2016 再開祭 | 春夜喜雨・拾玖

 

 

「医仙」
「お久しぶりです、村長さん!」
「迂達赤隊長」
「ご無沙汰いたしました、長殿」

夜の帳が降りる村に点々と灯された、小さな篝火が揺れる。
村の民に案内され連れて来られた、村のほぼ中央の庵の中。

卓に向かい合う巴巽村の長は穏やかな目、深い声で医仙と俺を静かに呼んだ。

「大護軍は、門番と馬を洗っておられるとか」
「はい。開京を出た時は雨だったので、馬が泥だらけになっちゃって」
「そうでしたか。遠路お疲れさまでした。今、湯を用意しております。
大護軍がいらっしゃる頃には、丁度良い湯加減かと」
「ありがとうございます!」

医仙は長に本当に嬉しそうに頭を下げて、にこりと笑う。
ご自身も頭から泥を被っている事は、全く苦にならんらしい。

御二人の間に気まずい空気が漂っているのではと、開京を発つ時は不安だった。
俺の取り越し苦労だったのだろうか。
それとも何処かで、医仙のご機嫌が直るような事があったのか。
己の許婚の御心さえ読めぬ俺に、医仙の御心が測れる訳もない。
仲直りしていたなら何よりと思わず安堵の息を吐く。

御二人のいがみ合う姿だけは、どうにも見たくない。
寧ろ自身の揉め事よりも胸が痛くなる程だ。

海の中で二枚で一つの貝だったように、ぴたりと嵌る。
まるで貝合わせのように、他のどの貝殻にも合わない。
そしてその二枚の貝殻の中に全てを抱え守ろうとする。
抱えるのは王様と王妃媽媽であり、民であり、俺達兵であり、そして高麗という国であり。

そんな二枚の貝殻が擦れ合い、ささくれた音を立てるのが嫌だ。
このお二人さえ合わさっていれば、全てがうまく嵌る気がする。
時を共に過ごしたからこそ。
毒を飲む覚悟も、丘で待ち続ける姿もずっと見て来たからこそ。

「迂達赤隊長、今回の来訪は」
長の声に、散らばっていた頭の中が戻る。
そうだ、物思いに耽りに村まで馬を駆ったわけではない。
トクマンに言伝だけを頼み、開京を出て来た訳ではない。
早く終わらせ、早く戻る。その為に飛び出すように出て来たのだ。

「新しく完成したという武器防具の確認に」
「領主が王様へ、文にて奏上した件ですね」
「はい。王様も大層お喜びでした」
「何よりです。領主も鍛冶も喜びましょう。
明日の朝一番ですぐに鍛冶の許へお連れ致します。領主にも報せを」

笑んで頷く長は次に医仙へと顔を向けた。
「医仙の御用は。ご一緒に武器防具の確認ですか」
長の問い掛けに医仙は頭を振って
「私は見ても分かりませんから。実は今回もまた、鍛冶さんにお願いが」

そう言って俺を振り向き、指で包みを示す。
「チュンソク隊長、開けてもらっても良い?」
「はい」

先刻大護軍からお預かりしていた包みを卓上で開く。
医仙は中から小さな包みを取り上げ、長の目前で丁寧に解く。

中から出て来たのは王様の御前で見た、赤錆た医仙の治療道具。
それをじっくりと見た長は、不思議そうに医仙へ目を戻す。
「医仙」
「はい」
「以前拝見したお道具より、かなり古い物のようですが」
「そうなんです。ずっと古い物なんですけど・・・元々は同じ私のもので、何というか」

長は卓の上の古びた道具にそっと触れた。
「・・・この道具は、時を超えたのですね」
「え?」
「多くの想いと共に、置いて来られたのでしょう」

何が何だか判らん。
しかし医仙は長の声を聞いた途端に急に背を伸ばし、長をじっと見つめた。

「帰る為に真に必要なもの以外、全て置いて来られた」
「村長さんにはそう見えますか?」
「はい」
「そうですか・・・」

医仙は嬉しそうに卓の上の道具を見つめた。
そして次に上げた目に涙が溜まっているのを見つけ、俺も長も何も出来ず、何も言えずに息を呑んだ。

「大切なものは、心の中にあればいいって教えてもらったんです。
でもこうして返って来たら、また欲が出てしまって。
あの人のために、あの人が守るみんなのために、どうにかして使えないかなって。
そういう欲が、一番いけないのかもしれないけど」
「・・・医仙」

長はゆっくりと頷いた。
「手放したのも縁なら、戻って来たのもまた縁」
「そうですか?」
「はい」

悟った目で微笑む長に、涙を拭いながら医仙は幾度も頷き返した。
大護軍が此処にいらっしゃらなかったのは幸か不幸か。

幸なのは医仙の泣き顔を見ずに済んだ事。
不幸なのはどれ程医仙が大護軍を大切に想っておられるか、直接聞けなかった事。

どうにか泣き止もうと目を擦る医仙に掛ける気の利いた言葉すら見つからず、拳を膝にひたすら俯く。
こんな処を見つかれば、奥歯が折れる程大護軍にぶん殴られるかも知れん。
医仙を任されながら泣かせ、お慰めする事も出来ず、黙って俯くだけなど。

ただ医仙の、そして大護軍の覚悟を見る度に圧倒される。
国を、民を、王様や周囲を、何より互いを案じる想いの深さに。

医官だからか、大護軍という役目だからか。
そんなちっぽけなものではない。
大仰な官職を背負いそれに胡坐をかくだけの官吏を、長い迂達赤の役目の中で山ほど見て来た。
己さえ顧みず相手の為だけに生きるなど、この方だから、そしてあの人だからとしか考えられん。

他の医官で相手の為に、毒まで呷る覚悟のある者が何人いるか。
他の官吏で相手の為に、丘で死ぬまで待つ覚悟の者が何人いるか。

手も足も出ずただ俺は、俺達は皆、この御二人を守りたいと願う。
命の限り側にいてあの人の肚を読み、声を聞き、背を追いたいと。
あの人が命よりも大切にされる医仙を、命に代えても守らねばと。
それ以外に御二人に応え、恩を返し、信義を貫く方法が分からん。

「迂達赤隊長」
「・・・は」
呼ばれて慌てて顔を上げると、長はいつの間にか医仙でなく俺を見ていた。
「あなたもまた、運命の方」
「・・・は?」
「それで良いのです。あなたにしか果たせぬ役目があります」

何を言われたのか、さっぱり判らん。
医仙も今回は、同じように首を傾げている。
庵を照らす卓上の仄かな蝋燭の光の中。
長だけが全てを見通すようにご自身の言葉に頷いて微笑んだ。
継ぐ言葉も見つからんまま、俺達はそのまま無言で向かい合い、ただ座っていた。

「遅れた」

夜の中、あの大斧を構える門番の男と共に、大護軍が静かに庵の扉をくぐって来るまで。

 

 

 

 

8 件のコメント

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    あの二人が お互いに守り会うのが 運命なら
    あの二人を 守るのが チュンソクの 運命なのね
    もちろん キョンヒさまが 一番なんだけどね。
    こんなに 想いあう二人を 目の当たりにして
    しまうと なんとも…
    縁だね すべて 縁だわ。

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    新しいお話を読みながら、なんか言葉にできなくて♡
    やっぱり、いいですねぇ~♡心が、想いあう気持ち、うまく伝わらないこともあるけど、言葉にしないと伝わらないこともあるけど(^^)
    でも、相手を思う心が温かくてしみじみと、感動です♡
    ヨンのヤキモチ、ちょーいいなぁ(//∇//)うふふです。

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    おはようございます。
    朝から、表現しづらいほど心が震え、崇高さを感じ、涙しました。
    ウンスに話した村長さんの言葉…。
    「・・・この道具は、時を超えられたのですね」
    「多くの想いと共に、置いて来られたのでしょう」
    「帰る為に真に必要なもの以外、全て置いて来られた」
    ウンスの想いを、理解してくださっていらっしゃる。村の人々を束ね、大切に思って過ごしておられる方だからこそ、相手の想いを感じてくださったのですね。
    そんな村長さんに、
    「大切なものは、心の中にあればいいって教えてもらったんです。・・・あの人のために、あの人が守るみんなのために、どうにかして使えないかなって。・・・」
    と応えたウンス。
    さらに、村長さんが
    「手放したのも縁なら、戻ってきたのもまた縁」
    二人の会話に、ウンスがヨンのところに帰って来た強い想いを、改めて感じさせられました。そして、このような場面を描いてくださるさらんさんのお心の深さを感じ、震えてしまいました。
    側で二人の会話を聞いていたチュンソク隊長も、さすが、ヨンが全幅の信頼を寄せる男。ヨンとウンスを二枚貝に例え、それぞれが貝の一枚として、二枚でお守りしようとする中には、国、民、王様や周囲が入っていると十分理解している。そして、何よりも互いを案じ想いやっていると。
    村長さんは、迂達赤隊長もまた「運命の方」とおっしゃる。その通りです。
    上手く表現できなくて恥ずかしいのですが、それぞれの言葉一つ一つがとても重く、崇高で、読み終わったときは、涙でした。喜びや悲しみではなく、胸から沸き上がる何か・・に。

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    さらんさん、おはヨンございます❤️
    そのウンスの心、ヨンにも聞かせてあげたかったですね。
    そういう事を態と恩着せがましく言わないのがウンスなんだけど、そういう深い想いをヨンが聞けば嬉しいと思うんだけどな。
    実は遅れて入ってくる前に扉の外から聞いてたらいいんだけど( ´艸`)
    こんなに相手の事を想い、不器用な二人を見てきたチュンソクだからこそ思う気持ちもありますよね。
    ヨンにチュンソクがついた事もまた運命なんですね。
    長の言葉重いな。
    さすが先見の目があるというか。
    すごい人です!

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    チュンソクも気がついていたんですね。ヨンとウンスの気まずい雰囲気を・・・
    私も、二人のいがみ合う姿だけは見たくないです(..)
    ヨンとウンスを思う“海の中で二枚の・・・”のチュンソクの心の中の言の葉。
    やっぱり、さらんさんは素敵❤
    これだから「困っちまう」です❤
    そして、村長の言葉にも、
    涙が溢れてきて「困っちまう」です(^-^;

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    村長はウンスの想いもチュンソクの事も分かってるんですよね!!
    ヨンの処へ戻る為に真に必要な物以外は全て置いてきたけど、こうしてまた手元に戻ってきた医療道具。
    大切な人を守ろうと思う気持ちがあるからこそ戻ってきたんじゃないかと。。。
    ウンスの涙に心打たれました(ノД`)
    ヨンさん来ちゃったけどウンスの涙に気付いちゃう?!

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    さらんさん、再開していただきありがとうございます。
    毎日感謝して読ませていただいてます。
    今回また読みながら涙してしまいました。
    何だか、巴巽村のお話で涙することが多いんです。
    ところで、今更なのですが、巴巽村はなんと読めば良いのでしょうか?
    私は勝手に読んでしまってるのですが…

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