2016 再開祭 | 木香薔薇・捌

 

 

新たな男はこの人と見つめ合っていた距離をあっという間に詰め、次に瞬いた時には真上から俺を見降ろしていた。

凄い速さだった。
それが証拠に先刻の従者も、呆気に取られたように元の場所で置き去りにされた格好で、慌ててその背に駆け寄って来る。

「起き」
「ダメ、待ってヨンア!」
起きろと言いたかったのだろう、その低い声の途中に、この人の高い声が被さった。
「テギョンさん、あ、この患者さん。気を失ったの。今までそんなことなかったって言うし、頭を打った形跡もない。
骨折もしてないから、しばらく足を高くして頭に血が戻れば」
「それまでこうすると」
「うん、もちろん?」

けろりとそう言うこの人に、新たな男の口許で厭な音がした。
まるで奥歯を噛み締め、飛び出す声をどうにか堪えるように。

「侍医を呼ぶなり、マンボの薬房へ」
「だけど、私が突き飛ばしちゃったんだもの。最初からの経緯を知ってるのは私だけよ。
どこに連れてくにしても一緒に行きたい。今までの病状の説明もしたいし」

俺のような門外漢の素人が聞いていても、この人の言い分が正しいのは判る。
それはこの新たな男も同じなのだろう。
苦虫を噛み潰したような渋い顔つきで、
「薬房へ運ぶ」

目の前の男は、先刻の従者に横顔まで振り向いて吐き捨てる。
「はい、て」
「あ、待って。それよりもっといいのは」

この人は上から、膝枕に乗ったままの俺をもう一度覗きこむ。
その拍子にふわりと落ちて来る長い髪。
「テギョンさん、お家が近所なら運んでもらいましょう。そこで落ち着いて、もう一度診察します」

提案にソンヨプは安心したように息を吐き、先刻の鎧の従者は新たな男の顔色を窺い、そして新たな男は苛立ちの頂点の鋭い視線でこの顔を睨んだ。

 

*****

 

ゆっくり歩いても、茶店からほんの僅かで到着する玉家の開京宅。
門番が男三人に抱えられるように戻った俺を見付けると、慌てた足取りで駆け寄った。
「坊ちゃま、どうされました!」

ああ。選りによってこの人の前で、なんて格好悪いんだ。
俺はその声を無かった事にしようと、大きな声を張り上げる。
「ちょっと気分が悪くなったんだ。お客様にお茶を差し上げて」
「か、畏まりました!」

門番は駆け寄って来た時よりも慌てふためき、そのまま門内へと駆け込んで消えた。
「テギョンさん、本当にお坊ちゃまなんですねー」
付き添ってわざわざここまで来て下さったこの人は、門番の言動に納得したようにお一人で頷いている。
「そんな事はありません」

否定しても今までのソンヨプやあの門番の態度を見られた後では、それは空々しく聞こえるだけだった。
「それにしても、こんなご近所だったなんて。私たちの」

明るい瞳が別宅の周囲を見回して、白い指が今来た道を指した時。
俺を抱えてここまで来てくれた新たな鎧の男が、何故かいきなり大きな咳払いをした。
この方はぴたりと動きを止めて、咳払いした鎧姿の男の顔を仰ぐ。
「ヨンア、大丈夫?」
「はい」

男は頷くと、俺を抱える為に門を走り出て来た数人の家人たちの姿を視線で確かめた。

 

「本当に、お手数をお掛けしました」

俺とこの方、そしてトクマンの三人が通された居間は、かなり立派な造りだった。
趣味の良い組子格子の大窓の外には、皐月の陽射しに照らされた庭が見える。
隅には流麗な手蹟の漢文の書かれた衝立がさり気なく配されている。
並ぶ調度品も新しくはない分、よく磨きこまれている。

先刻の若造が西京の大貴族の子息と言うのは、どうやら真実らしい。
唯でさえ儀賓大監の御邸を筆頭に、高官らの邸が建ち並んでいる一角だ。
小ぶりとはいえそれに並んで別宅を建てるなど、なまじの財で成せる事ではない。

「で、一体何があったのでしょうか」
あの若造と、そして従者は戻って来なかった。
おそらく寝屋にでも延べた床に眠っているのだろう。
俺達を此処まで案内した壮年の男が、此方に向けて怪訝な様子で尋ねる。
「あ、あの」

唯一人、全容を知るこの方が、申し訳なさげに声を上げた。
「私がテギョンさんを転ばせてしまって。ケガはないですっておっしゃっているんですが、足首を捻挫したみたいで」
「・・・もしや、御方さまは」
この方の声の途切れるのを待ち、男は呟くとこの顔を確かめる。
そして慌てた様子で俺に向け深々と頭を下げた。

「矢張り大護軍様!では此方は、奥方様」
俺は男の声に渋々小さく頷き、そしてこの方は困ったように笑う。
「え、えーと、それでですね」

どうにか話を本筋へ戻そうとするこの方の声を余所に、その壮年の男は急いた口調で言い募る。
「却ってお二方にご迷惑をお掛けし、申し訳ございません。後は馴染の町医者を呼んで診察させます。どうかもう、ご心配なさらず」
「ま、待って!」

壮年の男は年恰好や言動からも、恐らく邸の差配を任されておるのだろう。
しかしその声に、俺の横からこの方が驚いたような声を上げる。
「待って下さい。捻挫させたのは私の責任です。
それより心配なのは、テギョンさんが顔を真っ赤にして水桶に頭を突っ込んだり、気を失ったりしたことなんです。
脈を診る限りでは心臓に異常があるとは思えませんが、でも捻挫だけで発熱や気絶までっていうのは」
「熱は、なさそうでしたが・・・」
男も不安げに、居間の障子向うを透かすように眺める。

この方も解せぬ顔で、それでもこの男に心配を掛けぬ為にか少し微笑むと
「ええ。今は顔色も良いので、大事には至らなかったと思います。でも心配なので、もし良ければ」

其処まで言うと声を切り、横の俺の顔を見上げて確かめる。
一体何を言いだす気かと鳶色の瞳に目で問い返すと、すいと視線を外し、目の前の壮年の男へ戻る。
まさか。
「捻挫が完治するまで。それと気を失うような症状がもう出ないかどうか。確かめたいので、それまでここに通ってもいいですか」

その宣言に俺は眸を瞠り、トクマンは手を伸ばしていた茶碗を握り損ね大きな音で揺らす。
中に注がれた薫り高い茶が、派手に卓上に飛び散った。

 

 

 

 

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4 件のコメント

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    やっと、ヨンとウンスの
    身分を知ってる人が現れた~~と
    安心したのも束の間。
    ウンス毎日通うのね?
    若様の病状を誤解してるから
    仕方ないけど……
    これ以上ヨンを怒らせないようにねf(^_^;

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    親の心 子知らず…
    みたいねー。
    ヨンの心 ウンス知らず…で(笑)
    ウンスは医者として だけれど、
    ヨンには、大切な愛しい妻。
    どうするのかな、ウンス。
    他の医員に任せちゃダメなのかな。

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    大護軍が…
    そろそろブチッとしそうです
    大事なウンスの言うことですが
    あまりにも人が良すぎ(笑)
    相手が女の人ならまだしも
    若い男となれば… イラッと モヤっと ムッカーーー!
    ゛(`ヘ´#) 帰ったら お説教かしら?

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    状況はだいたい掴めた感じのヨンア…でも許せんウンスの膝枕…ウンスはぶつかって怪我させてしまった本人だし医者的立場からの意見だから無下に出来ない周りの男達(^-^;)ヨンアそろそろキレそう(-_-#)

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