2016 再開祭 ｜ 玉散氷刃・拾参

大路から一本入る横道への石造りの橋を渡り、チェ・ヨンは左右を見渡した。
貴族や大店の主の豪勢な邸宅が並ぶ閑静な通り。
大路に比べ、行き交う者らの数も少ない。
それでも通り掛かった男を目敏く見つけ、数歩走り寄ると強引に掴まえて
「オク公卿の邸は」

チェ・ヨンが尋ねると、男は目を丸くして頭を下げた。
「こ、これは、大護軍さ」
ああ、と大声で怒鳴りたくなる。空気を読め、今は挨拶など要らぬと。
「邸は」

剣呑な声に男は左後ろを振り向き、一本の大木を指す。
「あ、あの、大きな楡の木のあるお邸です」
「判った」

袷から一本の黒炭を取り出し、チェ・ヨンは今渡った石橋の欄干に素早く印を残す。
そしてそのまま男の示した、大きな楡の木に向かって走る。

「て、大護軍様」
公卿の代々続く邸ともなれば、その門前に家人が立っているのは当然だった。
鬼剣を手に無言で寄る丈高いチェ・ヨンの影に、仰天した家人は慌てて深々と腰を折る。

瞬時迷う。相手は拐しの罪人、告げれば隠蔽の恐れもある。
このまま眸の前の分厚い門扉を蹴り破り、闖入者の如く中へ踏み込むか。それとも。
「オク公卿にお会いしたい」

チェ・ヨンは一先ず正面突破の道を選ぶ。
此処で騒ぎになった隙に扉向うのあの方を再び隠すなら容赦せん。
堂々と門を開けさせ、必ず奪還してみせる。

「い、今すぐ、伺って参ります。申し訳ございませんが」
「火急の用だ」
「あの、お、お待ちを」
断りは入れた。既に名乗り、口実は出来た。
チェ・ヨンは自らの掌で目前を塞ぐ門扉を押し開けた。

「待てぬ」
「大護軍様、どうか」
家人が慌てたように、チェ・ヨンの行く手に廻り込んだ刹那。

「迂達赤大護軍と承知で道を塞ぐか！！」

チェ・ヨンの肚の底からの怒号が、目印の楡の木の幹まで揺らすよう、広い門先に響き渡った。

奇轍の邸に乗り込んだ時と違うのは、邸内に別抄私兵の姿がほぼ見えぬ事だった。
真直ぐに邸の廊下を案内されながら、チェ・ヨンの視線が捜す。
耳を欹て、丹田から深く息を整え、一つきりの気配を探る。

先導を務める家人の男は恐縮しきって、廊下の先の大きな扉前で立ち止まると、内側へと声を掛ける。
「だ、旦那様･･･迂達赤大護軍様がお見」

その瞬間チェ・ヨンの耳に届いたのは、確かに探し求めていた声。
しかし助けを待って腕の中へ飛び込んで来るとばかり思っていた声の主は、チェ・ヨンの来訪に歓喜の声を上げるのではなく、鋭い叱責の声で応えた。

「一体どういうことなのよ！？」

ウンスの声にチェ・ヨンは扉を塞ぐ先触れの家人の男を突き飛ばすよう鬼剣を抜くと、そのまま勢い良く扉を開けた。

室内はチェ・ヨンが懼れていたよりもずっと静かだった。
ウンスが乱暴に扱われた様子や、縛り上げられている事もない。

男二人がそのウンスの前に立ち、何故かどちらも項垂れている。
拐された筈のウンスは桃色の荷を背負い、棒立ちになっていた。
「一体」
「ヨンア･･･」

チェ・ヨンの突然の登場にウンスは安堵したような息を吐き横に添うては来たものの、その瞳は相変わらず目前の男を睨みつけている。
「オク公卿」
「大護軍」
男のうち、そう答えた一人は、確かに皇宮で見た顔だった。

「医仙が此処に居る理由を」
「もうお判りだからおいでになったのだろう。昨夜私が家人に命じ典医寺より拐した」
「お認めですね」
「勿論だ。大護軍にも申し訳ない」

チェ・ヨンはウンスを背に回して庇い、オク公卿へと詰め寄った。
「申し開きは」
「ない。どのような御沙汰も受けよう」
「王様が下されます。御同行を」
「兄上」
「旦那様！」

冷たく言い放ち、オク公卿を連れ出そうとチェ・ヨンが声を掛けた処で、思いも寄らぬ影が二人の間に割って入る。
何故だ。何故あなたが止めるのだ。
信じられぬと眸を見開くチェ・ヨンの前、拐されたウンス本人がチェ・ヨンを押し留めつつオク公卿を振り返った。

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