2016 再開祭 | 三角草・結篇(終)

 

 

「お母さん、チャンヒ」

翌日の小間物屋さんは満員状態。あなたとマンボ姐さん、そしてキム先生と私。
何故かシウルさんとチホさんまで一緒にいる。
手裏房のみんなはご近所さんでチャンヒとも顔見知りなのか、特にお互いに警戒しあう様子はない。

「突然大勢で押し掛けてごめんなさい。でも時間がないので」
私の声にチャンヒもお母さんも、そしてマンボ姐さんや手裏房のみんなも頷いた。

「姐さんも、チホさんもシウルさんも。わざわざありがとう」
「それはいいけどさ、天女。これって」
何か言いかけたチホさんを、あなたが視線だけで黙らせる。
肩を落とすチホさんを慰めるみたいに、シウルさんが肩を抱く。

「本当ならこういう場所で話すべきじゃないかもしれません。でも急いでるんです。許してくれませんか?」
チャンヒとお母さんに尋ねると、何が何だか分からないって顔で、2人はこくんと頷いた。

「もうすぐ雪が降り始めます。その前に決めないと。チャンヒ」
「はい、ウンス先生」
「やっぱり今も、ご飯を食べたり薬を飲んだりするのはイヤ?」
「・・・無駄だから」
「チャンヒヤ!」
「お母さん」

血相を変えて何か言おうとしたお母さんを急いで止める。
たとえ子供でも、患者には固有の意志がある。
精神的な部分ならなおさら、親とはいえ立ち入っちゃいけないところも。

プロを信用すること、そしてプロの出来ない部分を愛情でカバーすること。
医者として保護者に期待するのはそれだけ。そしてそこが一番大切で、一番難しい。

「お母さん、チャンヒと離れる覚悟はありますか?」
「離れる、って」
予想だにしなかっただろう質問に、お母さんが繰り返す。

「何故ですか。何故離れなきゃいけないんですか」
「チャンヒの治療のためです。心と、そして体と両方の」
「いつまでですか」
「それは、状況によります」
「治療って、どこでですか」
「場所はえー、っと」
「・・・処は」
「場所や長さが問題ですか」

それまで黙っていたあなたが何か言おうとして半歩動いた瞬間、先に聞こえたのはキム先生の声だった。

「場所が問題なのですか。生きていれば倖せとは思えませんか」
「御医」
出鼻を挫かれて、あなたがキム先生を振り向いた。

「いつか会えるかもしれない、会えなくてもどこかで元気でいてくれるかもしれない。
それならどんなに長くても良いと思えませんか。私ならそれだけで充分だ」

その目が怒ってるようにも、悲しんでるようにも、そして小さな希望を探してるようにも見える。
きっと先生は、永遠に逢えなくなった大切な人のことを考えてる。

そうだ。あの時もしこんな風に天門が開けば。
そしてそれが分かっていたら慶昌君媽媽を連れて行っただろう。誰よりもまず、この人が望んだだろう。

そうすれば、慶昌君媽媽は毒を飲まなかったかもしれない。
あなたがあんなに悲しい決断をする必要も、心を痛めることも。

運命の神様には前髪しかない。すれ違って逃してから気がついて、振り返って手を伸ばした時にはもう遅い。
だから同じ過ちは二度と繰り返さない。私は絶対に、その背中を押してみせる。
たとえどれほど小さくても、その先に希望の光があるなら。

「突然決められないと思います。でも雪が降り始めたら、今のチャンヒの体調では動けなくなります。
だからなるべく、1日でも早く決めて下さい。どうか」
私の説得を引き継ぐみたいに、マンボ姐さんが太鼓判を押す。
「チャンヒの母さん。もしも決めるんなら、うちの若衆二人が連れてくよ。こいつらはその先までは付き合えないけどね。
言ったろ、旦那の方は不愛想だけど、こっちの奥方は信用して良いよ。
あんたも判ってるはずだ。こんな偉い皇宮のお医者の他の誰が、あたしらみたいな者をこんな親身に診てくれるもんか」
「・・・私もいますが」

キム先生は機嫌を姐さんの言葉に機嫌を悪くしたように、そっぽを向いてボソッと言った。
「何言ってんだかね。あんただって天女に引きずられた口だろ」
先生の機嫌なんて全く気にしない姐さんに言われて、
「まあ、その通りです」

キム先生は素直に頷くと、最後にチャンヒとお母さんに向き合う。
「チャンヒヤ」
「はい」
「行きたいかい」
「・・・先生、私は」
「生きたいかい、生きたくないかい」
「私は・・・」

みんなが息を殺して、小さなチャンヒの答をじっと待つ。
その長くて短い沈黙の中で、私は祈る。

我、包帯す。神、癒し賜う。

私はあなたに出来る限りの手を尽くす。知る限りの知識と持てる限りの技術で向かい合う。
そして傷を癒すのは神さま。私は祈りながら奇跡を待ち続ける。
なくなっていい命なんてこの世に一つもないって信じて。
神さまにいつかその頼りない声が届くことだけを願って。

「生きたい、です」

チャンヒは頷いて、初めてはっきりとそう言った。
みんなが大きく息を吐く。私は床に膝をつくと、目の前の小さなチャンヒを力いっぱい抱き締めた。

 

*****

 

「これを、絶対に失くさずに持ってって。出来るかな?」

冬がすぐそこまで来てる匂い。雪が降り始める前の刺すような北風。
ほんの小さな包みだけを持ったチャンヒに、手書きのハングルのカルテを渡す。
一緒に渡すメモには私の医師免許番号。実家の住所を書いた紙。残してきたままの口座番号。

まだ残ってる、わよね?行方不明者扱いで口座が凍結されてる?
可能性は十分あるから、何とも言えないけど。

「着いたら、誰でもいい。近くの大人にこれを見せてみて?」
見せて話が通じなければ。もし万一、他の世界に行ってしまえば。
そうすればチャンヒの辛さはもっと続く。今どころじゃなくなる。

それでも神さまが私たちを見捨てていないことを信じて。
VSEDまで追い込まれたこの子の生命力と意志の強さを信じて。

「もしも変だと思ったら、帰りたいって思いながら出たところにもう一回入ればいいの。
何も怖くなんかない。それだけよ」
「はい、ウンス先生」
「あとね、お友達」

最後まで、荷物になることを考えて悩んだけど。
私はチャンヒが名前を付けてくれた指人形を袖から取り出した。

「アンボクが、一緒に行きたいって」
「いいの」
「もちろんよ!」

チャンヒは小さな手には大きすぎるミトンの指人形を両手で受け取ると、人形にほっぺを寄せる。
「一緒に行こう、アンボク」
「天女、チャンヒ。そろそろ出ないと、船が」

あなたが書いてくれた兵舎への許可証を懐にしまいながら、チホさんとシウルさんが呼んだ。
「しくじるな」
「判ってるって。心配すんなよ」
「ヨンの旦那と天女の頼みなんだから、間違ってもしないよ」
あなたはそれでも不安そうに、手裏房の2人を怖い顔で見る。

「しくじれば帰って来るな」
「天門より旦那の方が怖ぇよ」
「信じてくれって、大丈夫だから」

シウルさんとチホさんは頷いて、それぞれ背負った槍と弓を確かめてからチャンヒに笑いかける。
「行くぞ、チャンヒ」
「はい」

その声に呼ばれて何歩か歩いてから、チャンヒが明るい冬の光の中から私を呼んだ。
「ウンス先生」
「なあに?」
「元気になった帰って来たら、またおやつを一緒に食べたい」

我、包帯す。神、癒し賜う。

そんな日が必ず来ると信じて、私は笑って頷いた。

「うん。絶対、絶対一緒に食べようね」
約束できることなんてそれくらい。それでもそんな小さな一言が、未来につながる力になるなら。
私はここから空を見る。そして待ち続ける。
あなたが元気になって、一緒にもう一度おやつを食べられる日を。

「行ってらっしゃー―い!」

冬の空の下で大きく振った私の両手を真似するみたいに、離れたチャンヒが手を振り返した。

まるであの日、出て行くあなたに並んで手を振った、あの小さな男の子みたいに一生懸命に。

 

 

【 2016 再開祭 | 三角草 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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4 件のコメント

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    まっさらな子供だから
    生きたい! その気持ち一つで
    天界に 迷わず行けることでしょう。
    うまく 治療ができますように
    そして、ウンスとお菓子を食べよう
    元気な体になって…
    ただいま~って 戻ってきてね。

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    今晩は、天門から出た先が、ソウルならウンスに、教えられた病院ヘ行きウンスが、描いた物を、見せて。診察を、して貰い治して無事に、二人が、元気で戻る事を、二人が、心から祈る。

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    さらんさま♡
    泣けました。
    キム侍医の想いも ずしっと伝わります。
    行きたい、生きたい…。
    小さなチャンヒの その願いは きっと届きますよね…。
    ステキなお話を ありがとうございました。

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