃれば、それで良いかと」
「媽媽」
「妾にも夢がありました。けれど妾の婚儀では叶いませんでした。
ですから医仙の婚儀では、医仙の夢が全て叶えばと思います。
妾に出来る事は、何でもご協力いたします。姉上の婚儀に妹が」
そこまで言って、王妃は声を切った。

「そうです、医仙。姉上の婚儀に妹が力を尽くすのは、礼節です。
妾の婚儀の際も、妹姫たちがあれこれと力になりました。
何処から何を言われるでもない。国の法度に触れる事でもありませぬ」
「え?」

急に明るくなった王妃の声に、ウンスは驚いてその顔を見た。

 

 

 

 

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1 個のコメント

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    やっぱり王妃様はいつだってウンスの味方♪
    ウンスと王妃様もまた、出逢うべくして出逢った、運命の二人だと思うんです。
    ウンスとチェヨンは魂の片割れ同士だけど、ウンスの魂は双子みたいなもので、それが王妃様って感じがします(⌒‐⌒)♪『双子の魂』もまた、引き裂くことは出来ませんよね。

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