2016 再開祭 | 玉散氷刃・廿

 

 

「母・・・」
キム侍医が鸚鵡返しに呟くと、公卿は小さくはっきりと頷いた。
「正真正銘、私の実の母だ」
「だって・・・どうしてですか?お嫁さんですよ?お孫さんでしょ?何でお母さんが」
「医仙」

ようやく口の中の灼く茶を飲み込んで話に入って来たウンスに向け、公卿は椅子の上で腰をずらすと向き合って尋ねた。
「弟を憶えておられるか」
「そ、そりゃ・・・もちろん、さっきお会いしたし」
「弟は官位を持っておらぬ。庶子故に科挙を受けても受からぬ」

まるで時代劇ドラマの世界だと、ウンスは息をつく。庶子、科挙。
「それは・・・」
何て言えばいいんだろう?言い淀むとキム侍医が後を継いだ。

「ウンス殿を拐す言い訳にはなりません」
「言い訳などする気はない。ただ話だけはしておきたい。これから私が断罪されれば」
「今考えるくらいなら、何故拐す前に考えないのです。チェ・ヨン殿の剣幕をご覧になったでしょう。怒るのも当然です」
侍医の声に公卿は頷いた。

「大護軍のお気持ちも判る。免赦を願っている訳ではないのだ」
「ではこの期に及んで、何故御母上の話など」
「弟の実の母を熱湯で殺めているのだ、私の母が」
「・・・え?」

ウンスは思わず声を上げ、逆にキム侍医は黙り込んだ。
静まり返った部屋の中には、公卿の諦めた声だけが響く。
「医仙をお連れしたあの家は、両親の住まう本宅ではない。妻に子が出来て以来、弟も連れあそこへ移った。
それまでの暮らしは妻にとり、針の筵のようだったろう。私にとってはそうだった。生きた心地もしなかった」
「嫁いびりですか?それは2・・・天界にも、ありましたけど」
「悪意だけなら我慢も出来よう。しかし母はそれでは済まない」

ようやく肩の荷を下ろすと決めた公卿に、名家の内情の恥を晒しているという意識は最早ないのか。
聞いている二人が戸惑うほどに、その口から次々溢れ出る言葉は衝撃的なものだった。

「初めて母の悪行を見かけたのは私がまだ四つか五つか。そんな幼い時だったのにはっきり覚えている。
父に仕えて来たムスリを、母はある日突然、庭に引き摺りだして打ち据えた」
「いきなり?理由もなくですか?」
ウンスは驚いて思わず小さく叫び、公卿はそれに曖昧に頷いた。

「父の衣に火熨の痕をつけたと。しかし、つけたのは母本人だ。私が物陰から見ていたのだから。
打ち付ける名分が必要だったのだろうな。だから拵えたのだ。偽の罪を」
「そうでしたか」
「そんな揉め事が小さく感じるくらい、母の暴虐ぶりは凄まじいものだった。相手は全て、父に関わる女人ばかりだった。
そんな母に父の足は尚更遠のき、母の暴虐は度を増して行った。極めつけは、弟の母」

公卿は目を閉じて、思い出すよう乾いた声で言った。
さっきまであれ程泣き濡れていた事など嘘のように。

「ある日母自身が、弟とその母親を我が家へ連れて来た。私は嬉しかった。弟がいたと知ったのは、その時が初めてだったから。
父の足が遠のく程に、私にかけられる母の期待と偏愛に恐ろしさを感じていたから。
自分が連れて来たのは、庶子と言えども我が家の血を引く弟と、その母親を縁者として迎え入れる為だと信じた」
「そうではなかったのですね」

侍医の声に、今回は公卿ははっきりと頷いた。
「母は弟の母を、厨に連れて行った。丁度今日のような暖かな日。竈には赤い火が入り、大きな鍋が煮立っていた。
大きな、激しい火だった。よく覚えている。私は初めての弟の手を握り、間食をねだろうと厨へ行った。
弟は何も知らず、何一つ疑わず、私と共について来た。厨の扉から中へ声を掛けようと覗き込んだ時」

人間の記憶力は時として残酷なものだとウンスは知っている。
忘れたい記憶ほど心の中、脳の中に鮮明に残る。
幾度でも蘇って、その心も脳も蝕んで不調を起こさせる。
こうして話を聞く限り、今の公卿がまさに抑鬱状態なのだろうと。

「母が、鍋に向かって弟の母の背を両手で思い切り突いた。弟の母は体ごと、燃える竈の上の煮えたぎる鍋へ向かってよろけた。
叫び声さえ上げられずに、私と弟は黙ってそこでつっ立っていた。その時気付いた母が振り返り、私と弟を見た。
厨の床には熱湯を浴びた弟の母が、体中から湯気を上げ虫の息で倒れているのに」

ぞっとするような光景が、まだその目には見えているのだろう。公卿は静かに言葉だけを重ねていく。

「母は言ったのだ。全く、手間を掛けさせる」

全く、手間を掛けさせる・・・。
見知らぬ女の声が耳元で聞こえたようで、ウンスの全身に鳥肌が立った。

「私は弟の手を握り何も言わずに部屋へ連れ帰った。弟の母は町医者すら呼ばれずに、そのままこと切れた。その翌日からだ。
書堂に行っては、弟が出来たと誰彼なく吹聴して回った。すぐに父の許へも噂が届いた。
父は弟を私と同じ書堂には入れて下さらなかったが、それでも御自身で先生を選ばれ、私が書堂に通う間弟は先生の教えを受けた。
私の願った通り、母が私の留守中に弟を竈に突き飛ばす事は避けられた。
その頃母は言ったものだ。何故我が家の恥を晒すような弟の存在を言いふらすのかと。
母にこれ以上の罪を重ねさせたくなかった私に」

公卿は自嘲の笑みを浮かべ、ウンスと侍医を見た。

 

 

 

 

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3 件のコメント

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    あまりにもショッキングな展開だわ
    母親も弟も 守ってる…って
    でも かなり大変よね
    お嫁さんに子どもまで 
    産まれて来るのを拒んだのはわかったけど…
    問題は母親だー(T_T) 

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    このお話、かなりショッキングな展開ですね…
    読んでいるだけなので変な表現ですけれど…、
    言葉も出ません・・・
    うわ~~~、ド迫力・・・
    女の、正妻の嫉妬!!
    これぞまさしく、鬼女!!
    赤ちゃん、どうなれば、救われるのだろう…

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    古今東西、嫉妬というものは、人の一番深い所でうごめき成長する魔物です。
     知らず知らずのうちに、大きくなりその人自身をも食らう魔物のように思えます。
     公卿のお母さんもこの魔物に取り込まれてしまったんでしょうね。哀しくて苦しいことですね。

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