2016 再開祭 | 貴音 ~ 留守居・玖

 

 

朝霧の中。
大路から響く聞き慣れたもの、聞き慣れぬもの。
二つの蹄の音に顔を上げる。

早過ぎる。一体何刻に碧瀾渡を発ったのか。
俺が眠らなかったよう、あの方も碌に眠れなかったか。

そう思った瞬間に酒楼の庭中、姿を見せる前に先に声が響く。
「ただいまーーーっっ!!」

その声に部屋内の寝台上の叔母上が跳び起きる気配。
続いて吾子が上げる、猫の仔のようなふやんと言う声。

扉一枚隔てた奥、二人が共に動く慌ただしい物音が続く。

「ヨンア」
扉内の呼び声に、外廊下から奥へと顔を向ける。
「何だ」

さすがに兵の身支度は早い。呼び声と共に離れの戸が開く。
乱れてもおらぬ鬢を指先で整えつつ扉口に立った叔母上が、廊下へ座る俺を見下ろした。
「・・・何をしておる」
「叔母上と共に寝る訳に行くか」

秋の風で冷えた腰を上げ、次は俺が叔母上を上から見詰める。
「あの後、一晩中座っておったのか」
呆れたような声に顎で頷き、叔母上越しに部屋内を覗く。

吾子はぐっすり眠っていたか。
柔らかい髪を四方に膨らませ、まだ茫とした目で俺の顔を見た。
「あぱ」
「母上が帰って来たぞ」
叔母上の横を抜け部屋内へと踏み込むと、寝台の上の吾子を片腕で抱え上げる。
吾子はまだ眠いのだろう、抱えるなりこの胸にしがみ付くと首を振り、目を閉じてしまう。

無理に起こした時のあの方とそっくりだ。
拗ねたように尖らせたその唇の輪郭まで。
「ただいま!」
酒楼の門から叫びながら、あの方が走り寄って来る。
「会いたかったー!淋しかった!!」

大きな叫び声に、酒楼の奥から師叔たちがぞろぞろと出て来る。
どの顔も一様に眠そうだ。

師叔の目は半ば閉じ、シウルは夜着姿、チホは槍すら忘れ肌蹴た胸元を指先で合わせている。
ヒドだけが涼しい顔で墨染衣の上衣を靡かせ、走って来るあの方とその背後のマンボを眺めた。

「師叔、おはようございます!みんなも、本当にありがとう」
並んだ顔に、あの方はようやく足を停め大きく頭を下げる。
「構わねえさ。碧瀾渡はどうだった」
師叔がそう言って手を振ると、あの方は笑ってマンボを振り返った。

「捻挫です。手当をして湿布を置いて来たので、処方通りに貼ってくれれば、10日くらいで良くなります。その頃に往診予定です」
「ああ、もう良いよ。あとは町医者にでも誰にでも診せるさ」
あの方の声にマンボが渋い顔で首を振る。

「折れた、歩けねえって騒ぐから、わざわざあの子を置いてまで天女に行ってもらったのに。
行ったら憎たらしい程元気でさ。わざわざ済まなかったね」
「足は大切ですから、心配すぎるくらいでちょうど良いんですよ?あれだけ捻れば、痛かったのも無理ないし」

そう言いながらもそわそわと落ち着かぬ瞳。
俺と、俺の抱く吾子へ向かい伸び上がって手を振るあの方に笑い返す。
マンボに頭を下げて此方へ駆け寄ったあの方が、その勢いで腕を広げ俺と吾子を一緒に抱き締めた。
「会いたかった!」

胸に顔を埋め、吾子に頬擦りをしてからその瞳が俺を見上げる。
黙って頷くと伸びた指が頬を額を首を、そして手首を確かめる。
「ヨンア、冷えてる」
「はい」

秋とは言え一晩中扉外に居れば、言われても仕方ない。
仔細は語らずただ頷くと、あの方の笑顔が途端に曇る。
「家に帰ってゆっくりしましょ。本当にありがとう」
「いえ」

昨日一日暇を取った。
皇宮へ向かわねばならんと首を振り、腕の中の吾子をあの方へそっと渡す。
「休んで下さい。俺は王様の処へ」
その声に横の叔母上が渋い顔で頭を振る。

「まだ拝謁には早過ぎる。少し寝ろ。鍛錬は他の者でも出来よう」
「・・・ヨンア、寝てないの?」
余計な事をと舌を打ち、驚いたように目を丸くするあの方へ曖昧に首を振って見せる。
そんな事では誤魔化されぬと、鳶色の瞳が無言で俺を見つめ続ける。

「寝てないの?」
「寝ました」
「どこで?」
「其処だ、其処」
俺が何か言うより早く、情け容赦ない叔母上が離れの廊下を目で示す。
視線の行く先にこの方の瞳が丸くなる。

「廊下で?どうして」
「・・・叔母上が添い寝をしたので」
「それならあなたは別のとこで寝るなり、部屋に布団敷くなり」
「昨夜この子が愚図ったのでな。心配だったのだろう」

何から何まで台無しだと、無言で叔母上を睨んで息を吐く。
「ぐずったの?夜泣き?」
ご自分の腕の中に納まり機嫌良さげに俺と自分を見比べる吾子の顔を覗き込み、この方は首を傾げた。

 

*****

 

東屋を抜ける秋の夜風が周囲の木々の枝を揺らす。
その風に髪を弄られつつ、訪れた静寂に息を吐く。

吾子に添い寝する叔母上と同衾するなど考えたくも無い。
結局東屋で夜の明けるまで、暇を潰す事になる。

いざとなればこのまま此処で仮寝を取る。
東屋の柱に揺れるぼんやりとした油灯の灯の中、そこから秋の夜空を見上げた。

風のお蔭で雲は無く、遠く高く白銀の月が光る。

これなら明日は晴れるだろう。あの方が帰路に難儀する事も無い。
過る思いにふと笑う。何を見てもあの方を思い出す女々しい己に。

こうして東屋を見れば。其処から寝静まる離れを見れば。
吾子の握る積み木を見れば。その餉の支度に厨に立てば。

どうしているか。無事に碧瀾渡へ着いたろうか。
飯は喰ったろうか。治療は上手く行ったろうか。
寒くはないのか。よく眠れておられるだろうか。

その夢の中、あの方も俺を思い出して下さっているだろうか。

何故一夜離れるだけで、これ程までに恋しく思うのだろうか。

ウンス。そう唇だけで呼んでみる。
呼んでも返らない声が淋しくなる。
明日には逢えると知るから待てる。
吾子に遠乗りは無理と知るから待てる。

父としての俺、男としての俺。
鬩ぎ合う二心が、今は父へ傾くから待てる。

吾子が育ち手が離れた時、きっと心はまた男の俺に傾くに違いない。
そうなればあの方が一人で出掛けるなど、許せなくなるに違いない。
いつまでだろう。いつまでこの心は続くのだろう。
子を成してまで続くなどまさか思いもしなかった。

「ヨンア」

東屋の外の暗がりで呼ばれた声に振り返る。
其処に立つ闇と見分けがつかぬ程の墨染衣。
東屋の頼りない灯の中に、ふらりと現れたヒドの立ち姿。
小さく頷きその手を確かめる。握られた酒瓶、そして盃。
「呑むのか」
「共にな」
「俺は良い」
「一杯だけ付き合え」

ヒドは珍しく押しの強い声で言うと、俺の真向かいへ腰を下ろす。
そして卓上の二つの盃を、滅多に出さん上等な澄んだ酒で満たす。
「吾子がいる」
「眼も手もあろう。無駄な程多く」

そして愉し気な眼で俺を見ると
「第一お前が一杯如きで潰れるか。少しは気を抜け」
そう言われ盃まで上げられれば仕方ない。

俺は呑む気の無い盃を握り、ヒドの盃に鈍い音でそれを合わせた。

 

 

 

 

2 件のコメント

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    賑やかで 暖かい奥が いない
    ほんのひと時
    男同士 酒を酌み交わすもよし
    ヨンは そんな気になれないようだけど
    (ウンスいないしね)
    ヒドは 飲みたい気分
    吾子に いやされちゃったからかしら?
    もう ヨンは ウンスにベタ惚れね…
    父親になったからって 関係ないわ
    やっぱり 自分の奥さんに いつまでも
    恋していたって いいじゃない (〃∇〃)
    ウンスも 同じでしょ 絶対。
    幸せね~ ♥
    おかえり~ ウンス。
    (マンボ姐さんも (´0ノ`*))

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