紅蓮・勢 | 36

 

 

先はどうあれこの若い男と、そして男の父親の協力が必要であることは事実。
ようやく見つけた鼠の尾を捕まえ、この巣から引き摺りだすことが先決。
起きるか分からぬこいつとの先の反目を憂うより、今は手を結び成さねばならぬことがある。

己の策に胸を張る、目の前のイ・ソンゲに向かい頷く。
「五百で高麗精鋭五千を相手か。
蛮勇も良いがなるべく早く開けるのが身のためだと言ってやれ」
浮かべた苦笑いに
「はい!」
ソンゲは嬉しそうに笑った。
「残りは総管と千戸か。徳興君と同じ館に居るのか」
「いえ、正館にいるのはチョ総管のみです」

あの男か。
思い出したその顔の背景は雪。

雪の中仕組まれた偽の婚儀、大監の館の庭での猿芝居。
その折、チョ総管の面は見知っている。
私兵の武器を取り上げた時の、憤怒の表情。
ここで再び遭遇するなど、夢にも思わなかったが。

因果か、運命か、それともこの世が狭いのか。
あの時追及の手を逃れても、高麗の民の血税を搾り取り甘い汁を吸った報いは、必ずや受けてもらう。
あの時、大監たちを捨石に逃げ延びたつもりであろうと。
「開門時に会おう。東門で」
「畏まりました」

立ち去る間際、ソンゲに向かい右手を差し出す。
ソンゲは驚いたよう目を丸くし、差し出したこの手をじっと見た後、俺を見上げた。
そして心から嬉しそうに頬を紅潮させ、震える両手で俺の右手を堅く握り返し、深々と頭を下げた。
その手が離れると同時に踵を返し、ソンゲの腹心らしきウヨルという男に先導され、俺達は扉を抜けた。
「テマナ」
扉を抜けた処で声を掛ける。
「はい、大護軍」
俺の横、テマンが声を返す。
「お前はこのまま、チュンソクの処へ戻れ」
その命にテマンがじっと俺を見る。
「徳興君の件は予想外だ。報せねばならん」
「判りました。報せたら、すぐに」
「いや、そのまま医仙につけ」
「大護軍!」
「此方はどうにでもなる。あの方を取られるな」
「でも、ひとりであ、あいつに」

必死に言い募るテマンの目を見つめ返す。
お前の肚の中はよく判る。
だからお前も、俺の肚の中が判るだろう。
そう目で問うと、テマンは根負けしたように俯いた。
そしてすぐに顔を上げ、唇を真一文字に結んで頷いた。
「皆を連れてすぐ戻ります」
「ああ」

物をいう刻すら惜しいと判っているのだろう。
テマンは頭を下げて列を離れ、来た道を走って行った。

あの方を守れ。守ってくれ。

テマンの進む道と逆に歩きながら、胸に繰り返す。
これでもう少しだけ安心して、あの鼠に対峙できる。

夕暮れの色を濃くしていく双城総管府の中、俺たちの軍沓の足音だけが、回廊に小さく響く。
この一歩一歩が、お前へ続く途。
この宿願を果たし、お前に引導を渡す短い旅だ。
腰に構えた鬼剣の鞘、関節が白くなる程握りしめる。
歩きつつ深く呼吸を繰り返し、肚の中の気を整える。

首を洗って待っていろ。

「あそこです、大護軍殿」
前を行くウヨルの穏やかな声に、歩を緩める。
ウヨルは僅かに道を外れ、蔵らしき建物の物影へと俺たちを先導して滑り込んだ。
身を顰めたその物陰から、ウヨルが目で示す。

暮れゆく紅い空を切り取り、眼前に浮かぶ一際大きな館の影。
入口に焚かれる篝火が明るく光る。
「東の正館。チョ総管の居室があります」
「判った」
さすがに無人と言うわけにはいかん。
ざっと見ても二十ほどの兵の影が、館の門前に並んでいる。

「中の兵はどれほどだ」
「内部の警護は、こちらの兵で固めてあります」
「では片付けるのは、外の兵だけで良いんだな」
「はい」
「承知した」

そう残すと俺はそのままその物陰から進み出た。
他の兵らが一拍遅れて続く。

迷いないこの足取りに味方と見誤ったか。
門を守る兵たちは見慣れぬ鎧姿の俺を、ただ茫然と眺める。
誰そ彼、たそがれとは、よく言ったものだ。

次の瞬間、慌てた兵から誰何の声が飛ぶ。
「何奴!」
そう言いながら向かってくる一人目の刃を躱し、同時に鬼剣の鞘の尻でその咽喉を突く。

そのまま鬼剣を鞘から抜きながら二人目の刃を逆に避け、剣を握る腕を峰で打ち据える。
三人目の鎧の腹を思い切り蹴り飛ばし地へと転がす。
四人目が正眼から斬りかかってくる刃先を避け、擦れ違いざまその顎へ柄台を叩き込む。
五人目、弓兵の射った矢が飛んで来る。
利き足を軸に体を回し、その勢いのまま目の前の弓兵二人の胴を薙ぎ払う。
七人目の抜いた刀と斬り結び、力で押して跳ね返し、揺らぎ崩れた体を袈裟懸けにする。

この足を止めるため躍起になって飛び掛かる間抜けな兵のおかげで、門扉の護はがら空きだ。
ウヨルが兵を斬り捨てながら、取り出した警笛を鋭く吹いた。
その直後館の中から門を抜け、兵たちが駆け出てくる。
「頼んだ」
後ろに一言吼えると、俺は駆け出した。
「は!」
後ろの七人の声が返る中、走り出た兵たちが先発隊と合流する。
その数でもざっと五十。ここでの斬り合いに負けはなかろう。
「大護軍殿のお連れだ。守れ!」
ウヨルの声に
「はい!」
正館から飛び出て来た兵たちが呼応する。

 

 

 

 

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4 件のコメント

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    さらんさん、今朝も素敵なお話をありがとうございます!
    ヨンの表情や姿、動きがしっかりと見える描写に、グイグイと引き込まれました。
    宿敵となるイソンゲとの再会に加え、かつて望まぬ婚儀を仕組んだ忌々しい首謀者との対峙…、ヨンの歩む道に現れる様々な山や谷にはらはらドキドキします。
    さらんさん、天気のいい土曜日、いかがおすごしですか?

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    久しぶりの戦闘シーンですね
    ワクワク ドキドキです
    やっぱり さらんさんの描写は素敵です…
    ヨンの息遣いや 鬼剣の風切り 鎧のぶつかり合う音などが 聞こえてくるようです
    鼠を捕まえることが できるように祈ります

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    >ゆきんこさん
    こんばんは❤超遅コメ返になり、申し訳ありませんでした…
    鼠、まんまと捕らえられた挙げ句のアレでした…
    駄目な男は、とことん駄目だ、と。
    戦闘シーン好きなゆきんこさまや皆さまにお褒め頂き、
    嬉しい限りです❤
    ヨンで頂き、ありがとうございました❤
    嬉しい限りです

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    >muuさん
    こんばんは❤超遅コメ返になり、申し訳ありませんでした…
    今回は、ウンスとキム侍医の真剣線が中心で、戦闘シーンが少なく、
    私としては、この後いつかUPの【紅蓮・爆】が、
    ある意味楽しみになりつつあるのですが。
    そろそろいろいろなものが見えて来て、其処に向け
    いろいろと整理しつつある状態です。
    ここで長くお休みを頂き、過去話を読み返しました。
    このときはこうだったなあ、と。
    良い機会だったと思います。多分帰った後の新しいお話は
    原点回帰したお話になりそうです。
    内容も、切り口も。
    その時は、また是非❤
    ヨンで頂き、ありがとうございました❤

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