2016 再開祭 | 馬酔木・結 後篇(終)

 

 

チャン御医殿

このような見苦しい手蹟で文を認める事をお許し下さい。
今回の疫病、典医寺も皇宮内でもご苦労されておられるでしょう。

私も家内も疫病に冒されたようです。
家内の容態は殊の外悪く、既に打つ手はありません。
私に残された刻も長くはありません。

娘だけ、まるで病が避けているようです。
薬房に来る患者らと接しておっても、その衣や吐瀉物に触れても、娘にだけは何一つ症が現れません。

御医殿には怒られるでしょう。
しかしそれだけでもあの娘に毒を与えて来た甲斐がありました。
あの子が苦しむ姿を見ずに済むだけでも。

チャン御医殿

身勝手な望み、筋違いの願いと重々承知で伏してお願い致します。
私と家内が他界すれば、どうぞあの娘に目を掛けて下さい。

娘に与え続けたものを、経緯を、書に全て記してあります。
もしもお許し頂けるなら、そして御医に手当てをして頂けるなら、これらをお読みの上、解毒をしてやって下さい。

この書は私が事切れると同時に、御医のお手元に届けるよう手配をしてあります。
身勝手な父として、最後にお願い申し上げます。

あの子を、我が娘を、どうか御救い下さい。

愚かな父を持ったと哀れに思って頂けるなら、何卒お願

 

途中で絶えた、力なく乱れた手蹟の書簡を、乱暴に懐に突込んで走り抜ける典医寺の前庭。
薬草籠を抱えた薬員や診察の為に歩いている医官らが、私の動揺した様子に仰天したよう道を開け、急いで頭を下げた。

 

*****

 

「トギ」
呼び声に駆けつけると、その手に大きな手拭いを持って立つ先生がにこにこ笑っていた。
「髪を削ごう。こちらへおいで」

そう言って、私の大好きな月桂樹の木の下を指で示して。
呼ばれた私は大きなその木の下に座り込む。
座り込んだ私の肩を広げた大きな手拭いで覆い、先生は丁寧に私の髪を小刀で削ぎ始める。

初めて先生に連れられて典医寺に来た時、この月桂樹にはたくさん花が咲いていた。
今その木の下に座る私の髪を、先生は手にした小刀で丁寧に削いでいく。

しゃり、しゃりという軽い音と一緒に、頭が軽くなって行く。

私の髪を削ぐ時、先生は誰もそばに近寄らせない。
そして削いだ私の髪を、他の誰にも触らせたりしない。
先生も、そしてみんなも何も言わない。でも私は理由を知ってる。
毒のあるこの髪を、うっかり誰かが吸い込んだりしないように。

典医寺に来てから、この月桂樹の葉を毎朝食べている。
そして炭を入れて焚いた麦飯。たくさんの青菜や山菜。
どれも肝を強くする。毒を貯め込むのは肝だ。それをきれいにして解毒を助けてくれているんだろう。

先生の心づかいがありがたくて、私には何も言えない。
あの日勇気を出して、頷いて良かった。
伸びた手を信じて、掴まって良かった。

でも今は父さんを恨む気には、どうしてもなれない。
そして父さんの目を盗んで、いつも私を抱きしめて黙って泣いてた母さんも。

大好きだった。本当に大好きだった。死んでしまったから言う訳じゃない。
今だって会いたい。そして言いたい。

父さん、確かめたかったんだよね。母さん、守ってくれようとしてたよね。
恨んでないよ。今なら判る気がするよって、言ってあげたい。

でも今、私がチャン先生やみんなに守られてるから思えるんだ。
そうでなくてあのままいけば、本当に恨んでいたかもしれない。

私は頭の上の空に広がる大きな月桂樹の枝を、上目で確かめる。
動かないように気を付けていたつもりだけど、うっかり首を切ってしまわないように、先生は小刀を握る手を止めて背中から私を覗き込んだ。

先生、葉を摘もう。今摘んで乾かせばちょうどいい。
冬になった頃には、お年寄りの神経痛に効くよ。
風呂にも入れられるし、年の瀬に酒を呑む皆に渡しておけば良い。

「トギは、何でもよく知っているね」
私の指の話を確かめた後、先生は笑って頷くと言った。
「そうしよう。これが終わったら、皆で摘もう。トギも手伝ってくれるかい」

先生のいつもの穏やかな笑顔に、私はうんと頷いた。

 

あの日手許に届いた三冊の書。
私の部屋の書棚の奥、間違えてもトギの目には触れぬ処に仕舞い込んだその分厚い書。

棚の扉に掛けてある錠を開け、今宵もその包を取り上げる。
夜毎に取り出しては卓上の蝋燭の星の中で、隅から隅まで眺める。
あの男の犯した悪鬼の如き所業を、隅から隅まで幾度も確かめる。

トギは全てを察している。あれ程に賢い子だ。何も言わなくとも、そして誰も伝えなくとも。
改めてその悪行を上げ連ね、思い出の中の父まで弑す必要はない。

私とは相容れない。死した後でもそう思う。
そして未だにあの父親が私に託したかった事の真意は掴めない。

私は手を染めない。何があろうとあの薬師と同じ道は歩まない。
より強い毒を以て、愛する者の毒を制する事などしない。

死に際に、こんな悍ましい書を残して逝きたくなどない。
それなら命と引き換えに愛する者を守り抜いて逝きたい。

書の中に読み取れるのは、その冷徹なまでの観察眼。
何刻にどの毒をどれ程薄めてどれ程飲ませ、そしてどれ程の後にどんな症状を発したか。
脈は。熱は。顔色は。排泄物は。
これ程冷静に、克明に、目の前で苦しむ己の娘の様子を記せるか。

それでも私はそうしない。愛する者を救う為だとしても、決して毒を飲ませはしない。
命を懸けて解毒薬を見つけはしても、相手が死ぬ危険のある毒を飲ませたりはしない。

その悪行の懺悔のような書を今宵も纏め、包み直してその端を固く縛る。
いっそ劫火を焚き上げて放り込めば、どれ程さっぱりする事か。
それでも薬師の残したこの書が、トギへの歪んだ愛情にも思う。
そうでなくばあの子は飲んだ毒で疾うに命を落としていた筈だ。
焚き上げる事も破り捨てる事も、けれど無視する事も出来ない。

部屋の窓外、暗がりに揺れる馬酔木の花。
殺虫に用いる為典医寺でも栽培はしているが、あれも毒花だ。
腹痛、下痢、嘔吐、呼吸が浅くなり口や手足が動かなくなる。

あの幼いトギは、そんな事まで知っている。毒にも薬にも誰よりも詳しい。
正しく育ってくれればきっと大きな力を持った、立派な薬師になれるだろう。
それが父親の負の遺産だとしても、あの子が生きて行くのに役立つのならば。

そして私はこれから後、あの子に何をしてやれるのだろう。

託された物の重さに戸惑いながら、今宵も包を書棚の最奥へ仕舞いこみ、閉めた扉に錠を下ろし直す。
あの男の悍ましい所業に鍵を掛け、蓋をするように隠す。
明日になればまた開くと判っていても、今宵は何もなかった振りをする。

寝所に眠る幼い子が、懐かしい心で優しい両親を思い出せるよう。
せめて今宵見る夢が、穏やかであるようにと祈りながら。

 

 

【 2016 再開祭 | 馬酔木 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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