2016 再開祭 | 身を知る雨・後篇

 

 

以前の主君を自ら殺め、それでも背を向け逃げる訳にいかない。
運命に抗わず、死ぬ日を数えれば楽であっても。

これ程刺された。目を覚まし、立ち上がり、生きねばならない。
温みと色に満ち、天からの光の射すこの世界で。

 

*****

 

皇宮の回廊、擦れ違ったあ奴の弟分。
擦れ違った瞬間に子猿のようなすばしこい男の腕を掴み、有無を言わさず回廊の死角へ引き摺り入れる。
「お前の隊長に、何があった」

私の声に逃げるわけにもいかず、奴の眼が回廊の柱の間を泳ぐ。
戸惑う視線を無視したままで、再び奴へ向けて問う。
「お前なら知っているだろう。隊長に何があったのだ」
「え、えと隊長は牢に入ってから、で、出てきました」
「それは判っている。出てくる前は何があった」
「かか、江華島でつかまって、そそれで戻って」
「戻ってどうした」
「笑ってました!」
「・・・全くお前は要領を得ない」

呆れた息を吐くと、もう良いと小さな声で伝える。
慌てたように深く頭を下げ、弟分は迂達赤兵舎への道を走り出す。

全く要領を得ない。何が起きたのかが判らぬなど。
皇宮にチェ尚宮ありと謳われる耳を持ち、叔母としてあ奴を側で見て来た私が。

回廊の雨打際を穿つ規則正しい雫を追い、納得出来ずに考える。

解せない。十六でウォンジク兄上を喪い出奔してから十三年。
忠恵の手でムン・チフ殿を喪い、許婚を縊首で亡くして七年。
七年もの間、生きる屍の如く、ただ息をしていただけの男が。

今必要な事こそまさしく息を殺し、身を潜める事だ。
正面から矢面に立ち大騒ぎしてどうするというのだ。
人並み外れて賢い男が、その計算すら出来ないというのか。
今迄の皇宮暮らしで、十分身に沁み判っておる筈だろうに。

あの天人、医仙を狙う者は後を絶たない。
まずは王様、続いて参理チョ・イルシン、それならばまだ良い。
今やその筆頭は徳成府院君。
元の奇皇后の兄として、飛ぶ鳥をも落とす権力を誇っている男だ。
あの男を敵に回して、この世に逃げ延びられる場所などない。

何を考えているのだ、ヨンは。
そして何故、近頃のあ奴はあれ程生き生きと輝いているのだ。

まるで幼い頃ムン・チフ殿と初めて出会い、武芸を習い始めた頃のように。
初めて調息を覚え、ムン・チフ殿に披露して褒められた時のように。

理由など一つしか考えつかん。 医仙だ。
天人を連れ帰って以来、あ奴は変わった。
それでも叔母として、皇宮の力の天秤を知る者として賛成出来る訳がない。

医仙には価値がある。
大人しく笑い人形のように徳成府院君に従う限り、すぐ殺される事は無い。
そこまで考えて首を振る。余りの悩みに頭が痛い。

あの日、王様と王妃媽媽の初の謁見の席。
腹を刺されて瀕死のヨンを典医寺へ置き留め、単身謁見の席に現れた医仙は何をした。
最初の時こそ怯えていた。背を丸め目を逸らし、隙を見つけては逃げようとしていた。
しかし府院君に妖魔扱いされた途端、あの天人は何をした。

いきなり席を立ち上がり、紅い髪を振り上げて。
畏れ多くも大臣衆を従えた王様よりも前へ出て、徳成府院君の鼻先に指を突き付けて。
そうしながら息も荒く言い放ったではないか。

元は直に滅びる。なんとかいう新たな国が興る。
徳成府院君、お前の最期も知っている。けれど教えないと。
まるで幼子の喧嘩だ。
そして医仙はご自身の口で大きな退路を一つ絶ってしまった。

幾ら高麗のやり方を知らぬ天人とはいえ。
徳成府院君に対し目を付けろ、自分を狙えと言ったも同然だ。
そして衆人環視の中、言いたい事を言い放つと退室した。

残る大臣衆のどよめき、取り成す事も忘れた王様の唖然とした御顔。
無言のまま憤怒の形相で、足音高く宣任殿を退出した府院君。

騒ぎの中私は医仙が立った後の空の椅子を横に、茫然と佇んでいた。
媽媽の隣に控えていた御医が己の脇を擦り抜け、外へ出て行くのも止めぬまま。
頭の中では幾度も、同じ声が繰り返し聞こえた。
ああ、やってしまった。天人がやってしまった。

あれしきの挑発に耐えられぬ医仙が、言いなりになる筈などない。
ではどうする。少なくとも医仙が殺されないなら。

府院君のもう一つの癇の虫はヨン。
迂達赤隊長として七年務めていた事など、府院君は知らぬだろう。
生きる屍として過ごしていた。正面に出る事など無かった。

そのヨンが目の前に立ち塞がり正面から楯突くなど、面白く思わぬに違いない。
用意周到な府院君なら、あ奴の内功の事も調べている筈だ。
殺すと決めたか、引き入れると考えるか。

しかしヨンを調べれるほどに、引き入れる事は無理だと判るだろう。
それなら道は一つ。意に沿わぬ者は殺して通る。府院君の遣り口だ。

つまりどちらに転んでも八方塞がりというわけか。
堪え性のない医仙。道を曲げぬヨン。どちらも頑固さでは負けぬ。
まずはあ奴を医仙から引き離す。
府院君との正面衝突は避けねばならん。

今となっては、遅過ぎぬ事を祈るしかない。

雨打際から目を上げ、正面の回廊の先を睨み、私は歩き出した。

 

 

 

 

3 件のコメント

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    大事な人を 次々と失っちゃうと
    生きていくことが 嫌になっちゃうわよね~
    生きると言うこと 命の大切さを
    教えてくれた ウンスは 
    ヨンには必要な大事な人なのね~
    でも すんなり 添うことも ままならないって
    見てる方も 辛いわよね~

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    さらんさま、今日もありがとうございます♪
    夢見路では、チャン先生の・無私の愛・に感じ入りました!
    身を知る雨のヨンの想いは、己を無に返すこと...?
    悲しいでした
    そして、王は天に相応しいのか...
    ヨンの再生と皇宮の内情の、チェ尚宮さまの独白の先は?
    お話に目が離せません!

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    さらんさん、こんにちは!
    叔母心感じますね~
    ヨンが惹かれている事を本人より先に分かってましたものね。
    正反対な二人なのに自分より相手が大切な所は似てるんですよね。

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