2016 再開祭 | 棣棠・捌

 

 

「あそこで待っておりますと」

歩哨の指の先、門外の路傍に咲き初める棣棠。
黄色い花の隙間に見え隠れする、落ち着いた色合いの女衣。

人の気配に気付いた女人が、そこからふと顔を上げて笑う。
その三日月の瞳の形がこの距離を挟んでいても眸に浮かぶ。

足が動いてから走っていると気付き、止めねばと思った時には眸の前に笑顔があった。

「こんにちは!」

走り寄ったのを訪いの承諾と思ったか、女人は勢い良く頭を下げた。
春の光、黄色い棣棠の中に舞う黒い髪。
長く艶やかな黒髪を纏め上げて笠の中にでも隠してしまえば、これ程間近で見詰め合っても判らぬ程に。

「・・・こんにち、は」

どうしてだ。考えても答は出ぬ。
それなら今は考えぬと己に言い聞かせたのは、つい今朝方の事。
それが笑んだ瞳の瞬き一つ、耳朶を震わせる声の一片で崩される。

一人待ち続ける季節は寒過ぎた。己を責め苛んだ刻は長過ぎた。
此処に居ると呟きながら待ったあなたは大切過ぎて、今此処に居るこの女人が偽者だとは思えない。
いや、思いたくない。

駆け寄ったくせに向かい合ったまま一言も発さぬ俺に、この方・・・
いや、女人が困惑したよう紅い唇を擦り合わせ、それからそれをゆっくり開いて慎重に問い掛ける。

「もしやまだ怒っていらっしゃいますか」
その瞳が俺を見上げる高さも。

「・・・いえ」
「ああ、良かった。昨夜、私は何かご気分を害すような事を」
不安そうに顎に当てる指先も。

「いえ」
「では」

振った首を見てあなたはおっしゃった。
晴々とした明るい笑顔と声で。
「この後、少しだけお時間を頂けませんか」
「・・・・・・鍛錬中、故・・・・・」

断らねばならん。西京の兵を待たせたままだ。
三人を残して来たといえ、人が多いに越した事はない。
それでも断りの声には厳しさなど微塵もない。
そうしたい気持ちがありありと滲む、未練がましい声。

夏の北伐。故領奪還。その為に各軍営の足並みを揃える。
何の為に。この方がこうして此処に戻ったなら何の為に。

まるで由佐波利だ。
考えまいと思う程考え、忘れようと思えば現れて思い出し、断らねばと思っても断れず。

その瞳が淋し気に翳れば、即座に撤回したくなる。
甘やかし、宥め、瞳を覗き込みお伝えしたくなる。

参りましょう。あなたが行きたければ何処にでも。
これ程離れ離れで居たから、もう二度と離れずに。

そんな声が迂闊に飛び出さぬよう噛んだ唇。
眉を顰めたこの方は、逆に此方を慰め宥めるように笑顔のままで続けた。

「では、待っていても良いですか」
「は」
「妓楼にご足労頂きたくないので・・・よろしければ昨夜のお詫びをしたいのです。駄目でしょうか」
「・・・いえ」

夢のような出来過ぎた申出に首を振ると、その瞳が嬉し気に緩む。
「良かった!」

空の月よりもずっと近い、昼にも浮かぶ俺だけの三日月。
夏も冬も変わらぬ、誰も知らぬ俺だけの懐かしい花の香。

「では夕刻にまた参ります。お怪我などされませんように」
「はい」

あなたは深く頭を下げると、しかし立ち去らず其処に立ったまま俺をじっと見上げている。

「・・・どうされたのです」
「え、あ、失礼いたしました」

何故行かないのだ。問うた俺に目を丸くすると
「大護軍さまをお見送りしようと思って・・・先に行くのは好きではないので」

あの明るい笑顔。振られる小さな掌。
行ってらっしゃい、その甘く高い声。
慈雨の如く降り注ぐ優しい思い遣り。

胸を掴まれる。息が苦しくなる。
顔を見られたくなくて、一礼して背を向ける。

足早に門まで歩き、最後に肩越しに振り返った時。
黄色い棣棠の花の許、言葉通りあなたは其処で、笑顔で俺を見ていた。

 

*****

 

西京兵舎の丁度中央に位置する広間。
大きな窓の外、熟れた杏のような夕陽が光っている。

夕刻までの鍛錬の後、それぞれが汗を流し終え彼方此方で思うまま寛いでいた。
夜の歩哨に備える鎧姿の兵が行き交い、昼の歩哨を終えた者は夜の鍛錬に備え、その合間に僅かな娯楽や談話に興じる姿。

「出る」
宛がわれた仮部屋から出て来た大護軍が、部屋の扉で擦れ違い頭を下げた俺に呟いた。
「テマンは」
「良い」
「大護軍」

御客人に会いに鍛錬を抜けて以来、その声を初めて聴いた。
何も言わぬからこそ判る事がある。
御客人があの方だった事、その方に会いに大護軍が出掛ける事。だからテマンを供に連れぬ事。

どれほど言葉が少なくても、いや少ないからこそ判る事がある。
短い言葉。大護軍はあの方を医仙だと信じたがっておられる事。
そうでなければ考える事の苦手なこの人は、俺に確かめる筈だ。

御自身が抜けていた間の鍛錬の様子。この後の鍛錬の運び方。
それを何一つ確かめもせず、こうして一言で兵舎を抜けようとする。

「大護軍」
逞しい肩で扉を押し割ろうとする背に呼び掛けると、鋭い視線だけが肩越しに戻って来る。
「お戻りは」
「何故」
「この後、今日の鍛錬の報告をしたく」
「・・・明日にしろ」

その答えなら、少なくとも今宵は帰って来て下さるお積りなのか。
しかし矢のような真直ぐな気性の方だ。
ぎりぎりまで狙いを定め引き絞り、一度放たれれば取り返しはつかんのかもしれん。

大護軍は充分待ち続けた。ここで一度放たれたら最後かもしれん。
ここで出て頂くのが正しいか、それとも引き留めるのが正しいか。
トクマンがいれば迷わずこの腹を刺させるところだが、こんな時に限ってあの背の高い男は影も形も見えん。
どうにか口実を探そうと広間の兵を目で追っている間に、大護軍は無言のままで押し開けた扉を出て行った。

 

 

 

 

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7 件のコメント

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    いやぁぁぁぁぁ
    トクマン なぜ 肝心なときに…
    (お約束かしら?)
    引き寄せられちゃうのは
    しかたない (。•́ – •̀。)
    でもでも 違うよ ウンスじゃないよ
    ヨンが待ってる ウンスじゃないよ
    きっと 気付くはず
    気付け!
    ウンスに 怒ってもらおう

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    生まれ持った野生のカンで
    テマンは、違う人だと気づかないのかなぁ~?
    そして、チェ・ヨン、貴方は人の気をよむのに
    長けている筈。
    それでも、気づかない!?・・・
    長くウンスを待ちすぎて、認識出来ない?・・・
    あっ~~、久しぶりにハラハラ・ドキドキの
    展開のお話になって来ましたネ。

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    お早う御座います。それだけヨンは、ウンスに、会いたいと言う事よね。大変だ!!ヨンが、妓楼に、行き、その人の、おもてなしを、受ける ?のか?平常心では、無理が ??

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    又々失礼します。ヨンが、罠に、はまるとは思わないけど何かを確める為に、妓楼に、行くのか? でなければ?やはりウンスだと? ?そして肝心の、ウンスは、まだ戻らないのか?ヨンは、どうなるの?触れる? ??抱き締める? ?

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    ヨンが行ってしまった・・・・(ノ_-。)
    このナンヒャンさんもウンスさんのように素敵な方なんでしょうね
    だってこんなにヨンが揺れてる位なんですから
    ここは正面突破でウンスと違うところをヨン自身が見つけて下さい
    待つほうの辛さが溢れてきますが、ウンスはヨンの元に帰るという強い思いで頑張ってるから
    待ち続けて恋焦がれてるヨン!
    切ない・・・

  • 今ごろm(__)m
    さらんさんが、屋根裏部屋のお知らせをくださってから、ますますお話読みに浸っています。
    恥ずかしながら、今ごろで…
    『棣裳』読めずにいたので、やっと調べました(恥・汗汗)
    『たいも・ていとう』でした。
    山吹の漢名。
    花言葉は
    『気品、崇高、待ちかねる』等
    ウンスとナンヒャンが、今さらに、
    不思議な縁だなぁ~と。
    ヨン、ウンスへの想いがつのりましたよね…

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