2016 再開祭 | 眠りの森・玖

 

 

「大護軍」

漢城の仮の軍舎、川に囲まれた旅籠の階下の広間。
向かい合う保勝軍の長が阿るような目で俺を見る。

「お願いです。倭寇を斬るお許しを頂けませんか。さもなくば罪のない民が一方的に犠牲になるばかりです。
ほとんどの民は丸腰で、相手は刀を持っております」

口にはせずとも保勝軍の奴らの肚裡はみな同じなのだろう。
その長の上訴に、下座に並んだ兵も無言で頭を下げる。

「気持ちは判る」
「でしたら、何故」
「理由がある」
「それを教えては頂けないのですか。兵たちにも無用な怪我人が増えます。
自分にもついて来る兵を守る義務があります」

誰もが同じだ。率いる以上、従う兵に怪我など負って欲しくない。
まして命を落とす羽目にでも陥れば、俺を恨んでも無理なき事だ。

俺を恨む分には構わぬ。それでも敵の正体を知れば、高麗の民が憎しみ合う事になる。
あの方が守りたいと願い続ける民が、互いに傷つけ合う事になる。

兵も、倭寇を騙る禾尺も、農民も商人も高麗の民。
あの方の大切な、そして王様を支える礎となる民。
焦れた気持ちで、それでも無言を貫くしかない。
「大護軍」

さすがに黙っていられなくなったか、チュンソクが呼んで俺の顔を確かめる。
その視線に顎だけを小さく振って返す。
言わない。そう決めれば絶対に言わん。二言はなく、翻意もない。

俺ならこんな頑迷な上官など御免蒙る。
その煽りをいつでもまともに喰らう苦労人の迂達赤隊長は、視線で頷くと黙りを決め込んだ。

 

*****

 

その夜、保勝軍との合議を終えて借りの寝床に引き上げた。
あの方がいない冷たい部屋。
窓外は昼の温かさなど嘘のようすっかり闇に包まれていた。

暗い。そう思った。

部屋には気を利かせた誰かの手で、既に油灯がぼんやりと揺れていた。

それでも昏い。そう思った。

あの方が横に居れば、夜空の天井に草原の寝床でも暗さなど感じぬのに。

重い足で部屋を横切り、据えられた寝台に音を立て体を投げ出す。

あの方の心を護る事が苦だと思った事はない。
あの方と共に居たいと願った時、一日でも一年でもなく死ぬまで共に居たいと求めた時から、心は変わらない。

それでも離れれば。

寝台に横たわったまま眸で窓外の闇を追う。
その外に流れる川も今は闇に呑まれ、潺の音だけが教える。
此処にいる。流れている。留まる事無くと。

その潺とは別に、夜の歩哨の歩き廻る足音。
昼の小競り合いの後の所為か、どの足音も張り詰めている。
今からそれ程緊張していて、一晩もつのか。

この闇の向う、ほんの目と鼻の先にあなたがいる。
この昏さとは縁遠い明るい開京の、あの温かな宅の居間に。
もしかすれば、もうあの俺達の寝屋の寝台の上に。
独りきりで、其処に残して来てしまったあなたが。

「・・・イムジャ」

呼んでも声は届かないのに、募る想いが口を突く。
逢いたい。何を言うでもなく、言える訳でもない。
敵の正体すら言えず逃げるよう宅を出た俺に、あなたの名を呼ぶ資格があるのか判らないのに。

誰も間違った事をしておらぬし、言ってもおらん。
師叔もマンボも、チュンソクも。保勝軍の長も、禾尺ですらも。

間違っておらぬ奴だとしても、向かって来る以上は斬るしかない。
牛馬の皮を剥ぎ肉を切り、刃物の扱いに慣れているとはいえ戦には烏合の衆だ。
刃物の扱いに慣れていると思っているから、戦い方も知らぬのに懼れ知らずに刀を抜いて来る。

斬りたくない。
頼むから来るなと思いながら、出来る限り急所を外し峰で打ち昏倒させているのに。
そんな奴らが床に転がるから、今日のような騒ぎが起きる。
こんな掠り傷でも、あの弟分は真青になって狼狽えていた。

今もこの仮の軍舎の窓外で、息を殺して此方を伺っている。
戦場で何があろうと全て己が背負うしかないと教えた筈だ。
お前が足を滑らせた、だから俺が受け止めた。
その刃がこの肩を掠ったのを褒めてやりたい。
そうでもなければお前が俺を傷つけるなど出来る訳がない。

その時扉外に寄った気配に寝台の上で体を起こす。
同時に俺とその気配を隔てる扉が静かに叩かれる。
「誰だ」

音もなく開いた扉向うに覗くのは、あの喰えぬ御医の顔。
「チェ・ヨン殿。肩を拝見します」
答も待たずに部屋内に踏み込みながら
「大事でないのは判っていますが、チェ・ヨン殿に万一事あれば、ウンス殿にも迂達赤の方々にも恨まれますから」

キム侍医は持参した治療道具らしき包を部屋の出窓に置くと、油灯の揺れる光の中で苦笑を浮かべた。

 

 

 

 

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1 個のコメント

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    こんなときに
    ウンスに側に居てほしいでしょうね
    何も言わずとも
    一緒に居てくれるだけで
    重い心が 幾分軽くなるでしょうね
    悩める大護軍 
    侍医 魔法をかけたのかしら?

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