「来い」
俺が目を開けた瞬間。あの男が俺の目前に進み出る。
そしてこの襟首を絞り上げ、木の根元から立ち上がらせる。
俺は無言でその手首を握り返し、捩じって払い除け一言告げる。
「触れるな」
そんな俺を睥睨するよう、俺よりほんの僅か高い処より、奴の眸が当たる。
「華侘がお呼びだ」
それだけ告げ踵を返し兵舎内へ大股で戻るチェ・ヨンの声に、俺は兵舎へ急ぐ。
先刻チェ・ヨンと睨みあったあの部屋の、病室へと続く境の扉前。
先生と共にチェ・ヨンの朋輩らしき丈高い医者が並び、俺達を静かに出迎えた。
それぞれの医着にべたりと飛んだ赤い血の出処を思い、呼吸が早くなる。
「まずチェ・ヨン殿、ソンジン、ウンスの手術は成功だ」
先生の声に、俺とチェ・ヨンは同時に太く息を吐く。
石を抱いたように重かった胸が軽くなる。
あまりに軽くなりすぎ、足元が危うい程に。
崩れ落ちそうな足に力を込めて踏み止まる。
離れた横に立つチェ・ヨン、奴が額に手を当て、俯くのが目の端に映る。
「いずれ目を覚ます。待とう。まずは十分休ませることだ」
先生の続く言葉に、俺とチェ・ヨンは頷いた。
「しかし大護軍、問題は」
あの丈高い医者が、チェ・ヨンに目を移す。
「何だ」
すかさずチェ・ヨンが、その医者を見遣る。
「医仙が目を覚ますまで、私は共にいられぬやも知れません。勿論お世話をしたいのは山々です。戻りたくはない。
しかし医仙が動かせぬ状況である以上、まずは王様へ早馬を出し、此処へ残れぬかお伺いを立てねば」
チェ・ヨンが医者の声に、眉を寄せ目を閉じる。
しかし次の瞬間目を開き、奴は迷いなく頷いた。
「そうしよう」
これだ。こいつのこういうところが、俺は憎い。
何よりウンスを優先させぬ、こういうところが理解できぬ。
「チェ・ヨン殿」
先生がチェ・ヨンの朋輩の医者の声を継ぐ。
「もしもチェ・ヨン殿が許してくださるならば、チャン先生がお帰りの後は、私が責任を持ち、回復までウンスを看護したい。宜しいか」
先生の声に、チェ・ヨンが僅かに目を開く。
「華侘が」
「ええ。どれ程時間がかかるかは、現段階では分かり兼ねるが」
先生の提案に、奴は微かに首を振る。
「しかし天門が閉じれば。元はといえばウンスはそれで、天界へ戻れず」
チェ・ヨンが苦し気に小さな声で告げる。
「チェ・ヨン殿、私は待つ者のいる身ではない。唯一待っているソンジンは、共にここに居る。
チャン先生のお帰りになるまでは共に。もしも間に合わねば、目覚めるまで私が」
先生は苦く笑んで、チェ・ヨンへ告げる。
「しかし華侘が元の世界にお帰りになれなければ、某にはその責、負いきれませぬ。
こうしておいで頂き、救って下さっただけで十分。あとは責任を持ち、天門までお送りいたします」
選べる立場かと、怒鳴りたいのを必死で堪える。
お前こそウンスを救うため此処へ残るよう、頭を下げるのが筋ではないか。
チェ・ヨンの硬い横顔に穏やかに笑んで、先生は静かに諭す。
「元の場所に帰れる帰れぬなど些末事。医術さえあれば、この腕を必要とする方はいつの時代にもいらっしゃる。
それよりも患者を見捨てる事の方が恐ろしい。もしも帰れぬとすれば、あなたには一切の関係はない。
私が医者として選んだ道とご理解ください」
変えられぬ先生の静かな意思を汲んだか、チェ・ヨンは僅かに眉を顰め、背の高い医者を見る。
医者がその目を見て頷くと、チェ・ヨンは再び先生へと目を当て、ようやく僅かに顎で頷いた。
「伏してお願い致します。我が高麗の医仙ユ・ウンスを、侍医と共に必ずや、回復させて頂きたい」
苦し気なチェ・ヨンに、先生はゆっくりと笑んで頷いた。
「分かりました」
******
「信用できます、少なくとも医術は」
寝台横に佇む俺に、チャン侍医が静かに言う。
ウンス、お前の魂が此処に留まっただけで。
侍医へと頷き、お前の頬に触れる。
触れて初めて、どれ程触れたかったか知る。
ウンス、ようやくだ。
温かい、それだけで良い。
起こすのが怖くなり、そっと離す。
今は好きなだけ眠れ、そして早く。
あの意識の底でお前が言った。
必ず戻ると。いつも一緒だと。
だから信じる。お前は戻ると。
早く、早くと逸る心を抑え、拳を握り締める。
俺は此処にいる。早く戻って来い。
道が判らねば、其処から俺を呼べ。
「もう大丈夫だ、少なくとも身体は」
先生が座り込む俺の肩に手を置き、静かに言う。
言葉の重みに眩暈を覚え、俺はようやく頷いた。
ここに居てくれる、生きて居てくれる。
今はそれ以上の望みなどない。
俺の運命を見つけろとお前は言った。
運命の相手と、幸せになってくれと。
運命は既にお前に定められているのに。
だから戻れ。そして見て聞き、心で決めろ。
俺は二度と退く気はない。
医仙の枕許、佇む大護軍の横顔に息を吐く。
今にも戻りそうな掌中の珠を愛でる、久方振りの穏やかな瞳。
お助けできて良かった。医仙も、そして大護軍も。
しかし。
先程の医術を見て、疑惑と困惑は深まるばかりだ。
華侘。あの方の医術は、私の知るどれとも違う。
まるで赤子と大人だ。臓腑の位置、名称、構造、機能。
あの医術を、一体何処で修められたのか。
そしてあの縫い針。
何処かで医仙から譲られたものなのか。
そうであれば腑に落ちるが、そうでないなら。
一つの仮説が胸の中、渦を巻いて湧き上がる。
天門を潜れるのが神医だけだとするならば、神医とはこの世に一人だけなのだろうか。
医仙以外が、今までにくぐったことはないのだろうか。
医仙以外に、誰かがくぐる可能性は、ないのだろうか。
人知れず天門をくぐり、こうして別の世に降り立った神医は、本当に私たちの知る医仙だけなのだろうか。
座り込むソンジンの脱力した姿。
辛いだろう、待つ身の辛さは私にもよく判る。
オペ室から出るたび、待合室の家族が手術着の私に真摯な目を当てる。
頼れる者はあなたしかいないと、視線で訴える。
その視線の持つ強さと力に、いつも圧倒された。
私は神ではないと。それでもその領域に立ちたいと。
この待ち詫びる家族を救いたい、患者を救いたいと。
変わらない。どこに行こうと。
チャン医師。彼もまた素晴らしい力を持っている。
それでも私の気持ちは変わらない。
バタフライエフェクトは絶対に起こせない。
それぞれの時代で、出来る限りの医療を残す。
それを活かして発展させるか、努力を怠り現状維持か。
その世で入手可能な薬草で、器具で、私の知識を残す。
チャン医師、彼もまた継いでくれる気がする。
発展させてほしい。ここにウンスがいれば尚更だ。
二人で力を合わせれば、今後の見通しは明るいだろう。
ああ、書いた本を持ってくれば良かった。
彼に、チャン医師に渡してやりたかった。
ここにいる間に何処まで書けるだろうか。
残せる程度のものが書きあがれば良いが。
そして門が開けばまた先に行く。
私にできる事はただそれだけだ。
あの時代、モンゴル時代に会ったウンスにもそうしたように。
彼女はおそらく、私と同じ身の上だ。
モンゴルの後、ここにいる事で判る。
患者に残されていたステッチは、この時代のものではない。
治療に抗生物質が使われたケースが、何件か散見された。
考え方はそれぞれ違う。私も最初はそうして治療した。
そして悟った。手を出してはいけないと。
薬品知識を残すよりも、医療技術を底上げすることだ。
新たな生薬、手術、鍼、人体構造、神経系統の治療。
発展させるべき分野は、山ほどあるのだから。
私は流れて行く。時代の中を、時間の波を。
そしてユ・ウンス、彼女はここに留まるだろう。それもまたひとつの医師の生き方だ。
地域医療に根差し、根幹をなす事も素晴らしい。それを達成させるためにも救いたい。
ここで思い惑う、若いソンジンのためにも。
ウンスの横に佇むチェ・ヨン氏のためにも。

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4者4様の思いですね。
一番驚いたのは先生の独白です。( ̄□||||!!
ええっ!?という気分です。
驚きました。でもそうですよね、それしかないですよね。
さらんさんの設定の深さにいつも「まいった!」の私です。
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おはようございます
さらんさまー!
【吾亦紅】で気になって仕方がなかった劉先生の過去。
やはりでしたか!スッキリです!
ヨンとチャン先生、劉先生にソンジンと…私にとっては夢のようなコラボ、
その上気になっていたことが少しずつ明らかになってと…
ケガを負ってしまったウンスには申し訳ないですが、すごくありがたいお話です(*´▽`*)
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さらんちゃん おはようございます。
手に汗握るってこのような時には使わないのかな?(笑)
長くなると知っていましたが待ちきれなくて途中で出てしまいました。
私は作家では平岩弓枝さんが大好きです。その中でも「御宿かわせみ」のファンですが
その先生が主人公の大親友に子供が出来たことを書いたために
主人公に年をとらせていくしかなくなって後悔したと。
長年のファンはその子 の初節句などを考え、節目で周りも必ず年をとらざるをえなかったと。
今は二代目達が活躍しているのですが少し寂しいです(笑)
その点ここは自由ですもんね!!それにヨンアとウンスぶれませんもんね?(笑)
なのでこの、ハラハラドキドキしばらく楽しませて頂きます。
いつも本当にありがとうございます。
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華陀さま~
侍医~
ヨンよかったね。
ソンジンからしたら
ヨンの愛し方、守りかた手緩く感じるのね~
でもそれが2人の愛し方なのかもよ~
2人にしかわからないことよね
残念だけど(T^T)
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毎回コメントを残したい気持ちを抑えて、
最後まで読ませていただいてからと言い聞かせておりました。しかし、この華侘の言葉に、身震いをするほどの感動。。。さらんさん、素晴らしい。。
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昨日までのお話、数日かけて読ませていただきました。一話一話読み進めていくたび次が気になって仕方ないほど引き込まれました(*^^*)
ヨンとソンジン…ウンスの気持ちは変わらないと思いますが、これからの展開が楽しみです。
それにしてもたくさんの人に愛されているウンスが羨ましい。愛されるだけのコトをしているから当然なんでしょうが(^.^)
色々悩むでしょうが、早く目覚めて欲しいです。
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さらんさん、今朝もドキドキのお話をありがとうございます!
ソンジンとヨンの静かな闘いに、目が離せませんね。
ウンスも目覚めてから、驚き、戸惑い、穏やかではいられないでしょうね。
続編、楽しみでなりません
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座っているわけだ…
華陀も現代から跳んできたお人だったんですね…
しかも何度も跳んでいらっしゃる。
肝が据わると言うか、すでにいろんな事を達観してらっしゃるんですね。
ソンジンの事も気になるけど、華陀の事がとっても気になる。
また覗きにまいりますね~♪(*^ ・^)ノ⌒☆
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劉先生って何者?
天界語が飛びかわっていますが…?
ソンジンの意志の強さ、ウンスへの思いの深さ、ヨンとシンクロします
続きが読みたーい!
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>あみいさん
こんにちは❤コメありがとうございます
もうこれは、実は【吾亦紅】の時から劉先生の落し処は此処か、
もしくはこれに近いものをずっと考えていました・・・というネタバレw
でないと、天門が開くだの、先へ行きたいのだろう、だの
謎すぎです先生!!不思議ちゃんですか?!となってしまい(゜д゜;)
書く機会を頂けて良かったです❤
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>わいやーさん
こんにちは❤コメありがとうございます
私もようやくさらん設定の劉先生に陽の目が当たり、
嬉しい限りです❤
ウンスも脇腹に矢が刺さった甲斐があります(え
なおかつ生きているチャン先生が、ヨンを大護軍とヨンでいる!
うーん、パラレルとはいえ嬉しいですw
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>victoryさん
こんにちは❤コメありがとうございます
いえいえ、こちらこそいつもお読み頂き嬉しい限りです❤
本当にありがとうございます。
お話に関しては、「ちびまる子ちゃん」「サザエさん」の
「何年たっても登場人物は同じ年」に慣れていて
気付いたら登場人物全員年下!が。
サザエさんが24と知った時には、腰が抜けました。
まじだ!3つ下じゃん、じゃあサザエ「さん」でなく
「サザエ」で良くね?的な、上から目線になってみたりw
因みに私とミノ氏(とチャン・グンソク氏とチ・チャンウク氏)は
現在、穴子さんとタメです。ガチです。
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>くるくるしなもんさん
こんにちは❤コメありがとうございます
いえいえ、もう手ぬるいなんて言い訳で、
単なる八つ当たり、どうにか理由を捏ねて
ウンスを奪う正当性を見つけたいのでしょう。
「あいつがああだから、傍にいるな、俺に来い」と。
それも切ないですが・・・(ノ_-。)
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>my starさん
こんにちは❤コメありがとうございます
うう、コメすら堪えて頂くご心配をおかけし
本当に、申し訳ありません・・・
お心遣いに心より感謝いたします❤❤
でもでも、コメも大好物です。エヘ( ´艸`)
医者は、肝が据わっていて、誰よりも愛情豊かで
なおかつ誰よりも冷徹な人間が名医になれると
私は信じている部分が大きいので・・・
劉先生は、その部分が出ていたら嬉しいなーと。
大長編化ですが、今暫しお付き合い頂ければ嬉しいです(*v.v)。
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>まろんさん
こんにちは❤コメありがとうございます
ここまで進んでからの御拝読、お時間がかかったと思います。
貴重なお時間を駆けて頂き、本当にありがとうございます(*v.v)。
さくっと読み飛ばせる話をなかなか書けない私としては、
どうにかせねば、と焦る一方です。
そんなお話が書けるようになったら、またUPしてみたいです❤
ウンスもそろそろ目覚めの刻。どうなりますやら。
もう暫しお付き合い頂ければ嬉しいです❤
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PASS:
>muuさん
こんにちは❤コメありがとうございます
ここまでは睨み合いで済んでいましたが・・・
出来れば直接対決は・・・と願いますが。はい(ノ_-。)
ウンスの目覚めもまた、おとぼけウンスらしいかもしれません。
直に目覚める筈です。ウンス・・・( p_q)
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PASS:
>ののさん
こんにちは❤コメありがとうございます
お久しぶりです~~❤
最近はいかがですか??
私も覗きに伺おうと思いつつ、コメを2日半分ため込むという
恐ろしき進行状況で、不義理が申し訳ないばかりです・・・
華侘、これはもう此処か、これに近いところしか
落し処ないなーと思っていたさらん設定でした。
書けて良かったータエギダーな感じですw
私も時間空き次第、すぐに!
| 壁 |д・)ハロー しに参りますね❤
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PASS:
>kacotanさん
こんにちは❤コメありがとうございます
劉先生こそが、ウンスの上を行くタイムトラベラーでした。
扉が開くたび、何の未練もなく飛び込み、行ける限りの場所で
医術を施しているようです。
ううう、独白部分が分かりづらく、申し訳ありません・・・ヽ(;´Д`)ノ