2016再開祭 | 夏茱萸・結篇 (終)

 

 

その隙に水で硬く締まった上衣の胸紐を解きパジを脱ぎ、近場の岩の上へ放り上げる。
男の着替は楽で良い。周囲に目が在ろうが在るまいが、こうして一枚脱げば準備万端。

「・・・っプァッ!!」
あなたが大きな息と共に水面から顔を上げた時には、復讐に備えた俺は既に充分な距離を取った後だった。
「ひどい!」
濡れた頭を振って小さな両掌で顔を拭い、滝音に負けぬようあなたが吠え立てる。

罪悪感に苛まれる俺に黙って新しい衣を仕立て、俺のものである体を虐めたくせに酷いとは、一体どの口が言った。
水遊びとおっしゃるから、暫しお付き合いする。
そして俺の水遊びとはこういうものだ。

水面を照らす夏の光とは違うもので眸を光らせた俺に、あなたは初めて後悔の唇を噛んだ。

 

*****

 

「もうダメ、降参。降参するから!」

息も絶え絶えに、滝壺の水面からようやく小さな顔が出る。
俺より小柄なこの方の爪先が水底に着いているかどうかも怪しい。
このまま溺れさせる訳にはいかぬ。
腕を差し伸べると、溺れる者は藁をも掴むという様のこの方がしがみ付く。

喧嘩を売るから悪いのだ。
此処までにしておこうと腹を上に大の字で水に浮かぶと、あなたはまるで浮を見つけたよう其処に頭を乗せた。

真上から射す夏の陽に眸を閉じて、落ちる滝音に耳を澄ます。
水の揺れに身を任せる俺の腹を、前触れなくあなたが押した。
勢いで水に沈みかけ、水中で態勢を返して水面から顔を出す。

「懲りない方だ」

降参の白旗を上げたと見せかけての奇襲か。
掌で顔の滴を拭い、敢えて穏やかに言い聞かせる。
「此方に」
「いやーだ、ちょっとふざけただけじゃない」
「また競いますか」
「ちょっとヨンア、女相手に本気にならないでよ」
「男も女もない」
「あるってば!」

あなたは慌てて水の中を走り出す。
そんな事をしても無駄だ。水中は歩くより泳ぐ方が絶対に早い。
抜き手で水を掻き泳いで追おうとした刹那、人の気配に動きを止める。

「・・・医仙様と大護軍様へのお届けものです」
「あ、あの、ちょっと待って下さい。今は」
「畏れ入ります。けれど私たちも、王妃媽媽と隊長よりの御命を」
「でも、俺も大護軍から誰も通すなと」
林道から近付いて来る押し問答の声。
水の中で戯れていたこの方を眸で黙らせ、岩へ手を掛けて一息に上る。

男は林道の下、典医寺の庭の入口に見張りに置いたテマンの声。
女人の声は複数だ。内容から察するに、坤成殿付きの武閣氏か。
岩上に放り投げたままの衣を素早く身に着け、膝を着いて下の水中を確かめる。

「そのまま」
「うん、判った」
俺の声にまだ水の中、あなたは大人しく鼻先まで潜る。
この方の全身が揺れる水面に隠れて安堵し鬼剣を掴み、岩伝いに水場を離れ林道の入口へ駆ける。

林道に近づくと三人の武閣氏に対峙して、その歩を止めようと焦る形相のテマンが此方を振り向いた。
「て、大護軍!」

林道を進もうとしていた武閣氏らも、林道を駆け下りるこの姿を認め、それぞれ深く頭を下げる。
四組の目が次に乾き切らぬ衣と、盛大な雫を撒き散らす濡髪を不審そうに見た。
それに気付かぬ振りをして、一先ず用向きを確かめる。

「何の騒ぎだ」
「そ、それが」
テマン自身も事態が呑み込めぬのだろう。痞える声に続き
「私共が無理をお願いしておりました。王妃媽媽と隊長より、大護軍様と医仙様お二人宛の荷をお預かり致しましたので」

先頭の武閣氏がそう言って、手に提げた大きな包を掲げて示す。
「中身は」
「王妃媽媽より水刺房に直々に御声掛けの上、お作り頂いた物です。このところ医仙様がすっかりお痩せになったからと」
「王妃媽媽がそう仰ったのか」
「はい。坤成殿で御拝診の際もお茶に手を付けられぬと・・・但し本日まで待つように、王妃媽媽よりのお達しだった為」

一体女人同士で俺に隠れ、何を話していらしたのか。
確かにあの方は軽くはなった。
しかし王妃媽媽の御手を煩わせ、御気を揉ませるような何かがあったとの話は聞いておらん。
そして武閣氏が出張って来ると言う事は、叔母上の耳にも委細は入っているだろう。
たかが家臣の水遊びで毎回こんな騒動を引き起こすなら、気軽に出掛ける事すら出来なくなる。
王妃媽媽を巻き込むようでは、叔母上が認める訳がない。

武閣氏は大きな包を掲げたまま、黙り込んだ俺を見て
「大護軍・・・」
引き取り手を失くした包の行き先に困ったように、遠慮がちに呼ぶ。
「王妃媽媽におかれましては、医仙様に必ず召し上がって頂くようにとの強い御気持ちでございます」
「俺が責任を持つ。畏まりましたとお伝えしてくれ」
「宜しくお願い致します」

包を俺の掌に預け武閣氏らは肩の荷を下ろしたよう俺に、次に道を塞いでいたテマンに頭を下げ、今来た林道を下って行く。
武閣氏らの姿も声も届かぬ程離れてから、テマンが申し訳なさげに俺を見た。
「す、すみません。誰も通すなって、言われたのに」
「・・・女人は構わん」
「分かりました!」

安心したように頷く奴に
「済まんが、もう暫し見張っていてくれ」
そう言い残し武閣氏からの荷を手に、今来た林道を駆け戻る。
奴は背後から嬉しそうに
「はい!!」
と大きく声を返した。

 

*****

 

岩の上に広げた包の中身に掌を打ち鳴らし、この方がはしゃいだ大声を上げる。
「すごーい!これ、どうしたの?!」
「王妃媽媽よりの御下賜です」

その声にこの方が指先で彩も鮮やかな薬菓を摘まむと、
「はい、あーして。あー」
そう言って俺の口を開けさせようとする。それには応えず
「イムジャ」

苦々しい声に、判っていると言いたげに頷きながら
「ごめんね。媽媽にも心配かけたと思う。だけどちゃんと説明したのよ?ただのダイエットです、体調はばっちりですって」
「だからと言って」
「もうしないってば。毎回こんな騒ぎになるのは困っちゃう」
「・・・はい」

判っていない訳ではない。衣の事も、この御下賜の理由も。
それなのに何故この方は、毎回事を大きくするのだろう。
「これ以上騒ぎになれば、二度と水遊びに出られません」
釘を刺すと、長い濡れ髪の小さな頭が俯いた。

「はい。反省します」
「王妃媽媽より、必ず医仙が召し上がるようにと」
「分かった。ダイエットは解禁よ。あなたにも媽媽にも心配かけないようにする。約束する」
「・・・はい」

しかしこれ程体を絞った後に、油気の強い薬菓など召し上がって良いものか。
岩の上から周囲を見渡し、眸に入った赤い実の生る木へ近寄る。
枝に手を伸ばしいくつか捥ぐと滝壺の水で洗い、それを手にあなたの許へ岩伝いに戻る。

「これ、なに?キレイね」
掌の赤い粒に見入るあなたに教える。
「夏茱萸です」
「グミ?春と秋に生るんじゃないの?」
「夏にも生ります」

真赤に熟れて所々の皮が裂け、中から黄色い果肉の覗く茱萸を指先でその口許へ持って行く。
「あ」

先刻の仕返しにそう言うと、俺より素直なあなたは大人しく口を丸く開ける。
其処へ一粒放り込んだ赤い実を噛んで笑うと
「ねえねえ、知ってた?」
あなたは満足そうに
「グミって抗酸化作用に美肌効果、動脈硬化予防とか生活習慣病予防の効果があるの。
よく噛むから、満腹感も得やすいしね。もしかして、分かってて取ってくれたとか?」
「・・・いえ」

知らなかったと首を振る。
薬菓にかかった蜂蜜に、夏茱萸が合うのではと思いついただけだ。
しかしあなたは何を納得したのか、一人幾度も頷いた。
「うーん。やっぱりうちの旦那様は、センスがいいわ」

滝の水音、輝く陽射し、水面を渡る微かな風でこの方の纏う新しい短衣の裾が揺れる。
細い腹が冷えてはと短衣の裾を引き下そうと伸ばした指に、あなたは驚いた顔で岩上を後退る。
「前言撤回!女性のお腹をつまむなんてひどい!」
「摘まんでなど」
「だって触ろうとした!食べてる時に触るなんて!それは暗に、お腹に肉がついてるっていうようなものなの!」
「摘まむ肉など何処に」

呆れたように吐くと、怒りの籠った鳶色の視線が俺を睨む。
「紛らわしいから、飲食時はタッチ厳禁よ」
「俺は骨ばった女人は苦手です」
「骨ばるなんてなりようがないわよ。ただでさえこの時代の平均より、筋肉量が少ないんだもの」

一の言葉を投げれば十返って来る。何処まで口の減らない方だ。
それでもこうして向かい合い、夏の風に吹かれて口喧嘩が出来るのもいつまでか。

煩いこの方を攫うように膝に乗せ、背後から抱き竦めてその口にもう一粒、真赤な夏茱萸を放り込む。
だからこそ全ての一瞬が天恵だ。出来る限り長く、そして全てを憶えておきたい。
軽過ぎるあなたを抱き締めた事。髪が頬を擽った折の花の香。
腕の中からあなたが振り向き、その瞳が象った三日月の形。
何か言おうと開きかけた口に、あなたが含ませて下さった甘く赤い夏茱萸の味。

それを憶えている限り、俺は幾度でも向かう。
再び差し向かいで夏茱萸を食べる為に。思い出を守る為に。
幾度でも戦場へ向かい、そして必ず帰って来る。
「イムジャ」

俺の声に、腕の中から此方を見たままの瞳が問い返す。
「もう少し肉を」

腹に腕を回し掴みようのない腹を無理に掴むと、膨れたあなたは廻した腕を桜貝色の爪で強く抓った。

 

 

【 2016 再開祭 | 夏茱萸 ~ Fin ~ 】

 

 

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4 件のコメント

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    PASS:
    ひと夏のしあわせ~
    いつまで続くかなんて
    考えたら 寂しくなる
    永遠なんて…あるかわからないけど
    このしああわせが 永遠に続けばいいなって 願ってします
    ほんとに しあわせそうなウンスの姿を
    焼き付けておかなくちゃ (ノω・、)

  • SECRET: 0
    PASS:
    「骨ばった女人は苦手です」ヨン、よくぞ
    言ってくれました!!!
    本当に、一体どこまで痩せたら気が済むの?って、
    思う位お若い女性は、痩せたがりますヨネ!?
    前にファッションモデルが、あまりにも
    痩せすぎて、命を落としニュースになった事が
    ありましたが、ヨンのお好みの女性の体形が
    そうではなくて、一安心。
    それに、あの細いお腹の何処に入るのか?って
    ヨンが感心する位、良く食べるウンスなのに
    そんなに細くなりたかったのネ!?
    もうこれで、ダイエットしなくて良かったネ!?

  • すみません。ちょっと久しぶりに読み返しました。
    当たり前だけれど、さらんさんの
    ヨンとウンス…
    ああ〜、幸せな気持ちに浸れました。

  • すみません。ちょっと久しぶりに読み返しました。
    当たり前だけれど、さらんさんの
    ヨンとウンス…
    ああ〜、幸せな気持ちに浸れました。

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