2016 再開祭 | 棣棠・拾肆

 

 

こうして何事もなくあなたと向き合えるのが妙だった。
俺は西京に居た筈だ。

そしてあなたと生き写しの女人に宣託の声を授かった。
春。咲き初めた棣棠。

あなたの面影を持つ女人が、その花の許に立っていた。

けれど今の庭の風景は、どう眺めても秋の景色だった。
赤く透ける葉、そして冴え冴えとした夜空に光る空鏡。

しかしそんな事は何でもないと言わぬばかりに、眸の前のあなたは朗らかな声で笑う。

「どうしたの?あー、分かった。浮気したみたいで罪悪感?」
「しておりません」

この方の悪戯心が吐かせた言葉と判っている。
その瞳に怒りの色は浮かばず、三日月のままだから。
それでもあらぬ疑いを掛けられるのは心外だ。
そんな遊びが出来るなら、あそこまで思い詰めはせん。

「ウソウソ。冗談だってば」
あなたは御自身の失言を取り繕うように笑って見せるが。
「過ぎます」

そんな微笑み一つで機嫌をなおして堪るか。そう思っても、つい許してしまいたくなる。

きっとあなたも同じだと、淋しさを誤魔化す作り笑いで判る。
あなたとこうして向かい合い、他の話など何一つしたくない。
ただその香を感じ、懐かしいその笑みを見詰め、そして俺は正直に告げた。

「判っていました」

まやかしと判っていても縋りたかった。一縷の望みに賭けた。
忘れたでも、心を移したでもない。信じたかった。帰って来たのだと。
その妄執が心を曇らせた。判っていて、見て見ぬ振りをした。

そして最後にこうして思い知る。あなたしか居らぬのだと。
この心にもこの眸にも、映るのはあなた以外に在り得ぬと。
どれほど面差しが似ておろうと、別人は別人でしかないと。

「此処に居ります」

口を突いて出た声にあなたは優しく頷いた。
「いつもあなたを呼んでるわ」
「待っております」
「知ってる。私も探してるから、もうちょっとだけ」

銀の光に影を落とす長い睫毛が揺れていた。

そっくりのあの声で神託を受けた夜は、こんな不思議もある。

起きているのか、それとも眠っているのか。

判っているのは唯一つ。今俺は夢の中であなたに逢っている。

「そこにいてね」
「はい」
「浮気しちゃダメ」
「致しません」
「そうよね、あなたは絶対にそう言ってくれる。信じてる」
「はい」

銀の光に照らされて、あなたの頬に落ちる温かい雫が輝いた。
幾滴も、幾滴も、拭う間もなく零れ落ちるその滴を指で掬う。

「イムジャ」
「うん、なあに」
涙で潤む瞳を見開いて、あなたは俺を見上げて言った。

「呼んで下さい」
その頼みに不器用に笑むと、あなたは震え声で囁いた。

「て、じゃん」
「はい」
「隊長」

夢でもこれ程辛いのに、本当に泣かれてしまったら。
この手でこうして拭えるのなら、まだ我慢も出来る。
けれどそれすら出来ぬ遠くで、あなたが泣いているのなら。

焦りの余り唇を噛む。悔しさで頭に血が上る。
それでも今は手も足も出ぬ。
夢の中でだけ叶う逢瀬でその涙を拭う事しか。

「イムジャ」
「待っててね、隊長」
「イムジャ」
「絶対に帰る。なるべく急いで帰るって約束する」
「イムジャ」
「逢いたい。すごく逢いたい。逢いたくて逢いたくて」

涙の落ちる頬をこの掌に預けたまま大きく息を吐き、瞬きを忘れた鳶色の瞳が俺を見上げて泣きながら笑んだ。

「逢いたくて死にそう。でも逢いたいから、絶対死なない」
「はい」
「だから帰るまで、笑顔だけ覚えてて」
「はい」
「寝すぎないで。ちゃんと食べて。みんなと仲良く待ってて」
「・・・はい」
「無茶しないで。ケガしないでね。主治医がちゃんと戻るまで」
「はい」
「約束して?」

あなたはそう言うと、細い小指を立ててみせる。
この方に間違いない。この方しか知らぬ天界の約束の小指。

折れそうな小指に己の小指をゆっくりと絡ませる。
絡ませれば解きたくなくなるのが判っているのに。

絡めたままの指を無理に引けば、共に戻ってくれるのか。
それでも細い小指が折れそうで、出来ない己を知っている。

「逢いたいです、隊長」

誓いの指を絡ませたまま泣き笑いで言って、あなたは風に揺れる花のように笑んだ。
この心に咲いた、内緒で瓶に閉じ込めた、あの一輪の花のように。

「逢いたいです。隊長」

 

「イムジャ」

愛しい名を呼びながら寝台の上で眸を開ける。

窓枠の形に切り取られた、薄紫の夜明けの空。
筆で刷いたような銀色の雲が流れ行く様、楝色の布団の影の色をじっと見る。

夢だった。それでも判る。今確かに、あの方に逢った。
他に居らぬ。呼ぶ声だけでこの心をこれ程温める方など。

イムジャ。俺は死なぬ。死ぬほど逢いたいから絶対に。
あなたが帰るまで為すべきを為し、石になるまで待ち続ける。
再会の時に零れるあの温かい雫を、必ずこの指先で拭うまで。

「・・・イムジャ」

誰にも見せられぬ情けない姿でも、今だけは。
半身を起こした寝台の上、抱えた膝に額をつけて眸を閉じる。

もう一度追い求める。起きていても感じる気配。
今日は指の隙間を零れ落ちた、夢の中の儚い声。

もう一度掴み取るまで、二度と離さぬとその瞳に誓うまで。
夢より夢のような日々を、最後の一息まで共に過ごす為に。

戻って来い。それまで俺は此処に居る。だから戻って来い。
今日夢の中であなたが逢った、俺の気配を追い駆けて。
淋しいと、逢いたいと思う心の命ずるままに。
何処にも行かずに丘で待つ。石になるまで待っているから。

雲間を割った早春の慈光が射し込み始める部屋の中。
今日は晴れよう。そして雨も風も、雪の舞う空も。

その景色を再びあなたと眺める為に、俺は為すべきを為す。

 

 

 

 

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4 件のコメント

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    逢いたくて逢いたくて
    泣いた
    触れたくて触れたくて
    想いが募る
    想う心は重なって
    それぞれの想いの花が咲く
    早く逢えるといいな

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    夢でも、ウンスに逢えましたね。
    でも、涙でいっぱいだった…
    夢で拭ってあげた涙を、きっともうすぐ
    ヨンの掌で、強く優しいヨンの指で、
    暖かさを感じながら拭えるはずだからね。
    夢の中のウンスは、やはりウンスそのもの。
    ヨンの主治医だけのこと、あるね。
    なるべく早く帰るって。
    だから、待とうよ。ヨン。

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    切なすぎるけど
    さらん様のヨンはこうでなきゃ!
    はぁーー、でも、切なすぎる(⌯˃̶᷄ᗝ˂̶̥᷅⌯)
    逢いたいウンスは微笑んでいても泣いてるからそんな姿見たらヨンだってかが気でいられないよ…
    切なすぎる!!!

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