2016 再開祭 | 玉散氷刃・拾伍

 

 

「先生!」
チェ・ヨンと共にウンスが典医寺へ駆け込むと、着衣の彼方此方に点々と赤い染みを飛ばした侍医が振り返る。

「ウンス殿、無事で何よりです」
「ありがと、詳しくは後で。患者の容体は?」
「急に出血を。腹の中の胞衣が剥がれたようです」
「陣痛は?もう来てる?」
「まだ兆候はありません」

早期胎盤剥離。想定内とはいえと心の中で舌打ちしながら、ウンスは唇を噛む。
チェ・ヨンは背負うポジャギの結び目を解き、診察室の机に下ろす。
その間に髪を纏め直し、マスク代わりの布で口を覆い、水甕の横の洗面器で丁寧に手を洗う。

そしてポジャギを開いて思わず呻く。そうだ。使い慣れたメスを失くしたと。

その声に思い出したように、チェ・ヨンが袷の内から小さな包を取り出して、ポジャギの上の縫合セットの横に開いた。

「これ・・・どうしたの、ヨンア?どこで」
「委細は後でしょう」

見上げたチェ・ヨンに逆に諫められ、ウンスは縫合セットを大きな陶皿に並べる。
そして横に控えていた薬員に皿ごと渡すと、薬員は何も尋ねないまま、それらを煮えたつ湯を張った鍋の中に入れていく。
そこまで確認してから、ウンスがチェ・ヨンへ振り向いた。

「ヨンア、もし出来たら、旦那さんを呼んできて」
「それは」

既に迂達赤が引立てた罪人だと、チェ・ヨンは即答を避ける。
ウンスの言動がチェ・ヨンの思案の外なのはいつもの事だが、自分を拐した者に敢えてまた会いたいなどと。
しかしウンスは心を決めた様子で、チェ・ヨンへ訴えかける。
「お願い、呼んできて。奥さんが死にそうなのに会わせないわけに行かない。手術の同意も必要だから」
「・・・判りました」

チェ・ヨンがテマンを振り返ると、テマンは頷いて即座に走り出て行く。
「イムジャ」
「ごめん、話は後で」

足を止めず真直ぐ患者の寝台へ寄ると視診を始めたウンスの横に、女薬員と共に見慣れない女が付く。
キム侍医も手持無沙汰に、その女人らの診察の様子を一歩退いて見詰めていた。
侍医ですら手が出せないものを、自分がいても仕方がない。
「外にいる」

チェ・ヨンはキム侍医へ一声残し、そのまま診察部屋を出た。

 

*****

 

「やっぱりね。まだ陣痛は弱いけど、これ以上は待てないわ。帝王切開で行きます」
ウンスの声を予期していたように、室内の全員が頷いた。
そして部屋中が静かに、しかし確実に動き出す。

目隠し代わりの衝立を立てる者、麻佛散や猪蹄湯を用意する者。
薬湯を煎じに部屋を出る者、湯を汲む者、煮沸した縫合セットを運び、卓上に据える者。

その中で侍医がウンスの横へ着く。

通常の出産なら補佐は産婆に任せるが、手術となればそうはいかないと事前に打ち合わせた通り。
「チェ・ヨン殿は表でお待ちです」

ウンスが手術に始める前にこれだけは伝えようと、侍医は周囲の医官や薬員に届かぬ声で言った。
厳しかったウンスの表情がほんの少しだけ和み、瞳が丈高い姿を探すように衝立越しの窓を見た。
「ありがとう」

私に言ったのか、それとも表で待つ方に言ったのか。
侍医はそれを見届けて微笑み返し、それを最後に口調を改める。
「三陰交に灸を」
「ううん。お灸は手術中怖いから、指圧で行きましょう」
声に頷いた産婆が、患者の足首の経穴を指で圧し始める。
しかしその刺激にも、患者は閉じた目を開けなかった。

「意識ないの?いつから」
「いえ、反応はあります」
侍医の声にウンスが指先で患者のまつ毛の先に触れると、確かに瞼が微かに動く。
「反応があれば、脳は腫れてないわ。念のために麝香と大黄を用意してくれる?」
「判りました」

侍医が脇の薬員へ頷き、薬員はすぐに部屋の壁一面全てに備えた薬棚へと走る。
既に何パターンも想定していた術式。
頭の中で繰り返したそのうちの1つをなぞりながら、ウンスはゆっくりと深呼吸をする。

ここから迷う暇はない。生まれるタイミングは赤ちゃん任せ。
命はそういうもの。止める事は出来ない。それなら一刻も早く。

「始めます」

一通り手早く準備された部屋の中、ウンスの静かな声が響いた。

 

 

 

 

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