2016再開祭 | 桑弧蓬矢・弐

 

 

無遠慮な朝日に隅々まで照らし出されても、埃どころか塵一つない。
磨き抜かれた東宮殿の御部屋の中、王妃媽媽に抱かれた韵様が大きなむずかる御声を上げておられる。

御生まれになった日に王様がおっしゃった通りだ。

お前のその声を、正しくこの国に響かせよ。

あの雲を払う咆哮を耳にし、胸の痛くなるような羨ましさに焦がれた日からおよそ一年。
今迄に見たどの赤子よりも聡明でそして御体の丈夫な韵様は、近頃は鎧姿の兵をご覧になる度、ふくよかな靨の浮かぶ御手を伸ばされる。

抱かれたいとその顔を見て、そして次に御顔を歪め、むずかるように大きな声で泣き出される。
畏れ多くも、俺自身がこの腕に恐る恐る抱いて揺らすまで。

「あのねえ」
ある時あの方が俺の横、その様子に小さな声で笑いながら囁いた。
「王子さまはあなたが大好きなの。もうお分かりなのね。探してるのよ。
鎧姿だと最初はみんなあなたに見えるみたい。近くに行くとあなたじゃないから、ご機嫌悪くなっちゃうの」

出来る限り腕を伸ばし、柔らかな御顔や御体に鎧の星で傷をつけぬようにあやす俺を見て
「お利口さんねー。韵君はおじちゃんが好きなんでちゅねー。見て、もう笑ってらっしゃる」
「・・・口を慎んで下さい」

腕の中の韵様の頬を優しい指先で突いていたこの方は、俺の低い声に瞳を瞠った。
例え年端もいかれぬ幼き方とはいえ、王子媽媽である韵様に対し邪推は許されぬ。
どの臣下をお選びになられるかで今後の王子媽媽としての、封冊後の王世子邸下としての、そして御即位後の皇宮での命運さえも左右し兼ねん。
目下の政敵が居らぬからと、好き嫌いでお側に置くべき臣を決めてはならん。
それが皇子としてお生まれになった韵様の定めだ。

あの時交わしたあの方との話を思い出す。だからこそこうして日参し、王様にお願いせざるを得ん。
畏れ多くも腕に納まりたいと、こうして大きな御声で元気に泣かれる韵様を前に。
「王様」

窓からの蝉声を掻き消すような大きな御声の響く殿。
叔母上が必死にあやす韵様は、本当に俺に向かって御手を伸ばす。
小柄な叔母上は腕の中で日々大きくなられる韵様に身を捩られて、落とさぬようにどうにか宥めている。

「大護軍、ひとまず韵を抱いてくれぬか。そうでなくば話が出来ぬ」
王様は苦笑を浮かべておっしゃり、叔母上は御声を待っていたとばかり、韵様を俺の腕へと渡す。
赤子というのはただ泣くだけで、これ程に汗をかくのか。
顔を真赤にし水を被ったように御髪をびっしょり濡らした韵様は、ようやく泣き止むと腕の中から俺を見た。

その御目に掛かる以上、恐ろしい顰め面はしていられない。
ぎこちなく笑いかけると、韵様は不思議そうに瞬きをされる。
・・・判っている。子守は俺の向きではない。
浮かべる作り笑いは韵様の純真な御目に、さぞや不審なものと映るのだろう。

「王様」
腕の中、火照るように熱い韵様を抱きながらお呼びする。
「一刻も早く、王子媽媽付きの内官と保母尚宮を」

御生誕以来数え切れぬ程繰り返された遣り取りに、王様は王妃媽媽をご覧になった。
「王妃」
視線の先、あの方に添われた王妃媽媽は微かに眉を顰める。
「判っております、王様。ですが・・・」

もう一つの不安の種。
御出産の折にあの方が御体に刃を当てて以来、王妃媽媽の御体調に波がある。
あの方が時折チャン侍医の遺した書を引張り出し、難し気な顔で読み解いているのも知っている。
御体の刃物の傷は癒えたとおっしゃってはいるが、叔母上に探りを入れれば、王妃媽媽は御寝台から起き上がれぬ日もあるという。

赤子を育て上げるとは、市井の民でも大仕事。
ましてや高貴の方なれば、無事嗣の皇子様を御生みになられた後には養育は内官と保母尚宮に一任する。
そして御自身は毎朝の御挨拶時にのみ、御顔を合わせる程度となるのが皇宮の慣例。

叔母上に聞く限り、王様も御幼少の砌より御母媽媽である明徳太后とそうして過ごしておられる。
明徳太后も王妃媽媽と同じ元の姫君であられる以上、元の仕来りとてそう違いがあるとは思えん。
しかし王妃媽媽は頑なに、それを拒んでいらっしゃる。
どれ程御体調の優れぬ時にも韵様をお側から離さず、畏れ多くも御手ずから韵様の身の回りの全てをこなされていると。
襁褓の御世話、寝る間も惜しんでの授乳。それでは御体が回復される訳が無い。

 

「怖いのかもしれないわ。離れるのが」
ある夜あなたがおっしゃった。

あれは韵様が御生まれになり、二月程が経った頃。
深まる秋景色の庭の縁側、肌寒さを言い訳に疲れたあなたを抱いた膝の中から声がした。

 

 

 

 

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