2016 再開祭 | 孟春・後篇 〈 風邪 〉

 

 

こん、こん。

咽喉を絞る乾いた咳が、船の甲板から北風に飛ばされ川面を渡る。
せめて抑えてと思ったが、この方の耳を誤魔化せる訳もない。

鳶色の目が素早く此方を見上げ、避ける間もなく小さな手が伸びる。
逃げられぬ手首を掴まえた細い指が血脈を探る。
最初に頬に伸びて来ると思ったら、奇襲をかけられた。
此方の裏を掻くとは、其処らの将も顔負けだ。

呆れた口を開いたら、また其処から白い息と共に一つ出た咳。
こん。
今や完全に眉を寄せ、あなたは手首を掴まえた掌を頬へ伸ばす。
「ヨンア」
「・・・は」

はい、と応えようと息を吸った途端、胸まで流れて来た冷たい風で再び咳が飛び出した。
こんこん。
「いつから?」
「え」
「いつから?倦怠・・・怠かったでしょ。寒気は?」

ご自分の首巻を急いで解き、それをこの首に巻き付けると甲板を小走りに、この方は慌ててチュホンを繋いだ柵まで走る。
左右の弦に横木を渡しただけの柵、そこに繋がれた愛馬。
あの方の足音を聞きつけたチュホンが、ふと耳を立てた。
「チュホーン、ちょっとごめんね?」

声を掛けつつ鞍横に縛り付けた毛織物を外して抱え、その鼻面を優しくひと撫でしたこの方が此方へ駆け戻る。
「言ったら私が反対すると思った?それでも行きたいってダダこねると思った?」

座れと言うように甲板に渡した椅子代わりの板を指差して、この方は俺をじっと見た。
渋々腰を下ろすと、待ち構えていた毛織物で頭から包まれる。
次にこの方は俺が抱えていた包に手を伸ばす。

頭から毛織物を被せられ、首元に巻かれた首巻を外して畳むと小さな手に渡す。
手渡したその首巻と俺とを交互に睨むとこの方はそれを広げ、毛織物の上から改めてその首巻をぐるりと巻き付け、硬く縛った。
まさか俺の首まで絞めたい訳ではあるまいな。
思わずそう疑ってしまう程の勢いと力強さで。

そして包を横木の上に広げつつ、小さな声が呟いた。
「1日や2日で文句なんか言わないわ、あなたの主治医なんだから。そんな風に思われてたんならショックよ」
「決してそのような」

ただ咳が出ただけだ。確かに昨夜は少しばかり寒かった。
調息をすればすぐに収まる程度のものだ。怠けたのはそれよりもあなたを抱き締めたかったから。
休暇の前夜で俺も浮かれた。謂わば知恵熱のようなものだ。そう言おうとしているのに。
「熱は高くない。37.5℃あるかないか。完璧な脈診とは言えないけど滑脈だから、痰飲、食滞・・・食欲は?」
「然程」
「痰は?」
「あります」

その声にこの方は妙に納得したように頷いて問い続ける。
「喉が渇いた感じは?」
「はい」
冬の最中に喉が渇くのは普通ではないのか。空気が乾いている。

「気分が塞いだり、してない?」
「いえ」
それには即答出来る。浮かれてはいても塞いだりするか、この方とようやく二人になれたのに。
塞ぐとしたら朝の王命の所為だ。とても口には出せんが。
勢い余って否定の声を上げたら、途端にまたも咳が出た。
「よし、決まった!」

この方は俺の顔色をもう一度じっと見つめて、独り言のように指を折りつつ口の中で呟いた。
「麦門冬、半夏、粳米・・・甘草」
そして解いたポジャギの中の治療道具を掻きまわし、首を振って息を吐く。
「持ってるわけないわ。準備不足だった。ヨンア」
「はい」
「あー」

眸の前で突然赤い唇を丸く開かれ、釣られて思わず己も開ける。
「これ、舐めてて?」
この方は声と共に、固い小さな粒を俺の口に優しく放り込んだ。
「おやつ代わりに作っといて良かった。はちみつキャンディよ。作っとくもんよねえ。本当に優秀な主治医だわ」

確かに口中で転がしたら、蜂蜜の甘さが舌で溶けた。
しかしあのどろどろとした蜂蜜を如何にして固めたのか。
まるで判らず首を傾げる俺を誤解したか、この方は心配するなとでも言いたげに頷いてみせた。

「殺菌作用もあるし、添加物は一切入ってないから。舐めててね?出しちゃダメよ」
「はい」
「船が着いたら他の薬草を買いに行く。紅参と棗だけはあるから、今煎じさせてもらえるか聞いて来るわね」
「イ」
「これ以上悪化させたくなかったら、ここで大人しくしててね?すぐ帰って来るから」
「イム」

制止の隙もあらばこそ、この方は脱兎の如く身を翻し、甲板の船室の裏手へ回って消える。
取り残されたまま呼び止め損ねた俺は独り、もう一度咳をした。

 

 

 

 

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2 件のコメント

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    今晩は、あれま。ヨンでも風邪引くのね。少し安心したかな。ウンス早くヨンの元に、戻って来てあげて。上手い具合いに、薬草が、見付かれば言いけどね。

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