「・・・こりゃまた」
長の庵を出た足で訪れた鍛冶場。
肚を震わせるような鉄打ちの音が漏れる扉前。
女鍛冶は眉を顰めると、この方から受け取った筒針を扉脇の灯に透かす。
「一体何ですかよ、医仙」
「注射針です」
この方は鍛冶の声に自信あり気に答えるが、鍛冶は首を捻ったまま尖った銀色の針先を無言で眺めている。
そして指でその先を確かめた後に突き、慌ててそれを引込めた。
見る間に鍛冶の指先に盛り上がる、見慣れた濃赤色の小さな玉。
その血を首から下げた手拭いの端で拭うと、刺した指が痛むのか鍛冶は顔を歪めて指先を口に突込んだ。
「なぁるほど、刺さる向きがあるんですな」
「そうなんです。針先をよく見ると分かりますが、斜めに切ってあるんです。長い方を下に、角度を決めて穿・・・肌に、刺します。
何をしたいかによって角度が変わります。上手い人が決めて一発で刺せば、それ程痛みも感じないです」
「射すのに上手い下手がありますかよ」
「はい」
「針の出来不出来も大切ですかよ」
「もちろんです!」
この方の期待をこめた頷き方に、俺も思わず声を添えざるを得ぬ。
「出来そうか」
「あたしを馬鹿にしとるんですか、大護軍」
鍛冶は俺の声に臍を曲げた様子で、横目だけで此方を睨む。
「作って見せますだよ、意地にかけても。実物を見ておいて作れないもんなんてないですだ」
その負けん気に火が点くのは良い。
しかし鍛冶場の中は男らが慌ただしく駆け回り、並んだ炉は全て真赤に燃え盛っている。
そもそもこの方が会いに来て頼んでいるのに、長の庵に鍛冶が出向かぬのも妙だ。
「忙しくないのか」
「ご覧のとおり、猫の手も借りたいほど忙しいですだよ。何しろ王命で鍛冶場が広くなったもんで。
素人同然の新入りに、手取り足取り教えとる最中で」
「・・・そうか」
その御命令も元を正せば、俺の進言の所為でもある。
余計な事を言ったと暗に責められているような声に頷く。
鍛冶は下らぬ事を考えるなというように鼻頭に皺を寄せ、その視線を摘まんだ針に戻した。
「ふん」
始まったと苦笑して、俺とこの方は鍛冶の一挙一動を見る。
「ふん、ふん」
持ち上げ、手首を返し、片目を閉じて中を覗き込み、あらゆる方向から針先を確かめた後に
「ふぅん・・・」
鍛冶は最後に大きく息を吐くと、俺達へと視線を戻す。
「医仙、大護軍」
「はい、鍛冶さん」
「ちょっくら上まで付き合ってくれますかよ」
それだけ残すと返答も確かめず、鍛冶は工房の中を足早に奥へと進み階を上がる。
取り残された俺達は顔を見合わせ、その背を追い鍛冶場を進んだ。
*****
「細い太いで云えば御存知の通り、鍼の方がずっと細いですだ」
婚儀の金の輪を拵えるのに、一度通された憶えのある工房の上階。
鍛冶はあの時と同じ卓に腰掛けると卓上の硯箱を引き寄せて、紙を一枚取りだすと卓上に広げる。
「だけんどこれは、筒でなきゃ意味がないんですな」
指先の天界の針を静かに紙上に置くと俺達を眺め、鍛冶は堰を切ったように話し始めた。
鍛冶の声にこの方も大きく頷いて声を返す。
「そうなんです。この針を通して、体の外から必要なものを体の中に入れたり、逆に体の中のいらないものを外に出したりするので。
筒状でないと、そのやり取りが出来ません」
「ふーん。抜いたり、入れたり。ふんふん」
「確かにゲ・・・太さ、だけなら、鍼の方が細いです」
この方は桃色の荷を再び解くと、此度は見慣れた鍼を収めた包を取り出して紙の上、天界の針の隣に置く。
こうして並べれば一目瞭然だった。
絹の包の中に並ぶ鍼には、紙の上の針より細い物が幾本もある。
「ただこの太さにも意味があって・・・痛覚、刺した時の痛みだけで言えば、確かに細いほど痛くないです。
ただ輸血や点滴の時には細すぎる針だと、必要な輸液や血液が体内に入る道がそれだけ細いって事になるので。
必要な時間内に入りきらないと、命に関わる事もありますから」
「なーるほど。細けりゃ良いもんでもないって事ですだな」
「おっしゃる通りです!」
鍛冶は満足そうに頷くと、続いて紙の上の銀の針の先端を指す。
「それから、この針先の斜めの切り口」
「はい」
「例えば刀には先端の切り口には決まりがありますだ。刃こぼれしない切り口ってのがあるんですだよ」
「注射針にもあります。ベベルって言いますが。レギュ・・・普通の針で12度、ショートで18度とか。
でもぜいたくは言いません。まずは点滴や輸血が出来れば、今より絶対患者さんに楽に治療を受けてもらえますから。
後の部分は私たち、治療する側の人間が腕を上げればいいんです」
「分かりましただ。まずは太さですな。これと同じもんで良いですだか」
「はい。ただ衛生面を考えても、できれば使い捨てにしたいとは思います。一度使っただけで先端はつぶれたりささくれたりするので。
使い回しは非衛生でもあるし、他の血液関連の病気の媒介もしちゃいますし、痛みも出てきます」
「分かりましただ。後は、この針を筒にする方法ですだな・・・」
鉄でこんなに細い筒を拵える。そして切り口を同じ角度に整える。
言うは易いが、鉄針という固い物の中を如何して空洞にするのか。
鍛冶は硯箱からもう一枚別の紙を取り出すと、卓上でそれを丸めて見せた。
筒になったその紙を目で示してから
「こうして鉄を薄い板にしてから丸めてくっつけますだか。つなぎ目を削って平らにして、それを切り分けるのも手ですだ。
それとも」
鍛冶は再び別の紙を一枚取り出し、同じように筒を拵える。
但し此度は一つ目の筒より細く丸めて、一枚目の紙筒の中へそれを落す。
「こうして枠を作って、すき間に溶かした鉄を流し込みますだか。鉄が冷えて固まってから枠を外せば筒が出来とります」
「ああ、どちらもいいですね。出来る限り鍛冶さんの楽な方で。
接合部にでこぼこが残ると皮膚の抵抗になっちゃうので、出来る限り平らに削ってほしいんですけど」
「任せて下さいよ、問題ないですだ。削るだけだったら新入りにも出来ますだよ。
元は簪職人だった男がおりますから、そいつにでもやらせますだ。鉄打ちは素人ですだが、手先は怖ろしく器用なんで」
全くこの女人二人には、いつでも舌を巻く。
何方もその道では天下無双の腕を持ち、他の者の追随を許さない。
天医医仙は言うに及ばず、初めて天界の針を目にし即座に此処まで思いつく女鍛冶も大したものだ。
腕組をしたまま卓の向うと此方とで飛び交う声を聴きながら、俺は唸る事しか出来ん。
口を挟む余地はない。まさしく真剣勝負、この方も本気なら受けて立つ鍛冶も本気だ。
暫し声を交わしてようやく気付いたか、この方が口を噤むと横の俺の顔を気遣わし気に覗き込んだ。
「ごめん、ヨンア。もうちょっとで終わるから」
「構いません」
その為に王様が王命を下された程だ。
充分に論を交わし最高の品を持ち帰る以外、その御心遣いに報いる道はない。
気楽に出られそうで出られぬ、来られそうで来られぬ処だからこそ立ち寄れた時には。
幾ら何でも婚儀の記念の日を跨ぐ子の刻前には話も終わろう。
今宵の間にもう一つ、必ず為すべき事がある。
その品を隠した懐の袷を押さえるよう、俺は硬く腕を組み直した。

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