「宇宙にはねえ」
卓を挟んだ向こうのあなたが言って、盃を上げ嬉し気にうふふと笑う。
「はい」
此処でまたうちゅうとは何だなどと蒸し返せば、機嫌良く酔っているあなたを不機嫌にするだろう。
故に黙って頷くだけにしておく。
手裏房の酒楼の東屋、春とはいえ夜風はまだ冷たい。
風邪を引くのではと思うと、こちらは気が気でない。
そんな肚裡など全く解さず、あなたは機嫌良い顔で卓の上の杯をどんどん空けて行く。
卓上に置かれた蝋燭が、春風に煽られ優しく揺れる。
吹き消えそうで立ち消えず、風が収まればまたやわやわと、周囲の闇を穏やかに照らす。
何処かの誰かの、口にも出せぬ恋慕のようだ。
消えそうに揺れても、決して消えぬ。
そう思い付き片頬で笑う。
「聞いてる?」
あなたは酔った声でそう尋ねる。
「ええ」
頷き返すと満足気に目を細め、その肘を卓につく。
「宇宙にはねえ、太陽系って、太陽の重力を中心にした惑星があってね、それで」
そこまで言いながら、ふとこちらを見つめて言葉を切る。
「つまんないんでしょ」
「・・・いえ」
詰まらないわけではない。
この方の口から飛び出す言葉が全く理解できぬだけで。
詰まらないわけではない。
今の俺はこの方が話す事ならば、夕餉の献立だろうと道端の犬の話だろうと。
その声が聞こえるだけで倖せな気分で、何刻でも耳を傾けていられるだろう。
それすら届かぬ処へ行かれる前に、総て覚えておきたい。
「そうなの?ちゃんと聞いてる?」
酔っ払いはこれだから困る。
聞いているかと尋ねる声がうちゅうとやらの話ではなく、自分の声が届いているかと何度も確かめるように響くから。
私の声は届いているか、あなたの心に届いているかと。
そんなはずはないのだと、再度己を戒める。
この腕にどれ程きつく抱き締めようと、あなたは帰る。
それだけは変わらぬ事実。
約束を守る。それだけは違えられぬ誓い。
強い風に吹かれても決して消えぬ蝋燭の焔のような想いを、どれ程強く深くこの胸の中に抱えていても。
「うちゅうには、何ですか」
気を取り直すような問いかけにあなたが笑う。
「木星や、火星って星があるのよ」
「星」
そう言われて椅子に掛けた腰をずらし東屋の天井の遙か上、黒い夜空を俺は見上げる。
滑らかな黒絹に銀粉を撒いたような点々と瞬く大小の輝きを眺めた後、あなたへ戻す。
「星とは天の、あの星ですか」
「そうよ」
「天界では、あのひとつひとつに名が付いているのですか」
「ううん、ひとつひとつじゃないけど。月、とか太陽、とかあるでしょ?そういう感じで、大きなものにだけ」
「斗星のようなものですか」
その問い掛けに、今度はあなたが首を捻る。
「天枢、天璇、天璣、天権、玉衝、開陽、揺光。
夜の海では方角を見誤らぬよう、この七星を探します。天界にはないのですか」
「ああ!もしかして」
あなたは思い当たったか、その手をぱちんと合わせた。
そしてその細い人差指を天上へ向け
「北斗七星だ、そうじゃない?」
そうじゃないのか、そうなのか。何とも言えず口篭る。
業を煮やしたように立ち上がり、あなたはこの腕を掴むと東屋の階を降り、屋根の無い処で天を見上げる。
「あなたの言ってた斗星はどれ?」
その声に俺は天を仰ぎ、銀粉の星を見つけて指す。
「あれです。あそこの柄杓の形の」
その七つの銀の光を、己の指で順に辿る。
「やっぱりそうだ、北斗七星よ」
「天界ではそう呼ぶのですね」
北斗、北の柄杓。暗い空に一際輝く七つ星。
あなたの姿が此処から消えても、黒絹の夜空を見上げる時、同じように見ている事もあるかもしれない。
南で倭寇と対する時も、北で元と対する時にも、あの七つ星はすぐに見つかる。
そう思えれば、耐えられるのだろうか。
「ねえ、あの星にも春は来るの?」
あなたが七つ星を追いかけた目をゆっくりと、此方に向かい投げ下ろす。
「春ですか」
うん、とあなたが微笑んだ。
「今の高麗みたいに、長くて寒い冬が終わったら。どんな春が来るのかな、あの星には」
そう囁きながら、この着物の袖を引く。
「見せてよ、あの星の春。木星や火星に、どんな春が来るのか」
酔払いの戯言であろう、その瞳がどれほど潤んでいても。
きっとそれは酒の力に違いない。

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わからないなりに
ウンスの話しに 耳を傾ける
健気な ヨンがステキ
ウンスの声を聞きたい 覚えておきたい
う~ん (〃∇〃)
ウンスは 一生懸命
ホントの気持ち 伝えたいのかな?
( ´艸`)
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さらんさん、こんばんは❤
素敵なお話の続き、拝読させていただきました。
今夜もありがとうございます(#^.^#)
星を見上げて酒を酌み交わすなんざ、こりゃもう生粋の恋人同士であり、心を許した者同士であり…❤
長い年月を超えて巡り合ったヨンとウンスにぴったりのシチュエーションではありませんか!
しかも、名前こそ違えども、そして、どちらかは実際に見えていなかったかもしれませんが、同じ時刻に同じ星座を見上げていたやもしれず。
ああ、ロマンティックなお話ですねえ。
ヨンの心の声を聞いたら、ウンスもたまらんでしょうね。
実際には聞えないからこそ、歯がゆいし、切ないし、焦がれるのですけれどね。
さらんさん、昼間は暖かったですが、夜になり少し冷えてきました。
お風邪をひかれませんように(*^_^*)
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ヨンが耳にしたいのは、話ではなくてウンスの声なんですね。
すれ違う二人の想いは、まるで見えているのに捕まえられない星の様。
時が違っても、その呼び方が違っても、見つめる先にある星座はただ一つ。
ヨンの頑なまでに守ろうとする約束と、しまいきれない想いがか切なくうつる夜空ですね。
星に願いを・・・・聞いてくれるかしら。
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お酒を飲みながら月と星を眺める普通ならロマンチックなステキな夜のはずなのに
ウンスが天界に帰ってしまう帰さなくてはいけない
そんな思いを抱えているヨン
切ない夜ですね
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>くるくるしなもんさん
おはようございます❤コメありがとうございます
ヨンの場合、頑張り屋さんですからね(爆
ひたすら一途に自分を殺している時期故、尚更に・・・
ウンスオンニは、いろいろ伝えたいのでしょう。
実際の本編では、徳興君に二度目の毒を盛られる直前くらいですかね。
やられた後では、ヨンが酒など飲ませないでしょうし。
などと、いろいろ考えつつ(;´▽`A“
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>muuさん
おはようございます❤コメありがとうございます
いやあ、これは聞こえたら全てが早々に片付くのになあと、
書いていてもジレジレする時期のお話ですね。
でも、ひとの心はそう言うものなのかもしれません。
聞こえないからこそ慮るという、独特の心理が働くのでしょう・・・
彼の国の文化は、そのあたりは分かりかねますがσ(^_^;)
週明けに、冬が戻ってきたような肌寒さ。
muuさまも、お体にはお気を付けください❤
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>ままちゃんさん
おはようございます❤コメありがとうございます
そうですね、ただ声を追いかけ、姿を追いかける。
同じ星を見つめて、一生を終える覚悟だったようです。
最後のウンスオンニの種明かしまで、お楽しみ頂けたら嬉しいです(●´ω`●)ゞ
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>まろんさん
おはようございます❤コメありがとうございます
この一番切ない頃のお話は、どんなネタを投下しても
懐かしの【甘い夜】化するというσ(^_^;)
久々に書いたわー、という気になりました。
最後までお楽しみ頂けたら嬉しいです(●´ω`●)ゞ