2016再開祭 | 胸の蝶・参

 

 

酒楼を離れ、さすがの地獄耳の女主にも声が届かなくなってから、秋霖の中で向かい合う。
ヨンは雲の流れを確かめるよう重苦しい空を見上げ、再び俺へと眸を向けた。
「暫し続く」

空からの細かな雨を手甲の掌に受ける。
強くはないが、間断なく落つる冷たい滴。
同意と頷くと、ヨンの眉間も薄く曇る。

「このまま行くのか」
「顔を繋いだのは俺だ。少なくとも他の奴より早く探せよう。遍照と面識のない女、それだけか。他に条件はないな」
「ああ」
「寺からが良いか。余所からが良いか」

そう尋ねるとヨンは珍しく、即答を迷うよう僅かに顎を捻った。
「・・・奴を知らぬなら、何処からでも」
「ならば水州まで行ってくる」
「判った。急ぎではない。とにかく知らぬ女が欲しい」
「ヨンア」

俺の声に雨避け外套の下、弟の眸が問い返す。
この男は本当に忠実だ。役目に、俺達を育ててくれたあの隊長の言葉の数々に、そして何よりあの女人に。
あの女人を護る為なら一切の躊躇なく火中に飛び込むほどに。だからこそ。

「女が欲しいと言うな」
「欲しいのは女だ」
「良いか。下働きが欲しい、奴の知らぬ女が良い、そう言え。さもなくば、また誤解されるぞ」

最初に遍照を求め水州に行った時もそうだ。あの女人への一言。
足手纏いだ。そう言って泣かせたのも忘れたか。忠実過ぎて声が足りぬから、要らぬ騒ぎを起こすのだ。

剛直で清廉で、他人の事などどうでも良い俺にすらこんな説教をさせる。
その男が言い張る程だ。まかり間違ってもあの僧に関わる女など引張って来るわけにはいかぬ。

最後に奴の肩を叩き、煙雨の中を歩き出す。
「ヒド」
まさか奴も、俺がこの軽装で即座に出るとは思わなかったのだろう。
少し驚いたように背に声を掛ける。
「せめて馬で行け」
「いや。見つけた女が乗れねば、却って帰途の邪魔になる」

肝要なのは遍照を知らぬ、奴と関わりない女を一人開京へ届ける、それだけだ。
今から出れば外郭の最短の山道を抜け、昼過ぎには水州。
すぐにもそんな女を見つけ取って返せれば、明日朝までには開京へ戻れる。
万一こ奴が女人の前で女が欲しいと口走り、女人が大泣きで酒楼に駆け込んでくるような事が起きる前に。

弟だ。こ奴の為す事だけなら何でも許す。
しかし一体何の因果で女人の事まで憂い、頭を痛めて先回りし、こ奴が泣かせぬように取り持たねばならんのか。
俺はいつの間に、人を取り持つような腑抜けになったのか。
肩越しに最後に手を挙げ足を止めぬ俺の背を、灰色の小雨の中に佇んで遠くなる弟の黒い眸が見守っていた。

 

*****

 

急ぎ過ぎたらしい。

丘の上、眼下の雨模様の水州の景色の中に白い息を吐く。
秋霖で冷えた体を温めるには丁度良いと、外郭の林を抜け小走りに辿り着いたは良いが、思ったよりもまだ空は明るい。
姿を見せぬ秋の陽は、まだ中天に届いていない刻だろう。

見当を付けて弾む息のまま、一気に丘を降りていく。
一刻も早く適当な女を捜し、一刻も早く開京へ戻りたい。

水州と一口に言っても決して狭くはない。
遍照と面識のない女を確実に探すなら、まずは奴のいた寺。
一々奴を知るか知らぬかと探し回るより、寺で奴と面識のない女を見つけるのが最短の道だ。

踏み込んだ山門の中には、静かな庭が広がっている。

雨に濡れた木々の間を行き交う僧衣。
俺を見て足を止めその場で静かに合掌し、再び雨中を歩き出す。

「これは、お懐かしゅう」
精舎の奥から掛けられた声に振り向けば、滞在した頃顔見知りになった古刹の住職が穏やかな目で佇んでいる。
「遍照は如何でしょうや。ヒド様を頼って開京へと言っておったが」
「息災の様子」

その声に泥濘の足許を此方へ寄ると、住職は合掌の後に俺を見た。
「開京からですかな。濡れておられる」

さすがに住職相手に無体な口を利くわけにもいかぬ。
ましてこの後頼み事をする身だと黙って頷くと、住職は先に立ち本堂の方へ進む。
「火に当たり、乾かされるが良い。その間にお話を伺いましょう」

仏に近くなるというのも考え物だ。こうして心が読まれるのでは。
何処か先手を取られた気分で、その泥濘の後を俺も歩き出した。

 

 

 

 

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1 個のコメント

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    さすがにお兄さん
    相変わらずの 言葉足らずの弟に
    指導入りました。
    ウンスに聞かれたら
    そりゃもう…
    この誤解を解くのに 大変だもの
    そんなこと無いって
    わかっててもね 口は災いのもとよ~

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