2014-15 リクエスト | 曠日・3

 

 

「ヒドじゃねえか」
飯屋で藪から棒に声を掛けられ、俺はクッパを掬う手を止めた。

いつでも酒に酔っているようなでかい声。人の良さそうな赤ら顔。
総髪をざんばらに肩へと散らした姿。
「・・・・・・師叔」

何故ここに。いや、聞くまでもない。
ムン・チフ隊長の同門の弟弟子。俺達の師叔父に当たるこの師叔。
赤月隊の隠密行動を裏より支えるため、高麗中の情報を一手に集め動かしてきた手裏房の頭だ。
何処でどのように再会したとて不思議ではない。
何しろ高麗中に張り巡らせた情報網を持つ人にとり、この国は全てでかい庭のようなものだろう。
「ヒドヤ」
それ以上何も言わず、師叔は酔った濁る目に懐かし気な笑みを浮かべ、俺の卓の前へ腰掛けた。
俺は無言で微かに顎を下げた。
「何してやがった」
「散歩をな」
「手裏房の網にもかからねえような散歩か、二年も」
「・・・探していたのか」

何故だ。何故今更、俺を探していた。
「ああ、探した。もうとうに手遅れだがな」
「どういう、意味だ」
歯切れの悪いその言葉に、俺は目を眇め師叔を見た。
「何があった」
「・・・やはり知らねえか」
知っておれば、心当たりの一つもあれば、こうしてわざわざ訊いたりはせんわ。
眉を顰め、苛気を逃がそうと息を吐く。

「メヒが死んだ。それだけじゃねえ。あの頃の赤月隊の隊士で今残ったのはヨンアと、ヒド、おめえだけだ」

師叔の声。遠く聞こえるその声に、俺は息を詰めた。

分かっていた。
野に放たれたとて、俺たちには戦いの道しかない事を。
戦いの刹那にしか、生きる価値を見出せぬ事を。
護ることでしか、己の生の意味を証明できぬ事を。
それを放棄するは生きながら死ぬると同義という事を。

「酒に溺れた奴、自ら命を断った奴、剣客になった奴、戦場に戻った奴、いろいろさ。
皆最期は、例外なくぼろぼろになっていった。
俺も人のことは責められねえ。手裏房に来てくれた奴もいる。
なのに守ってやれなかった、自暴自棄になって危険な情報を集めに敵の懐へ突っ込んでく奴らを。
どうしようもねえ馬鹿叔父さ」

その言葉に、俺は首を振った。
「師叔のせいではない」
「慰めか」
「そんな陳腐なものではない」
俺達は皆知っていた。そんな風にしか生きられぬと。
知っていたから、選んだのだ。
知っているから今も俺は人を斬る。
そして斬って来る者がある限り、己を護る。

「・・・・・・ヨンアは」
俺は一番気に掛かるその名を口にした。

あの日最後に、捨てられたと思ったであろう、置いていかれたと思ったであろうあの弟の名。
あの若い虎の眸を持つ、誰よりも大切な弟を俺は本当に久々に呼んだ。

「ヨンアは、どうしている」
「死んだよ」
「ふざけるな!!!」
生き残ったのは、俺とヨンアだと言ったろう。あ奴は生き残ったのだろう。

「なあヒド、息さえしてりゃ、生きてんのか」
「禅問答はたくさんだ、ヨンアはどうした!」
「息はしてる。戦場にも行く。鍛錬もやってる。残りの時間は寝てばかりだそうだ」
師叔のその答に眉が寄る。
「どういう意味だ」
「あいつはな、早く死にてえんだよ。その日を待ってんだよ」

メヒは、お前が出て行くのと擦れ違いみてえに首を括ったよ。
隊長が自分を庇って亡くなった、我慢しきれなかったんだろうさ。
ヨンアは、メヒの野辺送りの後から様子がおかしかった。
手裏房の離れに入りこんじゃあ、誰かが叩き起こすまでぐうぐう眠ってやがるのさ。
飯も喰わず用も足さずに三日でも四日でも。
起きたら三日分四日分の飯を喰らって、町へ出る。
酒を飲むのさ、浴びる程な。
飲んでも飲んでも底無しだ。まるで笊に酒を注ぐようなもんよ。網目から全部零れていきやがる。

喧嘩と聞きゃあ、てめえの売られたもんでもねえのに真っ先に飛び出してって相手を半死半生の目にあわせてな。
向こうが五人だろうと七人だろうと十人だろうと関係ねえ。
ぼこぼこに殴りつけ、引き摺り回してやらなきゃ気が済まねえ。
まあ強え強え。鬼みてえに強え。何しろあの腕っぷしだ。
素人相手に雷功ぶっ放しはしねえが、素手でもそこいらの男で差しであいつに敵うやつなんかいねえわな。

それでもさすがに十人に向かえば、傷もできらあ。
着物をぼろぼろにして、傷をこさえて帰って来ちゃあまた離れの布団に包まって、その繰り返しだった。

「チェ尚宮、お前知ってるよな」

俺は頷いた。ヨンアから聞いたことがある。
あ奴の叔母上、幼くして皇宮の尚宮として入宮し、姉代わりとして面倒を見てくれた方だと。
武芸の達人であり、皇宮の武装女官である武閣氏の隊長を若い頃から担っていると。

あの尚宮が、血相変えてある日飛び込んできてな。
ぐっすり寝てるヨンアを引き摺りだして言う事にゃ迂達赤の隊長の下命があった、迂達赤隊長として王を守れと来た。
あいつが納得するもんか、何しろ王といやあ奴にとっては親の敵だ。
俺たちは誰もがそう思ってた。だけどあいつは受けたのよ。
何を考えてるのか分からねえ、それであいつに聞いたのさ。
それに返して言う事にゃ、迂達赤に行きゃあ寝床がもらえる、此処じゃ周りがうるさくてゆるりと眠れんだとさ。
もう一つ。迂達赤に行きゃあ戦場に出られる、戦場に出りゃあ強い相手とやりあえる、強い相手とやりあえりゃあ

「戦場で、死ねるからだとさ」

俺は目を閉じた。

貴方はこれを望んでいましたか、隊長。
あの弟は今、暦を手にして、最期の日を夢想しながら、一日一日を墨で塗り潰して過ごしている。
こうなることを、あの時僅かでも考えてくれましたか。

「だからヒド」
師叔のその声に、目を開ける。
「おめえ、戻ってやっちゃくんねえか」
嘆願の響きに首を傾げる。
「ヨンアの傍に、戻ってくれねえか」
「出来ぬ」
即座に出した答に、師叔が息を吐く。
「俺は牢抜けの罪人だ。ヨンが迂達赤隊長になったなら尚更に。罪人と関わりを持てばあ奴の禍の種になる」

皇宮とはそういうところだ。
足元を掬うことにのみ執念を燃やし、目障りな奴は如何様な理由をもこじつけ蹴落とし踏みつけにする。
ムン・チフ隊長が殺められたのも同じ理由だ。
己よりも民に敬われ愛される隊長が、あの腐れた小さな王には目障りで仕方なかった。癪の種だった。
己よりも遙かに優れた天賦の武芸の才を持ち、民が英雄と慕う赤月隊を率いる隊長が邪魔で仕方がなかっただけなのだ。

だから殺した、そして赦された。何故だ。それは王だからだ。
そして隊長に無き罪を擦り付けた。王の御前で乱心したと。
畏れ多くも皇宮宮殿で、重臣らの目前にて王を侮辱したと。
下らぬ。くだらなすぎて物も言えぬ。
今となっては何もかも過ぎたとしても。

俺は赦さぬ。赦さぬからこそ人を斬る。
この恨みを忘れず、生き続けるために。
命の遣り取りの中でしか生きられぬ。
何れ誰かに取られるまでは俺は命を取り続ける。
狙うからこそ狙われる。狙われれば自分を護る。
護れれば相手を斃し、護り切れねばそこまでだ。
そんな風に過ごす己があ奴の傍に行けるはずもない。

「ならせめてよぉ」
師叔のその声に、俺は意識を戻す。

「せめて何だ」
「せめて、手裏房を助けちゃくんねえか」
「助けるとは」
「ああ、今な、とにかく人手が足りねえんだ。情報を欲しがる元は多いのに、集める人間がいねえ。
危険も多いからな、下っ端は集まっても上の人間が足りねえ」

その声に僅かに首を捻る。
「赤月隊があった頃にも、若いのが何人かいたろう。
弓使いやら槍使いやら、女のような刀使いやら」
「ああ、あいつらはまだいるよ。だけど一人の人間が調べるには、限度ってもんがあらぁな」
「ならばそいつらが集められる情報で、細々とやれ」
「そう言うわけにもいかねえのよ、な、頼むよヒド」
師叔は卓の向かい、クッパの椀を挟み片手を上げ拝んで見せた。
「この通りだからよ」

師叔。肚の裡など分かっている。こうして俺を見、心配になったのだろう。
俺が何をしているか、どのように暮らしを立てているか。
右から左とは言わずとも、手裏房の頭の師叔が本気で調べれば、判らぬ情報など高麗の中にあるわけがない。

そこまで見え透いた言葉を並べても、俺を開京に戻したいか。
俺もあ奴も、そこまで堕ちているか。

 

 

 

 

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