2016 再開祭 | 涵養・結(前)

 

 

姿勢を正した四人が席を取る居間の卓。
己の正面には小さな兄妹が並び、左手にはこの方が。
そして向かい合う右手にはテマンが座り、それぞれ此方を見遣る。

だいぶ慣れてきた光景だと、千字文のほぼ終わりに近づいた書の頁を指先で繰りつつ読み上げる。

「年矢每催、曦暉朗耀」
「ねんしまんさい、ぎきろうよう」
「時は矢のように過ぎ、戻る事は無い。太陽は輝き、月は光を放つ」

それぞれの筆がだいぶ上達した字を、それぞれの紙へ記す。

「璇璣懸斡、晦魄環照」
「せんきけんあつ、かいはくかんしょう」
「星々は空を巡り、陽と月は時に暗く明るく、空を照らし出す」

その並ぶ顔を順に見詰めれば、それぞれの目が頷き返す。

「指薪修祜、永綏吉劭」
「ししんしょうこ、えいすいきっしょう」
「燃え尽きぬ薪の熱心さで人の道を修めるが安寧を得、長じて吉を招く」

この最後の句段は幼い兄妹には難し過ぎるだろうか。
顔を覗けば熱心な兄妹は、小さな手に余る太い筆を握り込み懸命に筆先を走らせている。

「矩步引領、俯仰廊廟」
「くほんいんりょう、ふぎょうろうびょう」
「ただ道を歩くにも顎を引き姿勢を正し、俯くも仰ぐにも廟に在るが如く、礼失すべからず」

ようやく此処まで着たかと、残り少なの千字文の文字を眸で追う。

「束帶矜莊、徘徊瞻眺」
「そくたいきょうぞう、はいかいせんちょう」
「束帯での正装時には威儀を正し、周囲を眺めるにも歩くにも軽挙に走らぬよう心得る」

特にこの方にお伝えしたい。とかく軽挙妄動に走りがち故に。
そんな心も知らぬげに、この方も懸命に筆を走らせている。

ましてその横にあの天界の文字まで振っている。他の者より刻が掛かるのも当然だろう。

「孤陋寡聞、愚蒙等誚」
「ころうかぶん、ぐもうしょうとう」
「学ぶに師も朋も無く一人では見聞も広がらず、愚かな独り善がりと笑われる事となる」

だからこの方が学友を招く事も、己が師となる事も厭わなかった。
其処から何かを学んで頂きたい、ただ千字文だけでなく。

「謂語助者、焉哉乎也」
「いごじょしゃ、えんさいこや」
「言葉には語助があり、初めて文意が達成される。それに当たるは焉哉乎也」

最後の一句四字を終え、それぞれの手蹟が紙を走る様を眺める。
四人総てが最後の也の字の跳ねまで確りと書き記した処で息を吐き、手元の千字文本を静かに閉じる。

「以上二百と五十の句段、千字文修了」
「ありがとうございました!」
誰より先にテマンが頭を下げ、慌てたように兄妹が続く。

「せんせ、ありがとございます」
「違うだろ、きちんと言え。先生、ありがとうございますだろ」
「せんせい、ありがとう、ございます」
言い直した幼い妹に、嬉し気に兄が笑いかける。

不思議なものだ。俺の眸付きは何も変わっておらんのに。
最初はあれ程怯えていた、小さな門下生たちが。
この視線に気付き恥ずかしそうに俯く兄妹に向け、懐から二本の筆を取り出す。
「よく頑張った」

しかしその手の筆は太過ぎる。手に余る筆では書き物が億劫になる。
それぞれの手に合わせ削り上げた竹。
チュホンの尾と鬣を梳る時抜けたものと、兎毛を集め束ねた穂先をつけた筆。
「穂先が割れたら持って来い」

それぞれの小さな手に、その筆を渡して握らせる。
兄は目を丸くし筆をじっと眺め、妹は頬を紅くし俺をじっと見あげる。
「せんせ、だいすき!」

妹に先を越された格好の兄が、続けて慌てて頭を下げる。
「ありがとうございます、先生!大切にします」

何も言わずに笑って頷き、脇の視線に気付いて眸を向ける。
まるで三人目の子のように瞳を瞠り、自分の褒美の番を待つ方。

ありません。

唇だけで告げ小さく首を振ると、途端にがくりとその頭が垂れる。
まだ渡せん。この方にはまだ成して頂く宿題がある。
「テマナ」

脇の文机の抽斗を開け、其処から梳紙を取り出して卓上を滑らせる。
元から運ばれたその紙は巷の打紙よりも薄く柔らかく、色が淡い。

筆遣いが映えるだろう。この男の朴訥とした誠実な手蹟が判る。
「これ」
「使え」
「こんな高価な紙、俺」
「恋文に使え」
「て大護軍、い、いえ、先生!!俺こここ恋文なんて!!」

狼狽えるテマンの声が、開け放つ窓から庭へ響き渡る。
その大声に庭先を掃き清めるコムが、箒を持つ横顔で優しく笑う。

「おやつですよ。今日は皆さん頑張ったので、たくさん拵えました」
たっぷりと菓子を盛った大きな鉢を持ち、タウンが厨から居間へと顔を覗かせた。

 

 

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5 件のコメント

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    さらんさん❤
    私事でバタバタしてまして
    暫くコメント出来なくて
    ごめんなさいm(__)m
    千字文
    ヨンが先生で、チュホンの抜毛で
    作った筆がご褒美に貰えるなら
    私も頑張ります~(笑)
    ウンスに「ありません」の一言。
    こんな何でも無い言の葉が
    さらんさんのお話の素敵なところなんですよね❤
    で、ウンスのご褒美は何でしょう?

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    素敵な先生 
    ちゃ~んと ご褒美用意してくれてるなんて…
    一名を除く。
    でも かわいいお弟子ばかりで
    ヨンもまんざらじゃ~ないでしょう
    字を覚えて 今後 役立つこと
    間違いなし!
    よかったね~
    わ~い お菓子だ!

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    さらん様
    皆で卓を囲んで漢字のお勉強♪
    ヨンが先生で、みんな一生懸命書き写していて、庭掃除をするコムさんに、おやつを出すタウンさん。
    ヨンがお父さんになったらこんな感じでしょうか。
    とっても微笑ましくて、平和で幸せな光景。
    ・・・癒されます。
    あ~、私もヨンに漢文習いたいっ!

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    旅行+実家に帰省していたので、纏めて読みました^^
    「千字文」言葉は知っていましたが、中身の意味を初めて知りました。
    千字文って、いろは歌同様に意味があったんですねぇ
    流石さらんさん、大変勉強になりました(。-人-。)
    可愛い子供達も門下生になりましたが、まだまだ増えていくのでしょうか?( ´艸`)
    ヨンも乗りかかった船だし、頑張ってくれますよね(o^-')b
    今後の展開も楽しみにしています♪

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