2016 再開祭 | 玉散氷刃・廿参

 

 

「大護軍」

治療棟の扉の前にはチュンソクとテマンが律儀に同じ場所で立ち尽くし、チェ・ヨンの戻りを待っていた。
「て、大護軍」
「良かった。何かありましたか」
頭を下げる二人に小走りで駆け寄ると、宵の帳の中で半ば影になったチェ・ヨンは低い声で伝える。

「チュンソク」
「は」
「戻って今回の捜索に関わった主力に伝えろ」
「は」
声を掛けられてチュンソクが頭を下げる。

「医仙は攫われたわけではない。急用での外出。但し匿ったのはオク公卿」
「・・・は?」
いきなり告げられたチュンソクが、突拍子もない声を上げた。
当然だろうとチェ・ヨンも思う。
早朝から部屋に飛び込み主力を集め、その面前で拐されたとこの口が言い放っている。
己の居らぬ処でこんなに易々と攫われるようでは、枕を高くして眠る事も出来ない。
かといってウンスが夜を徹し患者を診るたびに、横に張りついて護る事も出来ない。

己にも役目がある。留守もある。
信じて預ける事が出来ぬなら、このまま典医寺に務め続けさせる事も難しい。
では辞めさせるのか。
腹を割いてまで赤子を取り上げる事の出来る天の医官を、今回の一件だけで。

果ての見えない苛立ちの中、チェ・ヨンは自問自答を繰り返す。
今でも拐しに関わったあの男を、弟諸共斬り捨ててやりたい気持ちに変わりはない。
命より大切な者を攫われてそれすら許されぬなら、剣を下げる意味など何一つない。
けれど他でもない、その命より大切な者が泣いて押し留めるから手も足も出せない。

未だに煮えくり返る肚の収まらぬまま、チェ・ヨンは思う。

斬って済むなら斬りたい。
二度と同じ事の起こらぬよう、天の医仙に迂闊な手出しは赦されぬと知らしめたい。
迂達赤大護軍の目の黒いうちは誰一人、あの髪一筋にすら触れる事は赦されぬと。
それでも斬り捨てれば泣かれてしまう。
長の努力も、一睡もせず添った夜も、腹の穴に手を入れて成した治療も水泡に帰す。

残るのは不幸で病弱な妻と、そして罪人の父を持つ赤子。
あの時公卿の顔をじっと見つめたのが、記憶の片隅にすら残らない最初で最後の親子の触れ合いとなる。

生まれた命に罪はないなら。罪人の子が罪人でないと言うなら。
親の罪を見て育つしかなかった子の、心の傷を想えと言うなら。

そしてあなたが泣くのなら、俺の取るべき道など一つしかない。

「一切口外無用。オク公卿の罪は必ず問う」
「大護軍、しかしそれは」
「判ったな」
「何故です。捕えたのでしょう。本人も認めたのでしょう。それを伏して見過ごすなど!」
チュンソクの矢継ぎ早の問い掛けにチェ・ヨンは一声だけ唸った。

「黙って従え」

長いチェ・ヨンとの付き合いで、チュンソクは骨身に染みていた。
こう言い出したには必ず裏に事情がある。そして言ったからには翻意はないと。
「・・・後ほど、詳しく伺えますか」
しかし自分も迂達赤の長として、知っておかねばならぬ事がある。
さもなくば人一倍口の重いチェ・ヨンの補佐など勤まらない。
王の前で口裏合わせの綻びが生じないとも限らないのだ。
そこで慌ててももう遅い。御前でチェ・ヨンに駆け寄り、言い訳を打ち合わせるなど出来ない。

そしてそれとは違う理由で、テマンもチェ・ヨンをじっと見ていた。
大護軍はそんな人じゃない。医仙を攫われて、黙って剣を収めるような人じゃない。
朝だって、俺が一緒に典医寺まで走って行って御医に話を聞いた。
トギに医仙の話を聞く時だって、攫われたと言っても止めたりはしなかった。

さっきだって俺にオクって男を呼んで来いと言った時、あんなに怖い顔をしていた。
おかしいとしか判らずに、テマンはただチェ・ヨンを呼んだ。
「て、護軍」

その声にも首を振ると、チェ・ヨンはじっとテマンを見た。
「トギにも伝えてくれ」
「だって、そんな、どうして」
「テマナ」

一声自分を呼ぶ声を聴いて、テマンは知った。
これで終いだ、これ以上話さないと虎の眸が言っている。
だから口を閉ざし、為す術もなく項垂れた。
「・・・はい・・・」

一番悔しいのは大護軍だ。だけど俺だって悔しい。
医仙が無事に帰って来てくれたから良いけれど、こんな事が何度も起きたら、大護軍の体も心ももたない。
ここにいるみんなが悔しい。大護軍も、隊長も俺も。
迂達赤に戻って伝えれば、奴らも悔しいに違いない。

二度と大護軍にこんな悔しい顔をさせたくないなら、俺達はもっと医仙を守らなきゃいけない。
医仙を守るのが大護軍を守ることだ。俺達がもっと強くならなきゃみんなが悔しい思いをする。

テマンはただ奥歯を噛み締め、項垂れたまま暗い地面を見ていた。

 

 

 

 

皆さまのぽちっとが励みです。
お楽しみ頂けたときは、押して頂けたら嬉しいです。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村
今日もクリックありがとうございます。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ

2 件のコメント

  • SECRET: 0
    PASS:
    こう、決断したヨンの心の内。
    扉の向こうで、やはり聴いていたからかな。
    貴族の男、その、体の弱い妻、そしてこの世に生をいただいた赤ちゃん…
    これからどうなるのだろう。
    今回の件は、ヨンの苦渋の選択 だから。
    ウンスが、真の医者としての気持ちで、接しているからだからね。
    ウンスの苦しみが解るからこそ だからね。
    貴族の男の罪は黙認ではなく、何か手立てをうっておかないと、今後のウンスの身が危ないもの。
    その上で、貴族の家族の「家族」としての安定した生活が成り立つわけよね。
    男の母が生きている限りは、安定は…ないかな。
    現代なら、そんな酷い女は檻の中なのに。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です