2016 再開祭 | 海秋沙・後篇

 

 

穏やかな陽が砂浜を、そして海面を、景色の全てを輝かせている。
二頭の馬は俺達の背後、砂浜と草原の境に立って、静かに足許の草を食んでいた。

限りなく澄み渡る雲のない空と、縹渺と広がる静かに凪いだ海。
海の涯と空の涯は混じり合って溶け、何方が海の青か、空の蒼かの区別をなくす。

打ち寄せる優しい波音。空高く呼び合う海鳥の声。
ようやく手に入れた静けさに深呼吸をする。
その途端、胸の奥まで感じる潮の香の海風。

こうして懐かしいと思えるのが不思議だ。
あの頃嗅いでいた潮風はいつでも血の匂い混じりだった。
耳にした波音はいつでも敵の、時に味方の呻き声混じりだった。
けれどこの方と二人きり眺める海は、まるでその記憶を波で清めるかのように、美しく穏やかだった。

「海だ・・・」

もしや初めて見たのだろうか。
この方は至極真当な事を呟くと、いきなり波間に向けて駆け出す。
「海だー!」

その細い腕を慌てて握ると前のめりで砂浜に足を止め、不満げな瞳が俺を見上げる。
「何を」
「え、海を見たらとりあえず入らないと!でしょ?!」

この方は握られたままの腕で、逆に俺を引張って行こうとする。
「行こうよ、ねえ行こうよ!」
「無理です」
「どうして!」
「風邪をひく」
「大丈夫よ、ちょっとだけだから」
「イムジャ」

強引に波間に突進しそうなあなたをどうにか腕の中に封じ込める。
温かいとはいえ、如何に穏やかな気候とはいえ秋だ。
俺の制止にこの方は、甘えるように掴んだ腕を振る。

「じゃあヨンア、焚火しましょ。焚火すれば濡れた服も乾かせるしあったかいじゃない。ね?ね?
ヨンアなら、火おこしなんて朝飯前でしょ?私の旦那様は世界で一番頼りになるスーパーマンだもの」

何故こういう悪智慧はこれ程素早く働くのだろう。
そして何故こんなに甘え上手なのだろう。
そして明らかに知っているのだ。この顔で頼まれれば、俺は絶対に否と言わぬ事を。

続く砂浜の周囲に素早く目を走らせる。
人気のない茫洋と広がる浜には、夏の颱風で打ち上げられ乾いた流木が幾本も転がっている。
そして懐には燧石。断る理由は何一つない。

「ねえ、ヨンアお願い。ん?ハネムーンじゃない。思い出に、海に入りたいのよ」
駄目押しの声に、俺は黙って頷いた。

 

*****

 

「うわぁ、気持ちいい!!」

あなたは上機嫌で沓を脱ぎ足袋を脱いで、打ち寄せる波に足を洗われながら笑った。
俺が眸だけで微笑み返すと、最後に羽織っていた長衣をするりと肩から落とす。

全身ずぶ濡れになるよりは、乾いた衣があった方が良い。
人が来るとは思えぬ寂れた秋の海辺なら、多少は気が楽だ。
「膝までに」
そう忠告し、手近な浜辺に落ちた枝を拾い歩く。
急いで焚かねば。この方が海から上がってすぐに当れるように。
「はーい!」

相変わらず返答だけは素直だ。
この方は機嫌良く言うと、波に逆らうように海中へと進んで行った。
やはり慣れてはおらぬのだろう。不安定な足取り、大きく上がる水飛沫で判る。
万一にも突然の高波に浚われぬように。
海面から見えぬ底の段差に足を取られて転ばぬように。
そんな事を考え始めれば、枝を拾う手が疎かになる。

手早く枝を拾い集めて砂を積み上げた輪の中に組み、チュホンの足許から一掴みの草を毟り、それを火種に火を熾す。
燃え始めた焚火をそこに、俺はこの方に倣って沓と上衣を砂浜に脱ぎ捨てた。

そのまま打ち寄せる波頭を割るように、眸の前ではしゃぐ小さな背を追って海に入ると、気付いたあなたが振り返る。
「ねえ、ヨンア」
差し出された指先は既に海に洗われて雫を落とす。
その指を握り返せば、思った以上に温かい。

「秋なのに、海の水あったかくない?」
「冬までは冷えません」
当然のように言うと、この方は首を傾げた。
「何で?もう秋でしょ」
「冷たくなるのは、冬になってからです」

海で戦う者、そして海に暮らす民なら皆知っている。
海の水は温まりにくく冷めにくい。
季節が一つ前なのだ。秋の海には夏の温かさが残り、冬にはぐんと冷たさを増す。

桜が咲く時分の海は一番冷たく、初夏になって漸く温み始める。
そうでなければ火を焚くくらいであなたが入るのを許すものか。
けれど海に親しまぬこの方はふうん、と感心したように声を上げ、波を掬って空へ撒く。

四方へ散った滴は陽を受けて、昼の星のように輝いた。
そして静かに落ちてきて、再び音もなく海へと還った。

 

 

 

 

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