2016 再開祭 ｜ 春夜喜雨・捌

「そのようです。詳細は伺っていませんが」
「でもどうして突然今？ああ、どうしよう。ほんとに嬉しい！これがあれば、きっともっとはかどるわ。
治療も、手術だって。ヨンア、ほんとに、ほんとに」

この方は俺の掌を、小さな両手で強く握り締めた。
「ほんとにありがとう、王様にも伝えて。私からも必ずお伝えする。最高のプレゼントだわ、ほん」
「使えますか」

まずは確かめねばならん。無駄足を踏ませるわけにはいかん。
使えぬのなら如何して、新たな物を手に入れるのか。
其処まで考えねば糠喜びさせるだけだ。そんな酷な事は出来ん。
「うーん。錆を取ってみる。ここまでひどくなったら硝酸ね。この時代硝酸が取れるのは･･･」

赤錆びた治療道具を眺めながらこの方は首を傾げた後に、何故かその顔を少ししかめた。
「仕方ないわ。せっかくあなたが見つけてくれたんだものね」
「何が必要なのですか」
「･･･あのね･･･」
「はい」

何故か言い辛そうに口籠るあなたに、眸で答えを促す。
容易に手に入らぬ物なら揃えてから出掛けねばならん。
問い掛けに眉を寄せ、この方は小さく言った。

「トイレの･･･厠の、床土。出来るだけ古いのが良いかも･･･その、いろいろしみこんでるのが」
「厠」
思いもしないその声に、俺も思わず答に窮す。
そんなものが役に立つと考えた事も無かった。
キム侍医も同じなのだろう。不得要領な顔で首を傾げている。

三人共に押し黙る部屋内。
開け放ったままの扉外の喜雨が、薬園の木々の葉を打つ音が響く。
「だって仕方ないのよ、韓･･･高麗で、硝石が取れるって聞いた事ないし！
取れるかもしれないけど探す時間もないし、錆び取りの15%程度の水溶液を作るなら結構必要だし。
水溶性だから溶かすのも楽だし。動物のフンっていうのもあるけど、一緒に水に溶けちゃうから.
土なら分離するから楽なのよ！そうだ、ムソンさんに教えてあげると良いわ、碧瀾渡の。
火薬を作るにも、トイレの床土だと効率が良いわよ？」

この方は言い訳をするよう、小さな両手を振り回して慌ただしい早口でおっしゃった。
その慌ただしさに紛れ、大切な事と、決して言ってはならぬ事を。

ムソン。奴は火薬造りに鶏の糞を使うと確かに言った。厠の床土。
ならば必ず教えてやらねばならん。
だが火薬の一件は王様のお許しも無く、謁見も実証も済んでいない。
例えキム侍医にもまだ伝える事は出来ない、極秘の話だ。

案の定侍医は目を眇めて俺を眺めた後に、気付かぬ素振りで静かに逸らす。
判っているというその目に、思わず息が漏れる。

この方の口を塞ぐには、一体如何しろというのか。
あの時からそうだ、足を剥き出しに初めて兵舎へ乗り込んで来た時。
俺の腹の一件を、病を暴露し、このままなら死ぬぞと叫び泣いた時。
次にそんな事を騒げば、その口、無理矢理にでも塞ぎます。
言い放った俺のあの誓いは、まだ有効だろうか。

声に出されれば仕方ない。取り返しはつかん。
やらねばならん事が山積している。
塞ぎ方は･･･後で考えるしか無い。

「必要なら集めます。厠の土を」
「･･･うん」
この方が集める作業を思ったか、肩を落として項垂れる。
その様子を横目にキム侍医が話を変えるよう此方へ向き直った。

「ところで、チェ・ヨン殿」
「ああ」
「この、赤錆の物が･･･」
「天界の治療道具」

キム侍医といい、チャン侍医といい。
医官にしてみればその道具は宝にも等しいのかもしれん。
普段は心の籠らぬ薄笑いを浮かべ、肚の読めぬこの男が。
今は新しい凧か独楽に夢中になる幼子のよう目を輝かせ、赤錆だらけの治療道具をじっと見ている。