2014-15 リクエスト | 龍の咆哮・9(終)

 

 

ツボへの灸とマッサージを続けた。鍼も打った。薬湯もお飲み頂いた。
それでも状況は変わらない。
陣痛の間隔は短くなっているのに、子宮口が開かない。
不安の余り目の前が暗くなる。媽媽を亡くすなんて。御子様が亡くなるなんて。

でも媽媽の意志がはっきりしない以上、配偶者である王様の同意が得られないまま手術をするわけにいかない。
ううん、いいんだとは思う。別にこの世界、医師免許があるわけでもないんだし。
ただそこに嫌な感情が残るのは駄目だと思うだけ。
私だったらあの人の体に、あの人の、もしくは私の許可なく勝手に触られたくないと思うから。

でも時間がない。御子様の心拍数を測る手立てもないままにどんどん時間だけが過ぎていく。

「ウンスさま!」

媽媽の内診をしていた助産婦が短く叫ぶ。捲られた掛け布団の下を示される。
その色、匂い、これは羊水。量から見て500ml前後。
完全破水。白いシーツに汚れは見えない。濁っていなくて良かった。

「寝台を移して」
その声に周囲の皆が一斉に動く。
媽媽のお体を横の仮台へ移し、寝台に敷かれていた寝具類は一斉に取り払われる。
周囲を清掃して新しい寝具をセットし直すと、すぐに媽媽の体は寝台の上へと戻される。

媽媽の腰辺りに立てた衝立の向こうで、温かいお湯と清潔な布を使い、お体が清められる。
媽媽が目を微かに開ける。
「大丈夫ですよ、お産が本格的になってきたという事です」
その私の説明に頷いて、また目を閉じる。

完全破水から24時間以内の出産が理想というのは、あくまでも感染予防処置が取れる時代だからこそ。
完全破水した時点で、まだ子宮口は4cmしか開いてない。今からまた10時間も待つなんて。
そして待っても開くかどうか分からない。媽媽がどうなるか分からない。

「三陰交と合谷のマッサージを続けて」
私はそう声をかけながら媽媽の手を握る。
「媽媽、陣痛を感じたら、しっかり握って下さいね」

私が掛けた声に反応はない。
「媽媽?」

媽媽の静かな息が、とても小さい。
「媽媽!」

いつもの媽媽ならこんな大声を上げれば、あの大きな澄んだ目を驚いたように開けるのに。
「媽媽!!」

媽媽の目が、開くことはない。
「媽媽!!!」
「ウンス殿!」
私の声を聞きつけてキム先生が部屋に入って来る。
媽媽の目の前で手を振る。指でまつ毛の先に触れる。意識消失。
口に前に頬を出して息を確認する。脈を見る。頸動脈がふれる事を確かめる。体温を確認する。

「キム先生、麻佛散の用意を」
入って来たキム先生にそう告げる。
「はい?」
「帝王切開に切り替えます」
「しかし王様が」
「今からお話してきます」
媽媽の手を一度ぎゅっと握って静かに離す。 そして私は部屋を出た。

 

「王様」
「言うな」
「しかし」
「大護軍、頼む」

あの方が媽媽の御腹を開け御子様を取り出すと言い出した時には、確かに己も正気の沙汰とは思えなかったが。
俺の腹を裂くのとは訳が違う。簡単に刃を当てて良い方ではない。王様の横を守りながら目前の扉を見つめる。

この扉向こう、あの方がどれほど懸命に媽媽のご出産に対応しているか、見なくとも判る。
あの方がそれが必要と言うなら絶対に必要なのだ。そしてそれは王様にもお判りのはずだ。
昨夜から詰めきりの部屋の中、迂達赤の護衛の入替以外には部屋中の全てが石のように固まっている。
時すら止まったような錯覚に陥る中、部屋の中に差し込む光の向きだけが刻々と変わる。

その刹那
「媽媽、媽媽!!!」
中から聞こえたあの方の叫び声に王様が顔を上げた。
あの方が媽媽とだけ、繰り返し叫ぶ、その悲痛な声。

何かが起きた。

キム侍医が素早く立ち上がる。そして王様に頭を下げ静かに扉内へ入っていく。
しばらくして出てきたこの方は蒼い顔をし、唇を確り固く結び、王様へ真直ぐに目を当てて言った。

「これは提案ではないです。医者は患者の生存に対して最も有効な術式を取る義務があります。
私が必要と判断しました、王様。全責任は私が負います」

もう覆せない。
部屋の中に静かに響く低いその声に、王様はあなたの顔を茫然と見る。
一度固く御目を閉じ、そして大きく開き、目の前のあなたを正面から見据えておっしゃった。

「医仙、信じよう。必ず助けてくれ」

王様の横、正面のこの方を見据えて俺も心を決める。
心配するな、あなたに何があろうと俺が護る。
あなたの腕を信じている。心を信じている。
王妃媽媽の、そして御子様の御為にならぬ事は絶対にせぬと。

あなたが俺を見る、その真直ぐな目を信じている。
頷くとあなたは微笑んで、王妃媽媽のお部屋へ急ぎ足で戻る。

 

部屋に戻り、媽媽の浅い呼吸だけを頼りにキム先生を見る。キム先生が頷き返す。
「天竺にて経験があります。信じて下さい」
信じる、全てを信じて、メスを握る。
この手を、技術を、今までの経験を。
出来るベストを尽くせることを、そして側にいる全ての人を。

術野を確保するために手作りした、丸く切り抜いたシーツを媽媽の腹部へと掛けて、私は息をつく。
消毒を終える。頭の中、もう一度術式を確認する。
そして次の瞬間、媽媽の腹部に真っ直ぐメスを当てた。

皮膚、皮下組織、筋膜、腹膜、子宮筋。
注意深く、順番に。必要最低限で。

やっとお会い出来た、そこにいる御子様を娩出してすぐに横に立つ助産婦に渡す。

キム先生に子宮内容物除去の処置を任せて、様子を見に行く。
御子様が泣かない。助産師が不安そうに私を振り返る。

私は首を振る。吸引。吸引チューブなんてない。
御子様の鼻を咥える。そのままそっと静かに吸う。
胸に耳を当てる。動いている。
そうして吸い上げたものを吐きだしながら、御子様の体を手拭いで拭いて乾かして。
聴診器を当てれば弱くてもしっかりと音はする。
軽く温かい絹布で包み、そっと擦る。
次にそのまま口をつけて、息を吹き込む。

御子様は泣かない。
「・・・駄目」
もう一度、息を吹き込む。
「駄目よ」

行かないで。そっちに行かないで。戻っておいで。
胸に抱いて体をそっと摩って、背中を叩いて。
あなたが行くのはそっちじゃないの。お父さんとお母さんが待ってる。
あなたは愛されるために生まれた子。だから行かないで。戻っておいで。

もう一度息を吹き込もうと台に横にして口を近づけた時。
その小さな小さなお口が何かをお話しするように開いて、確かに息を吸い込んで。

 

この世に生まれ落ちた龍の、最初の咆哮が響いた。

全ての重かった空気を切り裂き、そして振り払い。

夏の最後の夕立の去った後、真黒の雲の切れ間から信じられぬほど明るい陽が差し込んでくるように。

この世にあまねく渡る声で、生まれたばかりの龍が哭いた。

「・・・大護軍」
王様が、それだけ囁いた。
「おめでとうございます」
頭を下げ、静かにお伝えする。
後ろに控えた迂達赤が、続いて一斉に王様へと頭を下げた。
「おめでとうございます」

俺たちの声に、一気に坤成殿の外が賑やかになる。
その歓声を扉越しに聞きながら王様の御顔に目を当て、次に少し動き、背で周囲の視界を防ぐよう立つ。
この背の影で、王様は御目許を拭った。

キム侍医が静かに部屋の扉を出てくる。
「王様、おめでとうございます。お健やかな皇子様です」
そう言って、王様に頭を下げる。
王様が席を立ち、そのキム侍医へ急いで寄られる。
「王妃は、王妃も無事か。具合は」
「今ウンス殿が御手当てを。無事に終わりました。呼吸も脈も、落ち着いておいでです」

その場に崩れ落ちそうな王様を、後ろからさりげなく支え卓へとお連れする。
王様はゆっくりと椅子へと腰掛け、深く息をして、卓に肘を突かれ両手で頭を抱えられた。

 

媽媽の処置をすべて終える。脈は安定、心音も問題なし。
抗生物質を含む薬湯を指示して、部屋を出る。
「王様」
椅子に腰掛けた王様に頭を下げる。
「おめでとうございます」
王様が椅子を立つ。私は王様の前まで歩き
「お許し頂いてありがとうございました。王様のご判断のおかげで媽媽を、そして王子様を助けられました」
そう言ってもう一度頭を下げた。

歴史を変えても、後悔はしない。今もしていない。
「もうすぐお話になれます。少しの間ですがお顔を見てあげて下さい。本当に、頑張ってくださいました」
そしてあなたを見る。あなたが頷いて笑ってくれた、それだけでいい。
私はその場にへなへなと崩れ落ちた。
「イムジャ!」
「医仙!」
「医仙?!」
「ウンス殿!」

あなたと王様と皆の声。私はその4人の声に、顔を上げて苦笑する。
「こ、腰・・・抜けちゃっただけ」
「大護軍」
「は」
「医仙に、お休み頂け」
「あ、駄目です王様」
「医仙」
「媽媽の目が覚めれば安心ですから、それまではここに」

王様が苦笑し、あなたは顔を背けて息を吐き、チュンソク隊長は首を振り、キム先生は眉を顰めて。
「私では頼りないですか、ウンス殿」
「ううん、そうじゃないの。じゃなくて、媽媽が起きたら内診もしておきたいしね」
「・・・分かりました」
渋々と言った様子でキム先生が頷く。
「じゃあ王様、お部屋にご案内します」

王様が床の私に頷いて扉に向かわれ、あなたは私に手を差し出す。
その手につかまって、よいしょと立ち上がる。
前を歩く王様に従いながら、あなたは私の耳元に口を寄せ
「これ以上無茶は」
それだけぼそっと呟く。横目でその顔を見てうんうんと頷いておく。

お部屋の中、静かに眠る媽媽。
そしてその枕元に、絹布で包まれ眠る王子様。
王様は媽媽の寝台の横に進まれる。
私たちは、部屋の入り口に立って距離を取る。

鎧戸が下ろされた窓の外は、夕焼けも過ぎて暗い頃だろう。
それでも優しい光に照らされた部屋の中は明るい。
寝台の周りの看護の医員と薬員、そして助産婦たちがそこから一歩引いて、頭を下げて控える。

「・・・韵」

ウン、と王様は優しく呼ばれた。
そして媽媽の額をそっと撫で、その御手で王子様の小さい頬にゆっくり、ゆっくり触れて。
次に小さな絹布の温かい塊を、恐る恐る腕に優しく抱き上げた。
「良く響く声を持つ子だ」
部屋中の皆が王様のお声に頷いた。

「そなたの声を、正しくこの国に響かせよ。忘れるな、韵」

媽媽がゆっくり目を開いた。
「・・・王様」
韵さまを抱いた王様が、媽媽を静かに見る。
「王妃、見よ。吾子だ。韵と名付けた」
「・・・韵」
媽媽にお顔を見せるように、韵さまをそっと媽媽の横へと戻して、王様は媽媽の御手を握った。

「王妃」
握った媽媽のお手に額をつけて、王様は黙っている。
媽媽も静かに、王様にお手を委ねている。
私は横に立つあなたを見上げた。あなたの黒い瞳が私を見降ろした。
私が微笑むと、あなたも笑って頷いた。もうそれだけでいいから。

その時。

ふう、と聞き慣れない小さな声がして、次に媽媽の寝台の上で、韵さまが大きな声で泣きだした。

部屋中の視線が、韵さまと媽媽の寝台に集まる。
私とキム先生は足早に寝台に寄る。
「王様、申し訳ありません。媽媽の内診を」
寝台の横の王様にそうお伝えすると
「ああ、そうであった、では」

 

王様は寝台から離れ、扉へ寄られた。
韵様の元気な泣き声は止まない。
泣いて周囲を笑ませるなど、韵様にしかできぬ。

扉の前で振り向いた王様は横の俺に向かい
「あれは、何故泣いておるのか」
そのお問い掛けに首を捻り
「・・・さあ、某には」
正直に返答すると
「医仙に、必ず伺っておいてくれ」
至極真面目な御顔で、王様は仰った。
「・・・は・・・」

扉を抜ける王様の横に付き、次間へ移る。
背にした扉を閉める刹那に中を振り向くとあなたは韵様を抱き、ようやっと腕の中であやしているところだった。

胸が痛くなる程に羨ましい。
ああして愛する方との御子を腕に抱かれた王様が。
そして韵様をこうして抱くあなたが、次に腕に抱く赤子は俺達の子であってほしい。

あなたはきっと最高の母になる。
その未来を思い描き、俺は静かに扉を閉める。

閉める扉の向こう。
生まれたばかりのあの龍の聖なる咆哮は、いつまでもいつまでも皇宮の中に響き渡った。

 

 

【 龍の咆哮 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

リク話【 龍の咆哮 】 終了です。
milkyさま、素敵なリクありがとうございました。
そしてヨンで下さった皆さま、ありがとうございました。

次はお笑い珍道中です(爆

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