紅蓮・勢 | 37

 

 

後ろで始まった斬り合いをそのままに門扉へ駆ける横。
ウヨルがぴたりと付いた。
「徳興君の部屋へご案内します」
走りながら叫ぶ声に黙って頷く。

薄暗い館内に走り込み、ウヨルに並び回廊を足早に進む。
その背は回廊の途中ですぐに止まった。
「ここです」
その声と同時に目前の扉、高く振り上げた足で思い切り蹴り開ける。

奴がいた。

豪奢な調度品に囲まれた室内、飾り彫りを施した黒檀の大卓前。
椅子から腰を上げ、呆気に取られた目でこちらを見る男。

あの頃よりも幾分老け込んではいるが、忘れようもない。

目の前の男はこれが悪夢でもあるかのよう何度もその目を瞬く。
真っ青な顔の中、口だけが何かを叫ぶようにぽかりと開いた。

しかし其処から声すらも出ぬか。
ただその口を釣り上げられた瀕死の魚のように動かし、荒い息を繰り返す。

俺は剣腕の鬼剣をぶら下げたまま部屋の中を横切る。
次の瞬間にこの探し求めた、憎い男の真横へ立った。
立ったままその喉元へとぴたりと鬼剣の刃を当てる。
ほんの僅かでも息をし損ねれば刃が喉を掻き切ろう。

殺すな。殺すな。殺すなとだけ繰り返す。

どれほど憎かろうと。下った王命がある。
生かしたまま開京へ連れ戻さねばならん。

震えるこの手の鬼剣をようやく鞘へと音高く納める。
そのまま奴の肩ごと両腕を背後へ思い切り捩り上げる。
両肘を曲げた状態で固め、同時に周囲を素早く眸で探す。

縛るものを探していると気付いたか。
ウヨルが傍らの寝台の横、絹の寝衣の腰紐を持ってくる。
それで両腕を思い切り縛り上げると、痛みに唸りながら男が口を開いた。

「チェ」
「黙れ!!!」

肚最奥から絞り出した一喝に徳興君が、そしてウヨルまでもが呑まれたように俺を凝視した。

縛り上げたこの男の膝裏を蹴り、その足を折らせて床へ転がす。
着衣の上、肩から背、胸、懐、袖、腰、足、帯中に至るまで両手で隈なく探る。
万一にでも何処かに毒を隠しておらぬように。
たとえ後ろ手に縛り上げたとて油断ならぬのがこの薄汚い鼠だ。
「正気か、チェ・ヨン」
縛られ転がされ無様な姿を晒しながら、奴が床から毒々しい目で俺を睨みつける。
俺は無言でその体を全て確認し終える。
「ウヨル」
「はい、大護軍殿」
「拘束の手鎖足鎖を借りたい」
「すぐに持って来させます」

騒ぎに気づいたか館内の警護兵であろう奴らが数人、室内へと駆け込んで来る。
床に転がった男の蒼白な顔に、僅かに希望の赤みの色が注す。
「この男を捕らえよ!双城総管府での乱暴狼藉など」
声が空しく響く中、兵らは一斉にウヨルへと敬礼する。

「こちらが高麗大護軍、チェ・ヨン殿だ」
ウヨルのその声に、兵が続いて俺へと敬礼をする。
「手鎖足鎖を持って来い」
続いた静かな声に
「はい!」
兵らはそれだけ言って部屋を出て行った。
この男が、出て行く兵の背に向かい
「お前ら、何をしている!双城の兵が何故私を護らぬ!!」
大声で叫ぶ。

床に転がったこの男の口を塞ぐものが見つからん。
これ以上この声を聞けば、本気で殺してしまう。

その場から大股で寝台へ向かうと、脇に掛かっていた件の絹の寝衣を取り上げる。
足首に隠していた小刀を抜き、寝衣の仕立て襟に刃を当て、一気にその襟を音高く切り裂いた。
襟が一本の紐になったところで、この男の足首を縛る。
続いて寝衣の片袖を切り裂き終えたところで、襤褸の塊と化した寝衣をぽいとその辺に放る。

「これから暫し口を塞がせて頂く」
袖だったその絹を、床の男の目の前にぶら下げて見せる。
この男は今や憤怒で顔を赤く染め、俺に怒鳴り返した。
「ふざけるな、お前ごときが元に歯向かってどうする。すぐに元の兵がここへ攻め込む。
そうすれば元の領土の双城総管府で、お前などすぐに」

元に。元の。元で。相変わらず己では戦おうともせぬ。
あの頃は徳成府院君 奇轍。今は元。
何時でも誰かの庇護のもと、影でしか動けぬ惨めな男。

「此処はもう元の領土ではない」
俺の声に男が目を剥いた。
「どういう事だ」
「王様が、元との国交断絶の勅旨を出された。我が祖国の中に、元の領土など最早存在せぬ。
それでもと言うなら勝手に攻めてくれば良い。紅巾族二万を討った俺が直々にお相手しよう」

静かな声に、赤い顔が再び色を失っていく。
「お前が、何をしただと」
震えはじめた声に俺は畳みかける。
「隔世の感があるな。世の流れをご存じないか。
鴨緑江を超えようとした紅巾族二万を討った先日の件まだ報せはないか。それとも」

そこで片頬で笑んでやる。
「報せを飛ばす価値もないのか」
そうだ、もうこの男の掌でなど踊らされぬ。その言葉になど揺らされぬ。
此度は俺の番だ。
「第一自国の中で二万の挙兵を許す元に、高麗へ攻め込む兵力など残っているか」
続けた言葉にこの男の目が揺らぐ。計算しているか、遅すぎるというのに。
「自分をどれ程の者と思っているか知らぬが、お前は王様に弓引き謀反を目論んだ重罪人」

腕を組み、床に転がるこの男を見下ろす。
「高麗が在る限り、その罪は死ぬまで消えぬ。
開京に戻れば詮議が待っている。覚悟されよ」
兵たちが手鎖、足鎖を下げて部屋へ駈け戻ってくる。
それを受け取りこの男の脇へ膝をつき、縛ったままの両腕そして両足首にその鎖を確りと掛け、強く引いて確かめる。

部屋の中、重い鎖の擦れ合う音が響く。
最後にその口に、絹の猿轡を噛ませる。
舌を噛み切る勇気などある男ではない。
それでもこうしておけば胸糞悪い声をこれ以上聞かずに済む。
鎖を掛け終え、床から膝を上げる。
「ウヨル」
「はい、大護軍殿」
「この男を牢車に乗せる」
その声に鎖を運んだ兵たちが頭を下げ、
「用意いたします」
それだけ告げると、再び部屋を飛び出す。

その後姿を横目で確かめながら、ウヨルが静かに問うた。
「大護軍殿」
「何だ」
「此度力を尽した兵たちはどうなりますか」
「王様へご報告する。恐らく李家の私兵となろう」
「元の者だったことは不問ですか」
「無論」
「こちらに付いた以上もう元には戻れぬ者たちです。今の言葉、約束してくださいますか」
「する」

頷く俺に安堵したようにウヨルが表情を緩めた。
息を吐き、暮れ色を深める窓の外を見る。
もう刻は迫っていると、その空の色が教えている。
「残るは総管と千戸たちか」
「この館内にはおらぬようです。確かめてきます」
「頼む」
ウヨルが頭を下げ、速めた足で部屋を出て行く。

その姿を見送った後、床に転がる男に目を戻す。
あれ程に待ち望み追いかけ捕まえてみれば、相変わらず性根の腐った薄汚い鼠だった。
こんな風にしか、生きられぬ奴もいる。
「間もなく高麗軍五千が、ここを落としに来る」

かつてはお前の国でもあった。
これ程に愚かでなくば、忠義を忘れず王様に尽くせば、少なくとも王族として誠意を持ち王様をお支えしていれば。
そうであれば王族として、最後にこれ程惨めな姿は晒さず済んだ。
「誤ったな」

淡々と呟く声に、この憐れな男は憎しみの赤い目を向けた。

 

 

 

 

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