2016 再開祭 | 三角草・後篇 〈 肆 〉

 

 

戻った典医寺はちょうど昼休み。
典医寺の薬園へ駆けこんだ足音に、部屋の前で振り向く人影。
「・・・ヨンア」

走って切れた私の息と強張った顔に心配そうな表情を浮かべて、あなたが無言で私のところまで大股に歩いて来る。
顔を見ただけで安心して気が緩む。問題は解決できてない。ただ理由が分かった気がするだけで。
「ヨンア」

自分で引き受けたんだから。やるって決めたんだから。
何も出来なかったって後悔しないために。チャンヒに慶昌君媽媽みたいな思いをさせないために。

どうしてこの時代は、あんな小さな子にまで悲しい思いをさせるんだろう?
私の知識なんて役に立たない。知ってたってどうしようもない。
きっと情けない顔をしたんだろう。あなたの顔が不安そうに曇る。

「イムジャ」
大丈夫。つらくなんかない。あの子の痛さやつらさに比べれば。
首を振ってもう一度あなたを見上げる。
大丈夫。あの時のあなたに比べれば、こんなの何でもない。
「来てくれてて良かった。キム先生も一緒に、ちょっとだけ話していい?」

頷いたあなたと並んで部屋に戻ると、気配に気づいたキム先生が診察室の扉から出て来る。
「お戻りですか」
「うん。先生、少しだけ話したいんだけど」
自分の部屋に入る私の後ろであなたは先生と目を見交わしてから続いて扉をくぐって来る。

「ウンス殿、昼食はお済みですか」
「うん、それは後で。ヨンアは?」
「構いません。話を」

椅子に座った横のあなた、そして向かいのキム先生を順番に見て、ごまかせなくなった私は口を開いた。
「チャンヒの発作を確認したわ」
私の声に、キム先生とあなたが同時に頷いた。

「前の時から2週間。キム先生、あの薬湯ってどれくらい続けて飲むと効果が出るの?」
「早ければそろそろ効いて来ます。長ければ二月ほど掛かる事も。
ただ飲み始めても発作が出たのなら、薬を変える事も考えるべきかと。もう一度脈診に伺ってみましょう」
「うん」
「俺も行きます」

あなたはそう言って私に頷いてくれた。
「ありがとう、でも無理しないで」
「ええ」
「お二人で昼食をお済ませ下さい。トギに運ばせましょう。私はその間に支度をしておきます」

キム先生は椅子を立ちながら、部屋の裏扉から出て行く。
その声にあなたは確かめるように私を見る。
「喰えますか」
「・・・うん!食べよう!」

私はその声に笑顔で大きく頷いた。落ち込んだって仕方がない。
食べることは生きること。食べて、寝て、笑っていればたいがいのことには対処できる。
体も心も元気でいないと、患者を元気にすることは出来ない。

トギにご飯をお願いしようと立ち上がった私を、あなたは何とも言えない顔で見た。

 

*****

 

「チャンヒヤ」
小間物屋の裏の部屋。
キム先生は脈診を終えて、小枝みたいに細いチャンヒの手首の袖を直しながらそっと呼んだ。

「先生の大切な友達は、悪い人に毒を飲まされたんだ」
「そうなんですか」
「うん。すごく苦しんでね。薬も飲めずに死んでしまったよ」
「ちょ!」

慌てて止めようとすると、横のこの人が私の手を握る。
今話すことじゃない。チャンヒをもっと追い詰めるかもしれない。
だけどあなたは無言のまま手を握って、私に向かって首を振った。

「チャンヒ。薬湯は、飲んでいるんだよね」
「先生」
「飲んでいるかな」

もう一度小さく聞かれて、チャンヒは俯いてしまう。両ひざの上で拳を握ったその細い肩が尖っている。

「私より、もっと必要な人にあげて下さい」
「チャンヒ」
「私はだいじょうぶだから、もっと必要な人に」
「君より大切な人は誰だろう。誰だと思う」
「私の弟みたいな人」

弟?そんなこと聞いてない。何度も来たけど見たこともない。
「弟がいるのかい」
「はい。でも生まれてすぐ・・・」

キム先生は頷いて、先を急がせることはない。
しばらく誰も話さずに、小さな部屋はしんと静まり返った。

「お母さんが言った。せっかく生まれた男の子なのにって」
「そうなのかい」
「私は迷惑かけるだけだから。だからもっと大切な人に」
「君が大切じゃないってわけじゃない。先生の大切なその友達も、女の子だったよ」

キム先生の声は、届いているのかどうか分からない。
チャンヒは最後まで黙ったまま、じっと両ひざの上の自分の手を見つめていた。

「・・・今日は帰るよ、チャンヒヤ。また来るからね」
「先生」
「忘れちゃいけない。君が辛いと、もっと辛い人がいるんだ。お母さんも、こうして毎日来ているウンス先生も。
君を心配していないなら来たりしない。チェ・ヨンさんも、勿論私もだよ」

医者が出来るのはどこまでだろう。
VSEDの患者に直面した医師は、必ず悩むという。
患者が全ての飲食を自発的に止めた時、その後に訪れる症状はよく分かっている。
決して楽じゃないから、どうにかしてやめさせようと手を尽くす。

だけど24時間付きっきりでいる訳にはいかない。そして患者に飲食を強要すること自体がストレスを与えてしまう。
今の高麗に栄養や水分を供給できる点滴もない。カテーテル手術も出来ない。
今日も無力さに落ち込んで、私たちは最後に部屋から立ち上がる。

「チャンヒ、また明日ね?」
そう言って手を振って、どうにか笑って見せる。
明日は発作が起きませんように。少しでもチャンヒの心が、前を向いてくれますように。
ただそう祈りながら、逃げるように帰るしかない。

そして小間物屋との仕切りの扉を開けた時、私たち三人は同時に見つけた。

仕切り扉のすぐ外に、お母さんが無言で立っているのを。

 

 

 

 

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1 個のコメント

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    あら 薬湯も飲んでなかったのか…
    自分の存在が 嫌だったのね
    誰にも大事に、愛されてるって
    思えなかったんだ~
    そんなこと無いんだけどね
    おかあさんも ショックでしょうね

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