2016 再開祭 | 天界顛末記・廿伍

 

 

扉から表に出ても、其処にソナ殿の姿は見えない。
階を駆け降り、階下の叔母殿の御部屋の戸を叩く。
「ソナ殿、いらっしゃいますか」

声を掛けても室内に人の気配は全くない。
滑り落ちそうな階を踏みしめて地階へ下り周囲の通りを周回しても。
雪の積もり始めた細道を覗き込み、頼りない灯の下を透かし見ても。

これ以上離れては戻れなくなる。
周囲に見えない姿を探し、一本道の分岐する限界まで辿り着く。

「ソナ殿!」

雪の中、やはり返る声は聞こえない。

一旦隊長と副隊長にご相談しようと踵を返してお宅へ戻る。
来た折に刻んだ足跡すら既に消えかかっている夕の雪道を。

そして先刻下りた階を、重い足取りで上がり切った時。
出る時には陰で見えない部屋の裏手の暗がり、既に足首を超える程に積もった雪に隠れるように佇む人影をようやく見つける。
「・・・ソナ殿」

降りしきる雪の中、頭から襟巻を巻いたソナ殿が立ち尽くしている。
後ろ姿に声をかければゆっくりと振り返るソナ殿の目が無理に笑う。
「見つかっちゃった・・・」

飛び出してから今まで此処にいらしたなら半刻以上が経っている。
その真青な頬に、黒い髪が貼り付いている。
指先で確かめるように摘まんで除ければ、それは凍り付いていた。

「入りましょう。風邪を得ます、この寒さでは」
だが頑なに首を振り、ソナ殿はこの指ごと私から逃げるように身を避けた。
「嫌われちゃいました。チュンソクお兄さんに」
「嫌われたなど」
「出てくって。ここにはいられないって」
「そういう意味ではないのです、ソナ殿」
「一緒にいたかったんです。同情なんかじゃない。ちゃんとお別れして、また会えるって約束して」

体の芯から冷えているのだろう。
痛い程の寒さの中、私の吐き出す息は雲のように白いのに、ソナ殿の声と共に吐かれる息は全く色を持たない。

ちゃんとお別れして、また会えるって約束して。

ああ、だからだ。だから副隊長はそうされるしかなかった。
天門を超えた再会の約束など交わせる筈がない。
そして副隊長は、ソナ殿の身に起きた事を一切御存知ない。
別れを交わす事を何故望むか御存知ないからだ。

「まず戻りましょう。体を温めねば」
「ダメ、地図コピーして来ます。お兄さんと、チェ・ヨンさんの分」
「そんなものは構いません。後で我々が」
「だって、約束したんだもん」

私から逃れるように、ソナ殿は雪の中を後退る。
「約束したんだもん。私が約束を守ったら、チュンソクお兄さんも、きっと守ってくれます」
「守ります。副隊長も隊長もそういう方です。ですから」
「そうしたら、一緒にいてくれるかなあ」
「私からもお願いします。我々はソナ殿の御助力なしでは、何も」
「良かった・・・」

そして浮かべた笑顔は本物だった。
笑顔を浮かべたまま、ソナ殿は白く積もった柔らかな雪の中へと頽れた。
「ソナ殿!!」

叫んだ私の声に、部屋の扉が大きな音で開く。
雪中に飛び出して来た隊長と副隊長が何も訊かず、ソナ殿を両脇から支えるように起こし、そのまま部屋へ運び入れる。

部屋に入るや副隊長は何も言わずお借りしている布団を延べ、隊長は凍り付いていたソナ殿の上衣を脱がせて小さな体を横たえる。

「侍医」
「薬剤を」
「待て」
踵を返し外へ飛び出そうとした私へ制止の声をかけ、隊長がソナ殿の上衣を探る。
そこから取り出した先刻の国都図を一瞥し
「此処が現在地。薬局が此処にある」
「はい」

先刻共に一度見ただけで、記憶されたのだろうか。
隊長は惑う事無く一点を指し次に私の顔を見た。
漢字で書かれた薬局の文字。これ程に明確な図なら迷うまい。

雪に濡らさぬように国都図を折り畳み、確りと羽織った上衣の胸袋へと納める。
「お前まで迷うなよ、侍医」

隊長の声に頷くと、私は扉を出た。
足を滑らせれば終いだ。
手に張り付く冷たい鋼の手摺を強く握り締め、慎重に。
焦る気持ちを宥めつつ、恐ろしく滑る階を一段ずつ降りる。

ようやく地階まで降り立ち、胸袋の中の国都図を取り出す。
広げて今一度確かめようと雪灯りにそれを透かしたところで
「あらー?ビンさーん?」

目の前の緩い坂道の先からの呼び声に顔を上げる。
何もご存じない叔母殿が、その道を上がりつつ私に向けて手を振った。

 

*****

 

「風邪ですね。急に寒くなりましたから」
明るく白い部屋の中。

医仙のお持ちの治療道具とよく似た冷たい銀の箆でソナ殿の舌を押し、喉の奥を確かめた医官らしき男性はそう言うと、手にした細い棒先の豆粒程の明かりを消す。
「そんな簡単に」
「ノドの腫れ、セキ、簡易検査の結果インフルエンザは陰性ですから、風邪で間違いないでしょう」
脈診もせず断言すると、男性は困った顔で詰め寄る私に頭を下げた。
「薬を出しますから帰りに薬局で受け取って下さい。その後はお帰りになって大丈夫です。お大事に」

こんな雪の夕でも天界の医院には人が溢れていた。
内疾患と思われる顔色の、咳を繰り返す幼い子供。
雪で足を滑らせたか、長椅子に足を伸ばし足首を冷やす男性。

そんな中、烈しい音が医院の入口に響いては止まる。
移動式の寝台に横たえられた患者が、慌ただしく次々に運び込まれる。
「雪だからケガ人も多いのね」

ソナ殿を支えてゆっくりと歩きながら、叔母殿が待合室を見渡した。
「ソナ、大丈夫?辛かったら先に車に乗ってても」
「ううん、大丈夫」

頷くソナ殿の顔が赤ければ心配はしない。
風邪と診断を下されても、その顔色が青いのが最も気に掛かる。
風邪だとしても腎か肝が弱っていれば、こうした青い色になる。
しかし天界の医学を知らぬ私が何処まで口を挟んで良いものか。
「叔母殿」
「なあに?」
「蜆は手に入りますか」
「シジミ?貝の?」

口を挟めぬのならせめて手は出させて頂く。
どのような薬剤を出されても影響のない食で。
医食同源、古の諺を信じる。
「シジミね・・・夏に水銀シジミが騒ぎになったから・・・」

叔母殿は気乗りのしない様子で私に向けて呟いた。
「では」
口は挟まず手を挟む。私にお返しできるのはこの程度しかない。
ソナ殿のほっそりした手足を見る。私が処方するならば真武湯。
しかし天界の薬に附子が含まれるとすれば、飲み合わせは良くない。
「ソナ殿、御手を拝借して良いですか」

混み合う待合でその顔を覗き込む私を、焦点の合わぬ瞳でソナ殿は見た。

 

 

 

 

1 個のコメント

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    あららら ソナちゃん
    倒れちゃった。
    ぽっぽ~ 罪な男ね
    また会いましょう は 言えなくても
    ちゃんと さよなら してあげなきゃね
    あと ちょっとなんだから…
    苦しいことだけどね
    (´っд・。)

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