2016 再開祭 | 銀砂・結 中篇

 

 

「あれ?リディアさん?!」

あの時訪れたのと同じ、宮殿の医官の詰所。
あの赤髪の女が大声を上げ席を立とうとした時、黒髪の近衛隊長がその半歩前に出てこちらを見た。

今回は落ち度はないから、口元に笑みを浮かべるゆとりもある。
近衛隊長の背に守られた赤い髪が、男の鎧の脇から覗く。

「どうしたの?チャン先生が連れて来てくれたの?」
「ええ」
私が頷く前に、チャン・ビンが頷いた。
「ですから隊長」

鎧の近衛隊長は如何にも面白くなさそうに黒い瞳をようやく逸らし、そのまま横顔で背に庇った医仙を確かめる。
「ですって」
医仙の声に緊張の息を短く太く抜き、近衛隊長がようやく退く。
やっと遮蔽物のなくなった医仙は小走りで私達二人に寄ると、迷いなく私の前に立ち大きく笑んだ。

「どうしたの?何で呼んでくれたの?あ、一緒にご飯食べるとか!こないだ馬を診てくれたって聞いたわ。
馬に鍼を打つなんて本当に出来るのね!ドラマしかないと思ってた、馬医っていう」
「医仙」

暢気で意味の判らない話を一方的にまくし立てる医仙を、チャン・ビンが困ったように静かに制止する。
「お気持ちは判りますが、まず医仙もお聞き下さい」

改まった声音に、真先に反応するのは近衛隊長。
顔を上げ、チャン・ビンに真直ぐ視線を当てる。

兄上から王は碌でもない男と伺っていたが、これほど優秀そうな近衛隊長がそんな詰まらない男を守るだろうか。
そんな事に気を取られながら、チャン・ビンが何を言いだすのか判らずに、私はその顔を見た。

また知りたいだの欲しいだのと言い出したらと思うと、落ち着いていられない。
この男は、何処か言葉が足りないのではないだろうかと不安に駆られながら。
ようやく黙った医仙に、チャン・ビンが穏やかな笑みを浮かべる。
「宜しいですか」
「う、うん。まずは、座って?」

医仙だけがチャン・ビンの真剣さに驚いたように、室内の大きな卓に私たちを促した。
「チャン先生もリディアさんも来たばっかりでしょ?疲れたんじゃない?まずお茶でも飲」
「医仙」

落ち着かない様子で立ったり座ったりを繰り返す医仙に、チャン・ビンは首を振った。
「茶は追々私が。まずお座りを」

チャン・ビンの声に近衛隊長が己の横を視線で示し、医仙は諦めてそこへと腰を掛ける。
「どうしてそんな怖い顔なの、2人とも」
そんな風にぶつぶつと、小声で愚痴りながら。

「はい、座った。で?何なの?」
「医仙、以前おっしゃいましたね。医仙の医は神医華侘ではなく、ヒポクラテスの方だと」
「そうよ。あの世界の西洋医学だもの。医師免許をもらう時には、ヒポクラテスの誓いっていうのもやるわ。えーっと」

医仙はこほんと咳払いの後に、右手を肩まで上げて見せた。
「医の神アポロン、アスクレーピオス、ヒ」
「それは後で。では医仙の医の師は、ヒポクラテスなのですね」

チャン・ビンが何にあれ程驚いたのか、そして何を知りたいと求めたのかが朧げに判り、私は頷いた。
「他の国にも、ヒポクラテスの教えを踏襲する処があるのですね」
「え?」
医仙だけが要領を得ないのか、丸い目を見開いた。
「私の国ではユナニと呼ばれる医術がある。その教えはヒポクラテスの物を元にしています」

私が言った瞬間、何故か近衛隊長が怪訝な目で私の隣のチャン・ビンを凝視した。
そしてチャン・ビンも近衛隊長に頷き返す。

「国とは、大食国」
近衛隊長は余りに不遜と思ったか、取って付けたよう語尾に丁寧語を添えた。
「ですか」
「そうです。私は大食国から来ました」
「大食国って、どこ?」

医仙がギョッとしたように私を見て、誰にともなく呟いた。
何処と言われて、何と答えれば良いというのだろう。
「砂漠の国です。元より更に西。スルターンが国を治め、民らは砂漠の中のオアシスに町を作って住み、駱駝と馬が家族の」
「もしかして、神さまはアラー?イスラム教?言語、言葉は」
「唯一神はアッラー、言葉とはパールシー語の事だろうか」
「パールシー語・・・ペルシア?この時代でギリシャやヨーロッパ以外にも、ヒポクラテスの医学が伝播してる国があるの?」
「何のことをおっしゃっているのか判りません」

動揺する医仙に首を傾げた私に、チャン・ビンは穏やかに頷く。
そして医仙の横の近衛隊長が俄に曇った表情で、不安そうに医仙をじっと見つめて呼んだ。
「医仙」
「大丈夫、悪い事じゃないの。びっくりしただけ」

何を驚く事があるのだろう。
確かに中医学を根幹とするこの国や元で医を学ぶと、他の国の医は驚くものに映るのだろうとは思うが。
けれどご自分もヒポクラテスを知っているなら、驚くまでもないのでは。

「ですから、医仙の医術との比較をお願いしたく、リディア殿をお連れしました。
まだ高麗にお留まり頂けるとの事なので、せめてその間だけでも」
「教えて下さい、リディアさん」

先刻のチャン・ビンに続いて今度は医仙が言うと、卓向かいから私に深々と頭を下げた。
「知りたいの。私の医術と似ているところ、違うところ。全部知りたいんです。
あなたの医学・・・ユナニ、で出来ることがあるなら、きっと高麗でも出来る事が増える。
どうかお願い。教えて下さい」

何故この人は、そんな決死の形相で顔で頭を下げるのだろう。
言ったばかりだ。ご自分の医術もヒポクラテスに沿っていると。
なのに何故医仙は、こんなに悲しそうに一生懸命頼むのだろう。
そして何故、近衛隊長は痛ましそうにそれを見詰めるのだろう。
そんな様子を見たらこう言うしかない。我が神の教えに沿って。

「協力します、私の出来る事なら」

その声に男二人が、ようやく安堵したような大きな息を吐いた。

 

 

 

 

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