【 片割月 】
「誠にご苦労であった、大護軍」
凱旋報告に訪れた康安殿の中、王の声にチェ・ヨンは頭を下げた。
「いえ」
「大層な活躍だったと聞いておる。高麗迂達赤大護軍チェ・ヨンこそまさに武神の化身、鬼将とな。
さすがのトゴン・テムルも肝を冷やし、連勝を重ねた中書右丞相を罷免したという」
「は」
「そなたの武功が、元の宮廷人事をも動かしたという事だ。
属国とはいえ他国の将、まして命じた戦に連勝したそなたを罰す訳には行かぬ故。
そなた以外ではこうはいかなかった。高麗への侵攻がどれ程侮れぬか、元も骨身に沁みたろう。
今後、簡単に攻め入って来るとは思えぬ」
饒舌な王の上機嫌な様子に、チェ・ヨンは短く声を返す。
「畏れ多い御言葉」
そうしながら洞簫を愛する風流な男を思い出す。
そして男が最後の夜、餞別代わりに残した声を。
百年前。モンケ。稀代の名医劉の唯一取った女弟子。見た事のない不思議な技。異形の美しさ。
その女医は必ず高麗へ戻る。それも不思議な事に、百年後の高麗、つまり今の世に必ず戻ると。
天門で待てと、劉医は言ったそうだ。必ず戻って来るそうだ。諦めるなと。
チェ・ヨンの耳の中に繰り返し、星雨の夜の托克托の声が蘇る。
あの方が戻るためならば悪鬼にでもなる。
途を塞ぐのならば迷う事無く斬り捨てる。
此処に居る。 待って戻るなら石になるまで待つ。
チェ・ヨンの視線は康安殿の窓外、蒼い空を往く。
其処を横切り飛んで行く、一羽の鳥を追い駆けて。
心を運べ。百年前の世にいるというあの方の許へ。
「・・・しかし、此度の遠征で窶れたかと心配しておったが」
王の続く声に空を往く眸を戻したチェ・ヨンに、王は口端を下げて不器用に微笑みかける。
「そうでもなく安堵した。ゆるりと休むが良い」
その声に否とも応とも返さず、チェ・ヨンはただ小さく顎を下げる。
*****
久々に歩む皇宮の回廊。
擦れ違う禁軍や尚宮の会釈に送られながら、同じ歩幅で歩き続ける。
康安殿から坤成殿へ続く回廊より眺める皇庭。 陽の当たる中庭。迂達赤へ向かう途中の東屋。
見慣れた筈の景色の中に、あの姿だけが見当たらない。
回廊の影から飛び出しては来ぬか、東屋の橋から駆けては来ぬか。
典医寺の薬園で覚えたての薬草を摘んでいはしまいか。
同じ事を他の者が言ったとすれば、その正気を疑うだろう。
同じように自分が言ったとすれば、この正気を疑われ兼ねない。
それでも信じられる。
あの天界の女人が絡んでいるなら、何が起きても不思議ではない。
そもそもの発端からして、正気の沙汰とは思えない。
仏像の台座の天門をくぐり、己自身が天界へ行ったなど。
この足があの地を踏み締め、この眸があの神医を探した。
この手があの小さな手を掴み、この肩に担ぎ攫って高麗まで戻って来られたなど。
しかし幻だった筈がない。
これ程鮮やかに憶えていると、チェ・ヨンはその面影を胸になぞる。
あの紅い髪。横顔の顎の形。伏した長い睫毛の淡い影。
チェ・ヨンを呼ぶ声。振り返る瞳。握る指先の爪の形まで。
そして全ての面影はその指先に口づけた後悔という名の夜に繋がる。
あの時ようやく見つけ出せたのに。奇轍の腕から奪い返せたのに。
想いが同じなら戻れると高を括り誓いを守ろうとした罰が当たった。
思い出すたびに歯嚙みする。咽喉元に酸いものが込み上げる。
痛い程に締め付けられる悔いの中、チェ・ヨンは幾度も誓う。
戻る日を待つ。戻った時には二度と離さない。
たとえ待つだけでこの一生を終えるとしても。
*****
「大護軍!!」
「大勝おめでとうございます、大護軍!」
「お帰りなさい大護軍!」
「元気そうで何よりです!」
「無事で良かった、お帰りなさい!」
凱旋報告の謁見の後、迂達赤兵舎へ戻ったチェ・ヨンに浴びせられる雨のような兵からの声。
その声に小さく頷きながら、懐かしい顔ぶれの男達の間を抜けて行く。
どれ程待たせたか、待たれていたかが身に沁みる。
待つ身の辛さ、刻の過ぎる遅さは誰より知っている。
帰還の喜びの雨の中をくぐり抜け、ようやく戻った私室の扉の前。
押し開こうとしたチェ・ヨンの大きな掌が扉板の面の上で止まる。
押し開いた先、正面の窓の光の中に立つ姿が蘇る。
そして即座に小さく頭を振る。違う。そうではない。
思い直して目前の扉を押し開く。其処に懐かしい笑顔はない。
それでも構わないと、チェ・ヨンは目を伏せ静かに息を吐く。
もう迷う事はなくなった。托克托の声を聞いてより。
托克托は残した。あの男の家に百年伝わったという祖先の言葉。
名医 劉は言ったという。天門で待て。
天門で待て。
部屋の中ゆっくりと寝台へ向かいつつ、星雨の下の声を思い返す。
此度の遠征は実があった。元の状況の断片も窺い知る事が出来た。
中から腐り落ちる寸前の果実。外から鳥が突けばすぐに捥げよう。
我が高麗は実が腐り落ちるに任せ、突く鳥を待てば良いだけだ。
元の落日を釣瓶落としにまで早めるにも良い機会だった。
思い知れ。チェ・ヨン在る限り、高麗に迂闊な手出しはならぬと。
辿り着いた寝台に重い音で腰を落とすと、チェ・ヨンは黒い目を閉じ深い呼吸を繰り返す。
吸い切って止め、気を体の隅々まで巡らせる。
次に細く平たく均等に、ゆっくり吐いていく。
最後の息を深く吐き切り、静かに目を開ける。
窓から射し込む陽射しの中、その眸に落ちていた影は消えている。

ウンスが100年前にいるころに元へ出兵して戦の手助けしましたよね?
その時に華佗の弟子の話を聞いてウンスだと確信しましたよね?
必ず戻るから信じて待てと言ってましたよね
あれって戻るどのくらい前だったのかしら?!
とっても素敵な話だったからそれから再会するまでその言葉が心の支えになったエピソードを一つお願いします! (majuさま)
SECRET: 0
PASS:
おまちしてました。
愛しい人をまってる男…
悔やまれる 離れ離れになる前のこと
見るもの全てに ウンスの姿だけ
足りない… さみしいねぇ(。•́ωก̀。)グスン
ウンスは何処に?
はやく 戻ってこい!
SECRET: 0
PASS:
結論はでましたか?
リクエストを優先でいいのでしょうか?
劉先生が出て来たという事はって、意味で。
それとも後でほ、ほ?補色?するのですか?
私はさらん様の二次を初めから読んでいたので覚えてますので。
と、とりあえずです、さらん様の二次を読めて嬉しいです
SECRET: 0
PASS:
かなりお悩みになられたようで、何も手助けできず、ただの読み手の一人にしかすぎない私でも辛い数日でした。
また、書き始めてくださりありがとうございます。リク話として…ですね。
それでも、嬉しいです。
この後も、また、お悩みになるのかもしれませんが、どのような結果でも、さらんさんのお気持ちを応援いたします。
寒さが厳しくなりました。
お体に気を付け、お過ごしくださいね。
SECRET: 0
PASS:
さらん様
お話が再開されて嬉しいです!
②番に決められたんですね。
さらん様がそう決められたのでしたら、従うのみ(^-^)
ちっちゃな脳ミソをフル回転して、思い出せるようがんばりますっ。
でも一年前(?)のジャンデイの行方も気になるので、どこかに挟んで欲しいです。
ではお体に気を付けて、楽しい年末年始をお迎え下さいm(__)m
SECRET: 0
PASS:
飛ぶ鳥に託す思い。
心を運べ。 この短い文にヨンのどれほどの思いが込められているのか…感動しております(^^;;
さらんさんから生まれる言葉に魅せられ、惹きつけられ、再びチェヨンの世界に入っていける幸せ。
迷い悩み選択して再開してくださったことに心から感謝しております。
ありがとうございました‼︎
年の瀬も押し迫ってきますので、どうぞご無理だけはなさらないでください。御身お大事に。
SECRET: 0
PASS:
リクエスト叶えていただきありがとうございます!!
一度完結した話の続編をお願いしてしまい、さらんさんを悩ませる結果になってしまい申し訳ありませんm(_ _)m
じっくり楽しんで読ませていただきます(*'▽'*)
SECRET: 0
PASS:
いつも楽しく拝見させて頂いています。
ありがとうございます。
どこかのサイトで、ソンジナさんへの質問に、最終回にウンスは現代に戻って挨拶をしに行くつもりはなくて、天門の前で挨拶をするつもりだったと回答していました。
最終回になんで戻ってこれるかわからない天門をくぐるのかと疑問に思っていましたが、これを見て納得がいきました。