共に立ちあがったこの方が侍医の傷を再び確かめ、俺に向け不安げに声を掛ける。
「ヨンア」
「はい」
「どこか借りられる場所はない?先生の傷を縫わないと」
周囲に既に追手の気配は無い。
かといって腕から盛大に血を流す侍医がこのまま佇めば、市の端とは言え人目に付く。
しかし近隣の薬房や町医院に飛び込むわけにもいかん。
刀疵を理由に官軍を呼ばれれば、面倒が起きるのは火を見るより明らかだ。
灯台下暗し。手傷を負った追手達があの民家を襲うとは考え難い。
人参を奪いたいなら、最初から民家を強襲すれば良い。
あそこには侍医の抱えた荷の何倍もの人参が置かれている。
最初から狙い澄ましたように侍医のみを襲ったのが気に掛かる。
侍医だけが持っていたのは闇取引の人参。
マンボが言っていたという、この方から伝わった声。
国の中に置いてある、黙っていても高値で貴族が買って行く品。
今考える時間はない。
まずは侍医の手当てだと頭を振り、二人を連れあの民家への途を急ぎ足で戻る。
庭先へ踏み入った途端大きな荷を抱えた男とチホが、中から飛び出すのに出喰わす。
「行ってくる」
「終われば戻れ」
「旦那たちは、何で戻ったんだよ」
「傷の手当てをする」
この眸で侍医の腕を示すと、チホはああと頷いた。
「荷を移したら、すぐ戻って来る」
顎先で頷き返し、駆けて行くチホたちと擦れ違いに、既に空になった小部屋に上がり込む。
この方は部屋を見渡すと、治療に使える寝台すら無い事に息を吐く。
「糸と針は持ってるんだけど・・・後は消毒薬と持針器と鍼くらいしか」
侍医とこの方を其処に立たせ、俺は重ね据えた棚の一段目と二段目の繋ぎの箇所を確かめる。
簡単に薄い木板で留めただけだ。
一番上の天板の左端を強く握り、思い切り揺らす。
留具の木板が裂けるような音を立て、左の留め板が外れる。
同じように右側を揺らして外し、そのまま棚を床へと下す。
「・・・ヨンア、何してるの?」
その問いには答えぬままに部屋隅に畳まれた布団を天板の上へ敷き、上から己の重みをかけてみる。
耐えられそうだと判じた後で、この方と並ぶ侍医へと振り返る。
「寝ろ」
珍しく皮肉も口にせぬまま、侍医は仮拵えの寝台へと素直に寝転ぶ。
「イムジャ」
俺の呼び掛けに、この方が目を丸くして頷いた。
「何?」
「手が使えぬのでしょう」
「それは・・・」
困ったように頷くあなたに、確りと伝える。
「俺が縫います」
仕方ない。こんな危ない橋を渡らせた俺にも責がある。
この方の手が使えぬ以上、戻って来るチホやシウルに縫わせるよりはまだましだろう。
「チェ・ヨン殿」
仮拵えの寝台に寝転んだままの侍医が、懐から小瓶を出して俺の掌へ落とす。
「麻佛散と、猪蹄湯です」
「あ、でも」
この方は侍医へ首を振ると
「出来れば、鍼麻酔でやりたいの」
その声に驚いた様に、侍医はこの方へ心配そうな目を当てる。
「ウンス殿では、鍼は未だ」
「俺が打つ」
そう言ってこの方の差し出した小箱から鍼を抜き、その先を確かめる。
侍医の左手甲の親指骨の付け根。
合谷を指先で確かめ、其処へと確実に一息に鍼を打つ。
そして鍼の頭へ手を翳すと、手の甲から雷功を放つ。
あの頃チャン侍医に頼まれて幾度か使った手だ。
このように役立つとは思いもしなかったが。
「・・・ずいぶん落ち着いてるけど」
白い包帯を巻いた姿で、あなたは額に汗を浮かべ此方を見遣る。
「ほんとに大丈夫よね?」
「はい」
肝を据えるしか無かろう。選べる手立ては他に見つからん。
粗末な急拵えの寝台で、その上に横たわるキム侍医が苦く笑うと
「まさに俎板の上の鯉の心境だ」
そう言って俺の脇のこの方へ眼を投げる。
「ウンス殿。麻佛散は使いませんか」
「うん、全身麻酔は負担が大きいから。腕だけの傷なら出来れば局所麻酔でやりたいの。でも」
包帯を巻いた手が、天界の医療道具を探る。
鋏のようなものをどうにか取り上げると、銀色に尖った刃先で侍医の血塗れの傷口近くを触れる。
「感覚は?」
「・・・いえ。ありません」
キム侍医は首を振り、其処から次に俺を見た。
「チェ・ヨン殿」
「何だ」
「信じております」
「ああ」
この方が治療道具の中、以前巴巽村で拵えたような半月型の曲がり針を指で示す。
「連続縫合・・・うーんとね、一針ずつ切らないで、一気に端から縫う。
かがり縫合で行くから、言う通りに縫ってってくれる?」
「はい」
かがり縫いでもまつり縫いでも、何でも構わん。
「先生。この縫合だと抜糸に時間かかるけど、それは多めに見てね」
「構いませんよ」
キム侍医の頷きに力を得たように、この方は俺の手許をじっと見た。
「創に直角になるように、針を入れて」
成るようにしか成らん。
覚悟を決め、俺はキム侍医の肌へその針先をもぐり込ませた。
「締めすぎないで。糸を引き過ぎちゃダメ」
「緩すぎると傷が開いちゃうからダメ」
「細かすぎても、大きすぎてもダメ」
「傷と表面が引き攣れたり、ズレたりしちゃダメ」
駄目、駄目とこの傷を縫う間、一体何度言われたろうか。
その合間にこの方は侍医の顔色や表情を見ながら
「先生、麻酔は?まだ痛覚戻ってない?大丈夫?」
「気分が悪いとか、吐き気がしたらすぐ教えて」
そんな風に声を掛け、この額に浮かぶ汗までその左手で不器用に拭う始末だ。
侍医の腕の傷を半ばまで縫った頃、表で騒がしい足音が立つ。
「ヨンの旦那!」
部屋の扉を叩きつけるように開いたシウルが、傷を縫う俺の肩越しの睨みに驚いた顔で息を呑む。
「な、にしてんだよ」
「手当」
短く言い捨て、侍医の傷へと向かい合う。
「表で待ってろ」
その声にシウルの閉じる扉の音が、小さく粗末な部屋の土壁を揺らした。

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侍医は ドキドキだけど…
ま、 この際仕方がない
ヨンを信じるしかないわよね~
斬ることには 慣れてしまってるけど
縫うなんてこと するとは 思っても見なかったでしょうね。 度胸一発 頑張って~
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緊張する場面なのに・・・
ヨンの
かがり縫いでも、まつり縫いでもに(爆)
ウンスの
ダメだしに(笑)
ヨンも肝が据わった男前だけど、
素人のヨンを信じるキム侍医も
素敵な殿方ですね~(^^)
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わたくし、かがり縫いもまつい縫いも
得意でございます!
でも生地は痛いって言わないので...
さらんさま
傷の縫合、経験されたのですか?
もしや右手は開放骨折だったとか(まさか・汗)