紅蓮・勢 | 33

 

 

「静かなのね」
夜の天幕の中、小さな声が囁く。
これほどの兵が移動する、まして明日は双城総管府。
いつもの移動時に比べれば天幕外の兵たちの気配が濃い。
「いえ、今宵は少々騒がしい」
そう伝えるとこの方は驚いたように目を瞠った。

「これより静かな事があるの?」
「普段はもっと静かです」
そう伝えて天幕の入口へと進む。
そこで振り返ると、この方が小さく首を傾げた。
その目を捉えて小さく顎を動かすと、気づいたこの方が其処へ向かって歩いて来る。
横にいらしたところで天幕の入口布を静かに巻き上げ、外を見る。

幕の向こうに広がる真暗な草原。
初夏の風が渡り、天幕の入口に焚かれた篝火が揺れる。
伸びる歩哨の兵の影。
空の月は冬より遥か遠く小さく、草原一面を照らすには弱すぎる。
何処からか、夜鷹の啼声が響く。

五千の兵の気配が草原の中にある。
その息、顰めた話し声、歩く音、武器の触れる金属音。
そんなものが気配となり立ち上り、広い草原を揺らす。

移動で怪我をするような間抜けはおらずとも、明日からは何も約束できない。
双城側と全面でぶつかれば、全ての兵が無傷でいられる保証はない。
この方だけではない。鷹揚隊にも軍医はいる。
この方だけに負担がかかることはないとしてもこれ程ゆるりと過ごせるのは、互いに今宵が最後。

明日己がしくじれば、この暗い夜さえ暫くは戦の紅蓮の炎で照らされるかもしれん。
夜の中、暫しの寛ぎを甘受する全ての者らが、その紅蓮の炎で焼かれるかもしれん。
僅かな狂いも赦されぬ。
全てを計画通りに、完璧に そして一息に。ほんの一息。全てを決める一瞬が目前にある。
「イムジャ」
暗い草原から眸を離さず声だけで問う。
「怖くはないですか」
「もちろん」

勿論、怖い。勿論、怖くはない。何方だろう。
判じきれずに、ようやくこの方へ眸を戻す。
「勿論」
「怖いし、怖くない」
横のこの方がその眸を受け、静かに告げる。

「あなたが戦場に行く、それは怖い。嘘はつけない。
でも怖くない。あなたが怪我しても、みんなが怪我しても私が必ず治す。治してみせる」
嘘ではない。そこにあるのは希求だ。
俺が誰よりも力を求めるように、この方も求めている。
救う力をと。ひとつでも多くの命を救える力をと。
男である俺が敵を弑してもこの方を護りたいと願うように。
女人であるこの方は俺の、俺たちの命を護りたいと願うか。

並んだ互いの目がそれぞれ静かに、また草原へと戻る。
似ている、と思う。

明けることなどないかと思わせる長すぎる夜の中。一人きりで拳を握り、己の無力感に耐える。
朝には横の愛しい者に不安な顔を見せぬよう、昨日よりもひとつでも力を得ているように祈る。
周囲の者に弱い顔を見せる己を絶対に許さず、昨日失った者に詫び、今日は失わぬように願う。
その孤独も痛みも似ていると思う。思うからこそ、受け止めてやりたいと願う。

愛している。
不安になるな。俺は必ず戻るから。
そして兵を、必ず無事で戻すから。
悲しませることはせぬと誓うから。

口にすれば伝わると判っていてもそれすらできん。
口にすら出せぬ程強く深くただ心の中で繰り返す。

愛している。

口に出せぬ言葉を伝えるために、横の小さな手に指を伸ばす。

 

あなたが私の横にいる。息をしてる。しゃべってくれる。
それを確かめるだけで、それ以上の幸せはないって思う。
その姿を見るだけで、それ以外は何もいらないって思う。

笑顔で言ってきますと言った人が、ただ今って帰って来てくれるのが当たり前じゃない。
そんな残酷な事実を、私はこの世界で初めて知った。
横のあなたの手を握ろうと手を伸ばしたら、そこに伸びてきたあなたの指とぶつかった。
思わずあなたを見上げると、あなたの視線が降ってくる。
どれほど無理をしてるか、知っている。
どれほど厳しい道か、やっとわかった。
あなたについてきて、見えた事がたくさんある。

知ってるつもりだったのに。
あなたがどんな風に生きてきたか知ってるつもりで、それを覚悟して戻ってきたはずなのに。
なのにこうやって静かな時間が出来ると、どうやって笑わせてあげればいいか分からなくて。
その黒い目を見ると泣きたくなって目を逸らす。
チャン先生、劉先生、私に力を下さい。
教えてくれた医術を発揮できるように。
この人を、そしてこの人を守るみんなを護れるように。

神様、願いを叶えて下さい。
私は大丈夫。この人が無事なら、何があっても大丈夫。
この人さえいれば何もいらないから、私の残りの幸運を全部この人にあげて下さい。
「・・・ヨンア?」
「はい」
呼べば必ず声が返ってくる。

「行かなくていいの?」
「何処にも行きません」
その穏やかな、深い声。
いつだってそうやって、ここにいてくれる。

どう言えば正しく伝わるんだろう。何よりも誰よりも大切。ずっとそばにいたい。
私にだけは、弱いところを見せてほしい。どんな姿を見たって、私は変わらない。
どれだけ言葉を尽くしても、愛してるって何万回言っても、この気持ちには追い付かない気がする。
だから笑う。あなたが安心して弱音を吐けるように。
泣きたい時には、いつだって私がここにいる。疲れたらいつだって、この肩にもたれていいから。
あなたの痛む場所は心も体も、全部治してあげたい。

「ヨンア」
「はい」
これ以上言葉でなんて言えない。どんな言葉も今の気持ちを表せない。
「明日も早いでしょ」
「ええ」
「じゃあ、もう寝ようか」
「・・・はい」

明日には双城総管府に着く。あの李 成桂のいる場所に。
でも、大丈夫。あなたが無事なら。無事だって分かってるから。
絶対負けない。諦めたりしない。

何があったって、あなたを護ってみせる。

 

 

 

 

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2 件のコメント

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    泣いてもいいのかしら?
    途中から涙がこらえられなくて
    泣けてくるんですけど・・・・
    前にも言ったし、いつも思うことだけど
    貴女の頭の中とくに右脳を覗いてみたい。
    あっ!右脳を覗きたいなんてのは
    今初めて言うんだけど( ´艸`)
    それにしても余韻を残してくれるよねぇ?
    本当に悔しいくらい(なんでやねん)
    野営地の静かな夜を感じながら
    結果がわかっていても
    武運と2人はもちろんだけど
    皆の笑顔が消えることのないよう
    祈ります・・・・(´_`。)

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    >victoryさん
    こんばんは❤超遅コメ返になり、申し訳ありませんでした…
    余韻、ですか。うーん。最近余韻を残し過ぎて話が長編化してる気配もw
    でも、そうヨンで頂けると嬉しいです❤
    ありがとうございます(*v.v)。
    あ、右脳はきれいにつるつるかと。ええw

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